第4話 僕と妹 ② sideアルフレート
その頃から、ルゥナは徐々に僕に対しての好意を口にする事が無くなった。僕にだけはいつまでも素直で無邪気なままのルゥナでいて欲しい──そんな思いもあったけれども、大きくなってきたし、淑女として頑張り始めたのだろうと自分を納得させた。
でも、ルゥナを可愛がる事だけは絶対に止めなかった。柔らかな身体を抱きしめるだけで、本当に幸せな気持ちで心が満たされていった。
僕の腕の中にすっぽりと収まる小さなルゥナは、包み込まれて身じろぎしながらも嬉しそうだった。
だけど、あれだけ懐いていたルゥナが10歳頃になると、段々と僕に対してよそよそしくて冷たい態度を取るようになっていった。それまであんなに愛らしい声で『アル兄様』と呼んでくれていたのに、どこかその声は固く僕と接するのも避ける様になっていった。
そして、ルゥナとの距離感はどんどん開いていった──
「ルゥナ、今日のお茶会はどうだったの? 久しぶりだったでしょ?」
日々の出来事や思った事感じた事を、何でも色々とおしゃべりとするのが日課だったため、その日も夕食の時に何気なく尋ねた。
「別に……アル兄様に報告するほどのことはありませんでした」
若干冷たい感じで言い放ったルゥナの顔が僅かばかり曇っている感じがしたため、気持ちをリラックスさせようと、とびっきりの笑顔を浮かべた。
「ふふふ。そんなこと言わないで、お兄様に何でも話してよ」
「……っ……別に、何でもありませんでした……!」
一瞬頬を染めたルゥナは、ツンとそっぽを向くとそのまま急いで食事をし始めたのだが、この時になってようやく僕に敬語を使っている事に気付き動きを止めてしまった。
「……ルゥナ、何で僕に敬語なの?」
「……私ももう、10歳の淑女ですから。例えアル兄様であっても、気軽にお喋りをするのはいけないと思ったのです」
いつもとは違う話し方に寂しさを覚えたのだが、淑女としてのマナーを頑張っているなら仕方がないと、動揺する自分の心を抑え込んだ。
「ルゥナは偉いね。お兄様の僕が協力してあげるから、これからも立派な淑女を目指して頑張ってね」
にっこり笑いかけたのだが、何故かルゥナは一瞬泣きそうな顔をした後に、隠すように深く俯きながら黙々と食事をした。その様子が気になって仕方がなくて、いつもより早めに恒例の就寝前の読書タイムのため彼女の寝室を訪れた。
「ルゥナ、今日は何を読む?」
薄めの夜着を
「……アル兄様……じゃあ、これでお願いします」
そっと差し出してきたのは、ルゥナが小さい頃から大好きな『
『
しかしその泡は世界に溶け込んでいって、何もできないけれど世界の全てを見守り、いつでも一緒にいる、という物語だ。
読み終わり目を向けると、ルゥナはどこか上の空だった。
「ルゥナ?」
「……何でもありません、アル兄様。ありがとうございました。では、おやすみなさい」
少し固い声でそう言ったルゥナは、ベッドから降りると部屋の扉まで行き、そこを開けると僕の退室を促した。その顔は酷く青白く、心配で堪らなくて思わず駆け寄りそうになったのだが、どこか芯の強さを感じさせる眼差しを受け何もいう事が出来ず立ち去るしかなかった。いつも寝るまで傍にいて見守っていたのに──そんな言葉は、飲み込むしかなかった。
それから常に敬語を使うようになり、そして夕食の時にその日の事を質問してもまるで
どんどんと会話も減っていったのだが、それでも傍を離れたくなくて、彼女を抱きしめる事は続けていた。
なのに、抱きしめた身体を押しのけ『もうこんな事しないで』と冷たく言い放たれた時は、一瞬心臓の鼓動が止まるような衝撃を味わった。
鍛錬を受けている時でもこんな打撃は味わった事がなく、息をするのも忘れてしまった程だった。
でもそんな僕を見て、ルゥナ自身が酷く傷付いたような顔をしたので、もう恥ずかしい年齢になってしまったんだと理解した。
一過性の『思春期』というやつだと思ったけれど、笑顔で挨拶をしても冷たい眼差しを向けられ、精神的に凄く凄く辛くて、その頃の僕はたびたび打ちひしがれていた。
「……僕の妹が、僕に冷たい……」
余りにも悲しくて、剣の鍛錬中の友人達にポロっと愚痴を漏らした事があった。
「あぁ、アルフレートの妹、すんげー可愛いんだってな。俺の妹が言ってたわ。でも妹ってそんなんじゃね?」
「あ、わかるわかる。段々と兄に冷たくなってくるよなー」
「俺なんてこの間気持ち悪いって言われた……」
「あ、それ、父上がこの間言われたわー。父上ショックで暫く立ち直れて無かったなぁ」
