第2話 私とお兄様 ②

冷たい態度で接するこんな私にも、変わらずに優しい『兄』であるお兄様は可愛がり続けてくれました。

毎朝とろけるような笑顔で挨拶をしてくれ、笑いながら話しかけてくれるだけで、心は歓喜で震えそして切なさに泣きたくなりました。


でも決してそれらを表に出すわけにはいかず、涙を堪えながらそっけない態度を取り続けました。

何度も自分自身に挫けそうになり、その度に自分の感情を制御するようにいい聞かせました。


暫くするとお兄様は、魔法について学び、そして適性を活かした職に就いたり貴族同士の繋がりを作る基盤となる学園へと行かれました。

貴族の子どもは16歳になる歳の秋から2年間、親元を離れ寮生活を過ごす事になるのです。


玄関で彼を見送った時は、寂しさを感じながらもどこかホッとした気持ちにもなりました。

お兄様が私に優しく接してくれる度に、『妹』想いの優しい『兄』だからこそ、私を可愛がってくれているだけだという事を突きつけられるからです。

顔を合わせない間はこの事実を見なくて済むと、心はほんの少しだけ楽になりました。


物理的に距離が開けば、この想いももしかしたら失くなるかもしれない、と考えたこともありました。

ですが静かに過ぎゆく2年間、1日たりとも彼の事を想わない日はありませんでした。


緊急の時以外家族に連絡を取ることは出来ないはずなのに、時折近況や私への気遣いでいっぱいの手紙が届き、その想いを受け取る度に喜びに満ちて、溢れそうになる気持ちを抑える事に必死になりました。 


愛しい人の筆跡を辿りながら何度も何度も読み返したその手紙は、今は机の奥にそっと忍ばせていますが、その言の葉一つ一つを心に大切に大切に仕舞い込んでいます。

どれだけ離れていても、胸の中にいるあの人が消え去る事などありませんでした。


私とお兄様を繋ぐよすがである月を毎夜眺めては、遠くにいる愛しい人に想いを馳せました。

そして、その度に思い知らされました。お兄様の事を愛しているこの気持ちだけは、決して変えられない、と。



あっという間のような、長かったような2年間が過ぎ去り、お兄様が学園から戻って来られた日の事は今でもよく覚えています。

見違えるような姿で戻ってきたお兄様に随分と驚かされ、そして逢った瞬間理解したのです。


やっぱり、この人の事を、心の底から愛しているんだと──


更に高くなった背と、服の上からも分かる引き締まった身体付きはすっかり男性のもので、まるで知らない人のようでした。

学園に行く前はまだどこかあどけなさを残していた端整な顔立ちは、スッとした大人のそれになっていて、男らしいのに相変わらず美しいというこの世のものとは思えない美貌から、思わず尻込みをしてしまいました。


ですが、大好きな空色の瞳は変わらずそこに在り、その瞳を見つめるだけで泣きたくなるくらいの愛おしさで堪らなくなったのです。


「ルゥナ、ただいま」


何一つ変わっていないお兄様の優しい眼差しに見つめられ、溢れ出る恋しさから動揺せずにはいられませんでした。

私を愛おしく見つめるその瞳のせいで、自分でも分かるほど心臓がバクバクと大きな音を立てていました。


「……おかえりなさい、アル兄様」


冷たい態度にしなければ、と思いつつそっけない挨拶を返した私でしたが、自分の顔が赤くなっていないか心配になりました。目の前にいるお兄様を見つめたい自分とそれを戒める自分との葛藤で、酷く狼狽うろたえてしまいました。


私は、この人の事を狂おしいほどに愛してる──

そうした自分の想いを再度認識してしまった私の心はどんどん乱れていき、毎日が苦しくて堪らなくなりました。


愛する人が傍にいるけれども、その想いは決して悟られてはいけない。

こんな許し難い想いを持つ『妹』をお兄様はなんて思うか。

そして、この禁忌なる想いを知った両親がどれほど悲しむか。

自分のこの感情は抑えなければいけないもので、決して皆に知られてはいけない。

そもそも、こんな想いを抱く頭のおかしい自分に生きる資格なんてあるのだろうか、と不意に思うこともありました。


自分の心が段々とひび割れていくのを感じていた15歳のある日、追い詰められるように、密かに考えていた計画を実行しました。

不在の時は魔法で防壁されている書斎に、更に防壁をしている書棚の一角があって、2重の防壁で守るほど重要な何かがある事をずっと疑問に思っていたのです。

もしかしたら、私とお兄様が血の繋がらない事を証明する何かがあるのではないか……

縋るような気持ちと半分以上妄想めいた思いで、両親とお兄様が舞踏会に出かけている隙に、お父様の書斎へと忍び込みました。


今となっては何の根拠もないその決めつけに、自分でも不思議に思うことがあるのですが、突き動かされるような衝動のまま行動して良かったと思っています。


なぜなら、結果的に、私とお兄様は血の繋がりのない兄妹だったからです──



あの日、厳重に張り巡らされた防壁に、自分の魔力を通してそっと穴を開け侵入しました。屋敷にあった本に記載された魔法理論から独学で学んだこの方法も、正直お兄様のように優秀でないため理解できていません。ですが、魔法にする魔法があると知り、自分で試してみてそれが出来る事を知ったのです。


