第3話 僕と妹 ① sideアルフレート

僕には愛する人がいる。


母の腕に抱かれながら僕を見つめるその小さな瞳を見た時から、この子は魂の片割れだと思った。

彼女に逢うためにこの世に生まれ落ちたのだと瞬時に理解するほどに、あの瞬間自分の魂が震えたのが分かった。

どこにいても、どこだろうとも、決してこの子を離さない。5歳の僕はその時固く誓った。


ルーナリアは、僕の妹として、育てられる事になった。



屋敷に『妹』としてまだ赤児の彼女が来た時から、人生が大きく変わった。僕の世界はルゥナを中心にまわり始め、常に彼女と共に在った。

彼女が来てから世界は鮮やかに色付き、その存在は欠かせないものとなった。

まだ小さな呼吸を感じる度に、嬉しいような切ないようなそんな想いを抱いた。僕の手を握りしめる細い指を感じると、絶対に離したくないという衝動に駆られた。


今でも、ルゥナを幸せにするのは僕しかいないし、僕はルゥナがいなければ幸せになれないと思っている。

彼女の存在だけで、全てが満たされていく想いを感じる。

ルゥナは僕がいつも助けていると思っているのだろうが、実際は常に寄り添ってくれる彼女の優しさに安らぎを与えられているのは僕の方だ。


──彼女のいない世界なんて、考えられない。



ルゥナを自分のものにするために、幼い頃から必死に彼女を可愛がった。時間さえあれば彼女の元へ行き、よく構って遊んでいた。妹であっても、血の繋がりはない。彼女が僕を愛してくれれば、それで良いと思っていた。


いつも無邪気な笑顔を見せる彼女が、愛しくて愛しくて堪らなかった。

ふわふわの透けるような金の髪を撫でるだけで心が弾み、夜空に浮かぶ満月のような黄金色の瞳はいつまででも見飽きる事がなく、暇さえあればじっと覗き込んでいた。

その瞳を見つめる度に、何か懐かしいような想いに駆られることがあった。そんな時は、必ず彼女の小さい身体をぎゅっと抱きしめた。


歩き出したルゥナは常に僕の後ろをついて来て、その小さい手を握るだけで心が満たされる想いに溢れた。

どんどん大きくなり、言葉を話し出した彼女はもっともっと愛らしかった。

白くて美しい顔立ちに、ぷっくりとした柔らかな紅い唇が可愛くて堪らなかった僕は、よく彼女の唇に口付けをしていた。

その度に、胸の中が暖かい気持ちでいっぱいになった。

ふっくらとした頬を撫でながら、子ども心ながらに、これが幸せな気持ちというものなんだと思っていた。


だけど、ルゥナが大きくなるにつれてこうした口付けを不味いと思った母上から、唇へのキスを禁止されてしまった。


普段は穏やかで優しい母上は、今もそうだが一度怒るとそれはもう静かに深く長く怒るのだ。にこりと浮かべた笑みを張り付かせているものの、そのこめかみがピクピクと動いている限りその怒りが解ける事はない。怒っている間は決して目も合わさず、凍てつくような瞳でこちらを見つめる。あまりに怒り過ぎると、放出された魔力で周囲が冷気に満ちてくる。