ワイワイと他の連中も集まってそんな妹談義になり、終いには自分たちの家族話で盛り上がっていった。そんな様子を見つめながら、案外弟妹持ちが多いんだな、と変な事に思いを馳せた。
お前たちはただの妹だろう。僕にとって、ルゥナは妹じゃない──そう思ったのも束の間、この時気が付いたのだった。
僕にとっては彼女は『妹』なんかじゃないけど、ルゥナにとっては、僕は実の『兄』でしかない。本当は彼女と血が繋がっていない事実を、彼女が知るはずもない。
ならば、実の『兄』であるはずの僕を、彼女が男として愛するのだろうか──
その答えに思い至り、その場で愕然とした。
このままでは不味いと思い、とにかく何がなんでもルゥナを僕のものにするために、自分に出来ることは何でもしようと決めた。そろそろ学園に行く年齢だった事を、好都合だと捉えた。
2年間会わなければ、僕が『兄』だという実感が薄れるかもしれない。その間に、彼女が僕を男として愛するぐらいにもっともっと魅力的になればいいと考えた。
だけど同時に、2年間も離れ離れになるという事実は、僕をとても怯えさせた。もし彼女が僕のいない間に、僕以外の男に恋をしたら──そう想像しただけで、胸の鼓動が止まりそうなほど締め付けられた。
相変わらず冷たい態度のルゥナだったけれど、挫けそうになる心を奮い立たせて、学園に出発するまで毎日毎日話しかけた。
出発の前夜、実にあっさりとしたお別れの言葉で締めくくったルゥナは、
毎晩あった2人だけの読み聞かせの時間も、その日で終わりだった。屋敷に戻る時には僕は18歳でルゥナは13歳。もうそんな年齢ではない、とあっさりした態度で最後通告を宣告され、酷く落ち込みながら部屋から出た。
これから2年間も逢えないのに、ルゥナは全然寂しくも何ともない。
その事実に悲しくなった僕は、そのまま自分の部屋には戻らずに、未練たらしくも彼女の眠る寝室を外から眺めようと庭先へと出た。
するとルゥナは寝ておらず、バルコニーに出て佇んでいた。その視線の先には、煌々と夜空に輝く月があった。
切なそうに月を眺める姿を見た僕は、もしかしたら同じ想いを抱いていてくれてるのではないか、とそんな夢みたいな話を思い描いた──
その後の学園生活で、全てにおいて必死になって努力を続けた。
彼女が僕に惹かれるように。僕がもっともっと魅力的になれるように。
それだけの思いで、ただひたすらにルゥナの事だけを想って、日々を過ごしていった。
陽が落ちると、夜空に浮かぶ月を眺めては遠くにいるルゥナの事を想っている内に、学園生活は終わっていった。
卒業後帰宅した時は、2年ぶりに逢えた喜びから大きく胸を震わせ、そして澄んだ黄金色の瞳を見た瞬間、愛しくて堪らない気持ちをますます募らせた。
出迎えてくれた彼女は内面からも溢れ出す輝かんばかりの美しさを醸し出していて、その全てを感じたくて強く抱きしめたい衝動に駆られた。
「ルゥナ、ただいま」
「……おかえりなさい、アル兄様」
変わらない冷たいままの返事だったのだが、暫く見惚れた様子で頬を朱色に赤く染めたルゥナを見て、自分の作戦が上手くいった手応えを感じた。
それから、もっと彼女が僕に惹かれるようにしなければという思いで行動し続けた。動揺からか黄金色の瞳がたまに揺れるのを見ては、そして僕の言葉で白く滑らかな頬を微かに染める様を見ては、その可愛さに心奪われていた。
だけど、段々とルゥナの様子がおかしくなっていった。いつも何かを抱えているような、どこかに消えて無くなってしまうような儚さを感じ、そうした姿を目にすると言いようのない焦燥感に
今ここで自分の欲望のまま
ルゥナは僕の事を実の『兄』だと思っている。そんな相手から、自分が『女』として見られていると知れば、彼女はもう2度と僕に近寄らない。
──彼女に拒絶されたら、僕は生きていけない。
♢
部屋のバルコニーから薄らと目にするができる王都の街の灯りが、今日もまた王国内の活気を示しているような気がした。
屋敷の桜の花びらが風に吹かれてゆるりと舞い落ちる様は、その短い命を漂わせているかのようだった。
ここ最近は以前のような危ういまでの儚さを感じることは無くなったけど、相変わらず僕に対しては冷たいままだった。
どうすればいいのか分からない、どうしようもない胸の苦しさを抱え込んだまま、今日もまた空を見上げる。
「……ルゥナ……」
今夜浮かんでいる満月は、彼女の瞳と同じ色をしていた。その優しい光に抱かれながら、愛しい人の事を想う───
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます