第29話 ギルド大根乱 前




 イサム駄犬への説教調教が終わり、ギルドでの騒動の後始末の方策を教え込み、打開のために動くべく1階のギルドホールへ降りようとした──のだが。


「もうすぐだっ! もうすぐ来てくれるからしっかり気を持てっベアあああああっ!!」


「おい誰か上級ポーションを持ってるヤツはいないのかっ?! 頼むっこのままじゃベアがっ! ベアが死んじまうっ!!」


「回復術師を呼びに行ったヤツはまだ戻ってこないのかっ!?」


「ここは危険ですので絶対に近寄らないでくださいっ!!」


 2階に上がってからなにやら新たな騒動が起こったらしく、冒険者やギルド職員が慌ただしく動き回っていた。


 聞こえてくる声の限りではどうやら怪我人がいるようで、重傷らしいというのは伝わってきた。


 なにやら避難誘導をしている者の声もあり、どうにも状況がわからず両名とも困惑した表情を見せた。


「下で何かあったようですね」


「ええ、なにやら緊迫した事態になっているようですし様子を見に行きますよ」


 残りの階段を駆け降りていき、視界に飛び込んできたものは──未だ繁茂する草むらを押し潰して石片が散らばった床、そこから少し離れた場所に倒れ伏す大柄の男と、傍らで声をかけ続ける男の姿が目についた。


「いったい何が……」


 そうイサムは呟き、ロバートに視線を向けると──またもや頭を抱えていた。


(……イサムくん、君は魔法で回復を行えるかい?)


 周囲に聞かれないように小声でロバートが尋ねてきたので、合わせてイサムも小声で返答した。


(できる……と、答えていいのかわかりません。前にゴースとか言う懸賞首の人に回復かけたら頭が弾けました)


(は? 頭が、弾けた……懸賞首……あぁ、なるほど。それならばおそらく大丈夫ですよ。なのでベアード……あちらの怪我人を治してあげてください)


(えぇっ!? それ大丈夫ですか、頭パーンするかもですよ? それに魔法で治しちゃダメじゃ……)


(いえ、彼なら問題ないはずですので治してください。それに彼を治せないと作戦失敗です。なにせ彼はイサムくんの被害者ですからね)


(えっ? あっ……)


 ロバートに促されて指し示す指の先を見ると、天井の石材が剥がれ落ち、抉れ窪んでいた。


(どうやらあの天井の辺りが、君が大根を生やした部屋に当たる場所なんですよ。

 倒れている彼を見るかぎり、そう時間が経っているわけではなさそうなので、大根を抜いた時にでも天井が剥がれたんでしょうね。

 ですので必ず治して見せないとダメなんですよ、失敗したら……国にでも飼われてください)


「きゃいんっ?! 見捨てないでくださいワンっ!」


「ほらほら可愛くもないですし、大声出さないでください。

 それに時間を無駄にすると、彼が死んでどうにもならなくなってしまいますよ? あっ、それとも死んでもどうにか魔法で蘇生できたりするんです?」


「それは無理だからもっとダメだワンっ!? 急いで行ってくるワオーンッ!」


「言った通りに動いてくださいねー」


 もはや忠犬犬助駄犬の扱いに慣れたようで、指示を実行すべくイサムは未だ倒れ伏す大男──ベアと呼ばれている男に駆け寄っていった。


 ベアに近付くとイサムは手を掲げ──


「おいしっかりしてくれよベアぁ……。お前がいなけりゃ俺たっ!? なんだテメェっ! ベアになに……っ?!」


 ベアの傍らの男は落ちてきた影に弾かれたように顔を上げ見やると、何をするでもなく腕を上にあげて佇む不審な男へ警告を発しようとするも……


──パチンッ!