昔一度だけ父上が母上を激怒させた時は、屋敷の庭中が凍りついて大変な事になった。あの時の父上は、母上の機嫌を取るためにそれはそれはもう大変な努力をしていた。

そんな母上を怒らせる訳にはいかないので、仕方がなくルゥナが3歳の時に唇へのキスやめる事にした。



「にぃたまぁ」

「ルーナリア、どうしたの?」

「ぎゅぅして、ぎゅぅして」

「いいよ!」


無邪気に僕に擦り寄ってくるルゥナが可愛くて、いつも彼女を抱きしめていた。

軽くて難なく抱き上げられる小さな身体から発せらせる温もりを感じる度に、ずっとこうしていたい衝動に駆られた。


あの時も、いつものように抱っこしながら庭へと遊びに行った。虫を見つけたりしながらきゃっきゃと笑い声を上げている姿を眺めて楽しんでいると、僕の元へ駆け寄ってきた。


「にぃたま〜! あ、ありゅふゅ…れ、と? あ、ありゅ……うぅ……」


3歳のルゥナにはまだ上手く『アルフレート』と発音する事ができず、舌っ足らずに僕の名前を呼ぼうとする彼女はとても可愛かった。


「るぅな、いえない……にぃたま、ごめんちゃぃ……」


涙を堪えながら僕を見上げて必死に謝る彼女が本当に愛おしくて、この時のルゥナの顔をはっきりと覚えている僕は、今でも時々思い出しては笑みを浮かべている。


「いいんだよルーナリア。じゃあ、今度から僕の事を『アル』兄様って呼んでごらん? 僕もルーナリアの事を『ルゥナ』って呼ぶから」

「あるにぃたま!」

「ふふふ。これは、僕たち2人だけの呼び名だよ。いいね、他の人にはダメだよ」

「うん、あるにぃたま!」


満面の笑みで勢いよく返事をするルゥナが可愛いすぎて、ついつい禁止された唇への口付けをしたくなってしまった自分をなんとか抑えた。


──この日から、僕の事を『アル』と呼んでいいのは彼女だけで、ルーナリアの事を『ルゥナ』と呼ぶのは僕だけの特権になった。


柔らかな髪を梳くようにしながら頭を撫でると、ルゥナは幸せそうに笑った。その顔を見るだけで、いつも自然と笑顔を溢れ出てきた。ずっとさわっておきたくなるほどに柔らかい彼女の髪の毛に触れる度に、込み上げてくる想いで満たされていくのを感じていた。


「あるにぃたまと、いっしょ!」

「うん。一緒の色だね」


僕と同じような色合いをしている髪の毛をお揃いだと喜ぶルゥナを見て、自分のこの髪色が好きになった。

髪色までそっくりな僕たちはきっとお似合いの夫婦になるだろう、とまだ子どもだった僕は呑気にそう考えていた。



ルゥナが5歳の頃『僕のお嫁さんになる』と宣言してくれた時は、作戦は順調だと隠しきれない喜びのまま、満面の笑みで大きくなったら結婚しようと返事をした。

そしてその日ルゥナを寝かしつけた後、すぐに両親に僕たちの結婚の話をしにいったのだ。


「今日ルゥナが僕と結婚してくれると言いました。良いですよね? 僕がルーナリアと結婚したら、皆が本当の家族になっていいじゃないですか」


カーティス家の娘であったルゥナはその血筋的に魔力量も問題なく、何もかも上手くいく案だと思っていた。

しかし両親が、特に母上がもの凄く反対した。


「何を言ってるの!? あの子が、私達が本当の家族じゃないと知ったら何て思うと思う!? 自分が本当は、かの悪名高いカーティス家の娘である、重罪人の娘だと知ったら……どう思うか……あの子を傷付けたくないわ……」


母上をあまり怒らせるのは得策ではない、と子ども心ながらに判断した僕は、泣き崩れる母上の横にいる父上が静かに首を横に振っているのを見て、その日はとりあえずは引き下がった。


カーティス家の娘であろうがなかろうが、ルゥナが例えどんな血筋だとしても関係なかった。

ただ、彼女とずっとずっと一緒にいたかった。

だけど、ルゥナがカーティス家の娘であると周囲に知られたら、彼女の命が危険に晒される可能性が多いにある事は、幼い僕にでも理解出来ていた。


分かったフリをして、彼女とどうすれば結婚出来るかもっとよく考えようと決心した。


今はまだ僕の事を慕ってくれるルゥナの事をただひたすらに可愛がろう、そう思っていたあの頃の自分は、まだまだ子どもだったのだろう。

──あの時、諦めずに母上を説得しておけば、こんな気持ちになることはなかったのだ。



ルゥナが7歳になり、初めての令嬢達とのお茶会の後に熱を出して寝込んだ事があった。

朝からもの凄く緊張していたせいか、疲れが一気に出たのだろうと言われていた。お茶会の途中で様子を見に行った時も、いつも僕に見せる様な無防備で可愛い笑顔ではなかった。