書斎に侵入し、魔法による防壁がかけられている書棚に向かった私は、そこの防壁にもして穴を開けると、中に入ってある書類の束を漁りました。


「これは……?」


何か出てきて欲しいと祈るような思いで一心不乱に探っている中、国王陛下の御璽ぎょじが記されたものにふと目が止まり、吸い寄せられるようにその古い古い書簡に手を伸ばしたのです。そこに記されていた事実に、驚きを隠せませんでした。


今から16年前、あの書簡を見つけたのは15歳の時ですから、その時で言えば15年前。王国内の歴史に残る王家転覆未遂事件が起こりました。『カーティスの惨劇』と呼ばれているこの事件は、王国内では知らない者などいないくらい有名な事件です。


代々『闇』を司っていたカーティス公爵家は、元々その苛烈で残忍な血筋で名を馳せておりました。

当時から畏怖の目で見られていたカーティス家が、突如闇魔法の中でも禁忌とされていた魔族召喚魔法を行使したのです。その召喚魔法のために、無辜の民が100人も生贄とされました。国王をはじめ、王国内全ての魔法が使える貴族による総力戦で何とか召喚された魔族を倒す事ができましたが、その戦いで更に多くの犠牲者が出ました。

カーティス家は全員死亡または捕縛され、産まれたばかりの末の娘も含め一家眷属皆処刑となり、事件は解決となったのです。


ですが、赤児まで処刑される事を哀れんだダネシュティ家夫妻が陰ながら国王に直訴し、その赤児を自らの娘として育てる事を許されたのです。

書簡には、国王陛下からの許可が記載されていました。


その、カーティス家の遺児である赤児こそ、私だったのです──


呆然と、その書簡を持って立ち尽くしていました。

自分が王国史上稀に見る大罪人の血筋を持つ娘であり、実の両親が容赦なく100人もの人間を生贄にできるとても酷い人間だった事を知ったのです。


ですが、そんな事よりも。


私の胸の内には、ただ一点。

自分とお兄様には血の繋がりが無かった、というその事実が心を支配しました。

自分が禁忌を犯していなかったという事実だけが。

それだけが嬉しくて嬉しくて、1人佇みながら涙を流しました。

禁忌を犯していないなら、一緒にはいられなくても、この想いを抱き続ける事は許される──

濡れた頬のままふと見た窓からは、優しい月明かりが差し込んでいました。





目を瞑ると、あの時見た空いっぱいに光り輝く満月の姿が瞳の奥から現れました。

自分が禁を犯していないという事だけが救いとなり、あれから幾分か軽くなった心を映すような記憶に小さく息を吐くと、自分の気持ちに蓋をしていきます。


お兄様は現在王太子である第一王子のステファン様とも、そして第二王子のルシアン様とも幼い頃より交流されており、いずれその側近にと求められ誰からも期待されています。

そんな将来を嘱望しょくぼうされている彼に、悪名高いカーティス家の娘である私の想いを伝える事など、決してあってはならない事だからです。


(……アル兄様は、輝かしい未来を約束された人……それに、そもそも私が『妹』だから可愛がってくれているだけ……)


身体の向きをくるりと変えると、ガラスに映った自分と目が合いました。

そこにある、幼い頃はお揃いだと無邪気に喜んでいた透けるような金色の髪を目にした途端、その中の瞳が昏く沈んでいくのが見えました。


(……本当、兄妹の証みたい……)


暫くの間、忘れようとするかのように固く目を閉じ、自分の何もかも全てを変えてしまいたくなる衝動をやり過ごしていきます。

再び夜空を見上げると、目を細めながら柔らかな光を浴びました。


「……血の一滴さえも、何もかも入れ替われば、アル兄様を、堂々と愛する事ができるのかな……本当は、いつも貰っている安心感を、少しでもあげたいのに……」


自分では彼を幸せにする事は出来ないのだという虚無感を胸に抱いたまま、煌々と輝くお月様が繋いでくれる恋しい人の顔を思い浮かべました──

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