第16話 とある女騎士の困惑



 ──どうしてこうなった?


「…………その格好もだが何故草を食って……いや、それは今はいい。おいお前、この鉄格子はなんだ? いったい何があった」


 鉄格子の惨状を問い質す薄緑の髪に気の強そうな顔をした女──エミリアは困惑していた。


 彼女は被疑者を尋問するために危険な存在である可能性のある者と、安全が確保できた状態で対面し、その者の纏う空気を肌身に覚えさせるための、云わば訓練の延長線上の尋問担当だったはずが──。


 ここ特級牢区画は、特定の犯罪者や容疑者を収容するために特別な素材で作られた物だった。


 特級、と言っても何も身分の高い者を拘留するための施設ではない。


 戦闘、或いは洗脳や人心を惑わす危険性の高い能力を持つかもしれない犯罪者や容疑者を収容するための物だ。


 そのため当然牢屋内から破壊するのは極めて困難な素材を使用されている。


 また特定のスキルを封じる措置や無効化する素材もこの室内には組み込まれており、当然鉄格子を溶かすようなスキルは対策されている──はずだった。


 だがこの牢は破壊されてしまっている。


 もしやそのスキル対策を超えるような実力か、あるいは未知のスキルをこの男は所持しているのだろうか?


 と、あり得ないことが脳裏を過るが、この男は拘束時に門番の牽制のタックル一発で片付いてしまったという。


 その程度の男にそのような実力があるとは思えない。それならばこの部屋の機能が壊れている可能性の方がまだ現実的だ。


 封じられているはずのスキルを、火を出そうと試してみるも──不発に終わった。


 部屋は正しく機能している、ならば協力者でも居たのか?


 だがここに来るには一つしかない通路を通る必要があり、特級牢が使用される場合は必ず複数名がここへの通路を監視することになっている。


 その様な場所に入り込める者がいたとしても、この施設の看守くらいだろう。だがそれなら鍵を開ければいいだけであり、わざわざ鉄格子を溶かす必要など無い。


 それにこの室内以外の、通路からであれば能力が制限されることはないのだが、スキルが使えようとそもそもそんなに柔な作りではないのだ。


 外側からだろうと破壊できるというのであれば、そんな実力者にこんなところで看守などさせていない。戦力がほしい部署は多いのだ。


 ならば本当にこの枯れた草に全身まみれた、今だ平然と草を食む男かそんなことを……と、見定めていたところでようやく真っ先に気がつくべきことに思い当たった。


 この溶け落ちた鉄格子は既に熱を失い、もはや触れても火傷することはない。


 それはつまりとっくの昔に──いつでも抜け出せる状況だったということ。


 にもかかわらずこの男は脱獄することもなく、スキルを未だに封じられているはずの部屋で余裕の態度で草を食べ続けている……


 脱獄しても逃げおおせる自信がなかったのか……? だがそうだとしてもこの落ち着きはなんだ?


 鉄格子はとっくに無くなっていて、そのような場所に留まり続ければ自分に不利益な嫌疑をかけられ立場を悪くするだけだというのに……


 まさか、実力を隠していた……?


 それにいったいなんの意味がある? しかしそうでもないとこのような状況で暢気に草など食べていられるだろうか? 少なくとも、私には無理だ。


 だがそうだとすると……それはこの状況すら、歯牙にかける程でもない些事に過ぎない。


 そう言われているようだ。と感じた瞬間、困惑は恐怖に変わった。


「モサモサ……モサ……なにって、ここに放り込まれてから誰も来てくれないから暇潰しにスキル鍛えてたんだよ。そしたらモサモサ……溶けた。モサモサ……」


 ようやく草を食べ終えたと思ったら、とんでもないことを言い放たれた。


 ──そんなバカな。


 信じられない、いや信じたくない。


 だがしかし、この男以外にこの状況を作り出せる者が居ないのも確かだ。


 この特級牢のある区画は一般牢の下、分厚い壁に覆われた地下に存在する。


 そのため脱獄するには外壁の破壊は現実的ではなく、一般牢を通り抜けることになるが、上階に上がると看守に見咎められる配置となっている。


 階段を除けば換気用の通気孔があるが、生き物が通れるような作りではないし、なにかを通すにも罠が仕掛けられているのでこちらは除外していいだろう。


 ここに看守の見張りがないのは、収容された者の中に言葉巧みに看守を味方に付けて脱獄した者が現れた事が原因だ。


 その脱獄犯は外に出て捜索もロクにできない僅かの時間で大きな被害をもたらした過去があったためだ。


 これは一般的な犯罪者に比べ逃亡先での準備をするまでもなく、襲撃を実行できてしまう脱獄犯の能力の高さが影響したものであり、そのため特級牢に入れられる者は行き過ぎた警戒で扱われる。


 そのため不用意に収容者と接触することの無いよう特級牢には看守の見回りは禁止され、必要が無い限り誰も訪れることはない。


 だがなにも放り込んであとは何もせず、などということない。接触こそしないものの、上階に聞こえる物音を看守が聞き付ければ遠目に様子を確認し、問題があるようならば対処に動くくらいは行う。


 しかし今回はそれらが悪い方向に影響してしまったようだ。なにせこの脱獄できる状況を音もなく作り出したのは〝誰も来なかった〟事で生み出されたのだから。


 暇だから。ただそれだけで……いや、それどころかこれまで特級牢に入れられて破壊できた者など、このどこからともなく現れる草を食み続ける男以外存在しないのだ。


 震えそうになる膝を、逃げ出したくなる恐怖を必死に押さえ込み、さらに問い質していく。


 どうか、この惨状を生み出したのがこの男ではないことを──自分を殺しうる存在でないことを願いながら職務を全うする。


「すっ、スキルを鍛えるだと……? バカなことを言うなっ! この特級牢の中では攻性スキルは使い物にならないのだぞっ!?

 言えっ! お前以外の協力者がこの牢を破壊したのだろうっ?! 正直に答えねば敵対者として相応の扱いをさせてもらうぞっ!」


 ──馬鹿げたことを言っている。


 そんなことはわかっている。


 わかってはいるが、たとえ相手の不興を買おうが虚勢でも強気で尋ねねば……この馬鹿げた問いを肯定されねば、導き出した答えが間違いでなければ私はもはや立っていられる自信がないのだ。


 だと言うのにこの男は──


「モサ……ふへ? そうなの? モサモサ……ライター。なんだちゃんと使えるじゃんかよー。あっ、ついでだから草炙ってみよ」


 ──なんでもないように指先に火を灯した。


 きっと私の顔は驚愕し過ぎて面白い表情をしていることだろうな。


 この男が呟いたライター……だったか、なんとも小さな火ではあったがその様な魔術名は聞いたことがない。おそらく未知のスキルなのだろう。


 だがスキルが使用できたのは事実。


 その事が頭に染み渡っていくと共に、今のは全力とはほど遠く──この牢を破壊できる力を抑えられること無く行使可能な存在と相対して、これから尋問せねばならない。


 ──こんなのの相手をするなんて聞いてない!


 この危険人物を相手に喧嘩を売るような真似を、簡単に命令してきた上司に怒りをぶつけたい気持ちと、尋問せねばならない恐怖に──私の心は折れてしまった。 



 草を炙るなんとも耐えがたい異臭の中、青い顔をしたエミリアはくず折れるように腰を地面に落とした。


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