心配でたまらなくて、何度も様子を見に行っては両親や侍女や医者に怒られた。ルゥナが来て暫くは一緒に寝ることも許可されていたのに、口付けを禁じされた頃から部屋も分けられた。

だけど、就寝前に枕元で本を読んだりちょっとしたお喋りをすることはまだ許されていたから、毎晩ルゥナが寝るまで一緒にいた。

僕に頭を撫でられながら、微かにまつ毛を震わせゆっくりと眠りに落ちていく姿を見るのが本当に楽しみだったため、この習慣が出来ない事は本当に酷い苦痛だった。


2日後熱が下がったのを知り、周囲の目を盗んでそっとルゥナの部屋に忍び込んだ。


「……あるにいさま……?」

「ルゥナ……大丈夫?」


近づく僕にすぐさま気が付いたルゥナは、少し辛そうな顔を向けた。黄金色の瞳がとろんと揺れているのを目にしながらおでこに手を当てると、熱は無さそうだった。

暫く寝込んでいたせいか、ベッドの中のルゥナはただでさえ透けるような白い肌がもっと病的にまで白くなっていて、少しやつれた姿が見た事もないほどの儚さを醸し出していた。それはまるで物語に出てくる『泡沫うたかたの天使』のようで、このまま何処かへ消え失せて行きそうだった。


そんな姿に動揺した僕は、このまま消えていってしまわないように、しっかりと繋ぎ止めようと、彼女の小さな手をぎゅっと握り締めた。ルゥナは嬉しそうな顔をすると、優しく握り返してくれた。


「……しんぱい、かけてごめんね。もう大丈夫……」


まだしんどそうな身体を押して、ルゥナはにこりと笑ってそう言った。そんな風に無防備に笑うルゥナが可愛くて、暫く彼女の顔を見れていなかった僕は、勢いでそのまま口付けをしそうになった。

だけど、次の瞬間ルゥナの表情が僅かばかりに曇ったのを見逃さなかった。


「ルゥナ、どうしたの? 何か気になる事でもある?」


ルゥナは躊躇ためらうように、何度か口を開けては閉じ、酷く動揺している瞳がゆらゆらと揺らめいていた。


「何でも言って、ルゥナ。僕、ルゥナの事なら何でも聞くから」

「……アル兄さま……あの。あのね……アル兄さまが、大きくなったら、私たち、はなれてしまうの?」


僅かばかり逡巡したルゥナは、涙を湛えた瞳でじっと見つめ口を開いた。


「僕たちは絶対に離れないよ。いつも一緒だよ」


ルゥナは僕のお嫁さんになる──そう思っていたから本気で答えた。初めて逢った時から離すつもりはなかったのだが、この時彼女は何故か酷く泣きそうな顔をしていた。


もしかしたら、16歳になり学園に行ったら寮生活で2年間離れ離れになってしまう事を聞いたのかもしれないと考えた。本当は行きたく無かったけどさすがにそれは難しくて、5歳離れている事が初めて障壁となった事に頭を悩ませた。

ルゥナも僕と離れる事が寂しいと知り、ふと月明かりを感じ窓を見上げると、そこには夜空に浮かぶ綺麗な満月が煌々と輝いていた。


「ほら、ルゥナあそこの満月を見て? すごく綺麗でしょ。お月様はね、僕たちがどれだけ離れていても、いつでもどこでも同じ姿を見ることができるんだ。例え離れ離れになる事があっても、こうして月を眺めていれば、僕たちは離れていてもお月様を通していつも一緒にいるんだよ」


我ながらとても名案だと思いながら、揺れる瞳の小さな彼女ににっこりと笑いかけた。ルゥナの黄金色の瞳はちょうど満月の様な色合いで、本当に綺麗なあの日のお月様にぴったりだった。


「お月さまをとおして、いつもアル兄さまと、いっしょ…」


そう呟くルゥナは少し落ち着いた様子になり、それから僕たちは夜空に輝く満月を暫くの間一緒に眺めていた。


──その月の光はとても優しく、月夜に照らされたルゥナは輝かしいほどに美しかった。

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