 ──指パッチンした。


 ことこの場で行う行為ではない。


 仲間の、ベアの生死が懸かった状況で小馬鹿にするように指を鳴らした男に一瞬唖然とさせられたが、殺さんばかりに睨み付け言葉を続けた。


「か、は……あ? おいコラテメェおちょくってんのかっ!? ベアが死にっ?!」


 イサムの非常識な行動に言い募ろうとした傍らの男は、途中で言葉を詰まらせた。


 突如として現れたモヤが顔に触れ、ベアの身に何かあったのでは、とイサムから視線を外し傍らのベアへと顔を向けると彼こそがモヤの中心であった。


 ベアは光輝く濃い白いモヤに包まれ、輪郭しか視認できない姿にされていた。


「てっ、テンメェえええっ!! ベアに何しやがったあっ!?」


 ベアに危害を加えられたと激情に駆られた男は、イサムに掴みかかるべく立ち上がり手を伸ばした──


「待……て、ティム」


 ──ところで足首を掴まれ、動きを止めた。


 その声は、手は先ほどまで力無く横たわっていた筈の仲間の、ベアのものだった。


「あっべっ、ベアっ!? お前意識が戻ったのかっ!」


 未だにうっすらと光輝くモヤがベアに纏わり付いており、はっきりと顔色を確認することは出来ずにいるが、足を掴んだ彼の手は力強かった。


「ああ……っと、それでいったいこのモヤはなんだ?」


 身を起こし、自身に纏わり付くモヤについて原因であろう男──イサムに目を向けてベアが尋ねようとした。


「いやぁ、災難だったねベアード」


 だが、イサムが答える前に別の男──ロバートが間に入ってきた。


「むっ、ロバートか。どうにも頭に強い衝撃を受けたのは覚えているのだが、いったい何が起こったんだ?」


「うん、それなんだけどね。申し訳ないけどもうちょっと待ってもらってもいいかな?」


「このモヤが害の無いものであるなら構わん」


「うん、それについてはもうすぐ消えるから問題ないよ。それじゃあイサムくんは続きを行うように」


 イサムは頷き、ロバートに言われるままに次の場所へ──天井の崩落した真下へと歩き出した。


 草原の草が蔓延る崩落現場までたどり着くと、イサムはまたもや腕を掲げ指を鳴らした。


 すると落ちた石材や天井、草むらに一瞬で爆発的に大量の煙が吹き出し、イサムもろとも煙に覆われた。


 離れた場所で様子を伺っていた見物人やギルド職員がその光景にざわめき、煙から逃げるように発生地から遠ざかっていった。


 先ほどのベアのモヤと違い、今度の煙はすぐに晴れていき、そこには以前と変わらぬ──まるで何事も無かった・・・・・・・・・・かのようなギルドホールが広がっていた。


 そう、これはロバートによってイサムに与えられた作──無かったことにしよう作戦の結果である。


 作戦名が安直なのはそこはどうでもいいからである、なにか理由があるわけではない。


 ロバート飼い主作戦命令によってイサム駄犬に与えられた指示は〝喋らず黙って余計な事を考え動かず、指を鳴らして煙で現場を覆って即座に直せ〟である。


 この作戦の実行前に2階の小部屋に生やした大根で、煙を発生させた後に、収納で大根を回収し、即座に土魔法で床の穴を塞ぐことが出来ることを確認していた。


 幸いだったのはイサムが草や大根を生やしたのは冒険者の闊歩するエリアの、傷付くことを前提とした石床であったことだろう。


 もし受付でロバートが声をかけるのが遅ければカウンター越しの、床板を張り巡らせたギルド職員のエリアにも今ごろ大量の草が繁茂していたことだろう。


 イサムの魔法では木材や敷物の床は土魔法や他の魔法では直すことが出来ずに、穴だらけの床を晒してしまい使えない一手であったのだ。


 ──時魔法で元に戻す。


 という手もあったかも知れないが、人体の欠損を戻すのに命懸けという話が事実であれば、高々床のために命を懸けてまで遡行させる。など誰もしたくはないだろう。


 しかし誤算だったのは上階での練習の結果、階下のギルドホールの天井に影響を与えるほどに大根が根深く生え刺さっていたことだろう。


 その結果ベアは生死の境をさ迷っていたのだから、なんとも迷惑なバカ犬イサムである。


 話を戻し、この作戦においてイサムに与えられた次の指示命令は……ロバートに話しかけられるまで何もない。


 というよりも、もう何も余計な事をしてくれるな。である。


 煙に包まれている間、収納の有効射程の関係でカウンターから入口付近を駆け回り、再び崩落箇所の辺りに立ち、腕を掲げ佇んだ姿を見せたイサムは腕を下ろし沈黙を続けた。


 ギルド内の人々は起こった出来事が飲み込めず、驚愕しきりの者、驚きの声をあげる者、見世物を見物したかのように拍手する者。と、様々な反応をしていた。


 そんな中、一人の男──ロバートが事態の終息のためにイサムへと歩み寄り、隣に立つと口を開いた。


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