最終話

 帝国と王国を繋ぐ唯一の大河に強大な魔獣が現れたのは、一週間程前のことだった。

 便数が減りはしたものの、帝国船はまだ王国へと行き来はしていたのだが、突然王国との国境付近の水面が盛り上がり、視界を埋め尽くす高さへと持ち上がった瞬間、凄まじい魔獣の咆哮が響き渡った。

 豪雨のように降り注ぐ水とあまりに巨大で凶悪なその姿に船員達は悲鳴を上げ、激しく揺れる水面に身を弄ばれながらも這々の体で方向転換をし、帝国へと引き返したのだった。

 幸いなことに魔獣は追ってくることはなく、距離が離れて振り返った時にはすでに水面へと沈んでその姿は消えていた。

 港へと戻った船員達は震えながら上司に報告をし、上司からさらに上へ、領主へと伝わり、冒険者を雇って様子を見、倒せそうならば倒してもらおうと討伐依頼を出したのだが、最高ランクの冒険者は報酬が馬鹿高い為、領主は中堅どころの冒険者で妥協し、船で送り出した。

 報告の為別の船で随行していた船員の報告によると、現れた魔獣に果敢にも戦いを挑んだ冒険者達だったが、上空から雷が落ちてきて、船ごと感電し丸焼けになって水面へと消えたという。

 彼我の戦力差すら読めぬ冒険者が悪いのか、それともケチった領主が悪いのか。とにかく、最高ランクの冒険者に改めて依頼したものの、話を聞いた勇者の末裔は渋い顔をして断ってきたのだった。

「帝国東、別大陸から来た我々の先祖が、魔王討伐後何で帰れなくなったかご存じで?」

 そう言われ、領主は顔を顰めた。

「当然知っている。海と空に強大な魔獣が突如出現、し……た…、」

 言葉を途切れさせ、血の気の引いた領主に向かって頷いて見せ、勇者の末裔たる最高ランク冒険者は重々しく溜息をつくのだった。

「あの国の連中が、重大な何かをやらかしたからじゃないんですか。魔王はもはやいなくとも、あの国には龍の末裔がいるでしょう」

「ま、まさ、か、そんな…」

「かの末裔の一族が、あの国を捨てたという話は世界中に広まっている。知らない者はいません。東の海に倒せない程の強大な魔獣が現れたのは、魔王の怒りだという説があります。ならば今回の魔獣もまた、龍の…神の怒りに触れたからではないんですか。お断りさせて頂く」

「ま、待ってくれ。帝国に、この港まで来るということはないのだろうか…?」

 打って変わった領主の弱々しい態度を哀れに思った勇者の末裔は、優しく微笑み、声をかける。

「しばらく様子を見ましょう。おそらくあの国に関わろうとしなければ大丈夫です。魔獣は追っては来ないんでしょう?なら、刺激せず放置するのが一番ですよ」

「…わ、わかった。しばらく様子を見よう。王国行きは取りやめだ。…ここ最近は民の乗船もないようだし、潮時ではあったからな…」

「それがいいでしょう。もし魔獣に動きがあるようでしたら、改めて話をお聞きします」

「ああ、よろしく頼むよ」


 帝国からの船は途絶え、王国からの船が帝国に辿り着くことは二度となかった。




 


「思ったより順調で、怖いくらいだな」

 そう呟いたのは商業国家の元首執務室に赴いていた元公爵家当主である。

「素直に喜んだらどうだ?議長。王国から訪ねて来る者はいないんだろう?」

 コーヒーカップ片手に返すのは、商業国家の元首である。

「まぁね。一人もいないのは正直拍子抜けだよ。辿り着かれては迷惑だから山中に屋敷を構えたというのにな。…それにしても、議長というのは呼ばれ慣れないな」

「ははは、新たにバージル王国以外の国家で築いた国際平和機構の議長だ。…どこの国の公爵にもならないって断ったんだから、皆の代表として頑張るくらいはしてもらわないとな」

「やれやれ…」

「やってることは今までと変わらんだろう。国家間の調整だ」

「まぁそうなんだがな」

「正直商業国家としてはありがたいよ。どこかの国に所属されるより、気軽に話もできるというものだ」

「確かにな。娘に会いに来るのも簡単でいい」

「…来すぎだよ。何で毎日来るんだよ。そんで娘に追い出されてこっち来るんじゃないよ。仕事にならないだろ」

「奥方が優秀だから大丈夫だろう」

「あらあら、私は別に構わなくてよ。議長夫人とお話できるもの」

「わたくしも楽しいからいいけれどね。あなた、今日の所はそろそろ帰らないと。ダニエルに仕事を丸投げしすぎよ」

「…わかったよ…」

 重い腰を上げて、挨拶を交わした後、議長と夫人が転移指輪を発動してすぐに姿はかき消えた。

「過保護過ぎだろう…」

 元首の呟きに、妻はただ微笑む。

「王家に入っていたら気軽に会えなかったんだもの。これくらいは許してあげましょうよ。もうしばらくしたら落ち着かれることでしょう」

「そうだといいが…」

「今はあなたも私も、議長夫妻もただ温かく見守る期間よ」

「そうだな…」

 窓の外を見やれば、ちょうど休憩時間なのだろう、庭園を散歩している息子と将来の義娘が見えた。

「…幸せになってくれたらそれでいいな」

「ええ、本当に。それが一番」

 見守る視線を受けながら、リオンとエレミアは腕を組んで庭を歩く。

 日差しは随分と強くなり、初夏と呼べる季節になっていた。

 緑濃く茂る葉と、鮮やかに咲く花々を見やり、エレミアは目を細める。

「暖かくなってきたわね」

「この国の夏はそこそこ厳しいぞ。倒れないよう、暑さに馴らしていかないとな」

「まぁ、そうなの?…ああ、でも考えてみたらわたくし、あの国にいた頃あまり出歩いていなかった気がするわ」

「貴族令嬢はそんなものだろう。今は仕事で外出が多いからな。日焼けも気をつけないと。あとで痛い思いをする」

「そうね、対策を考えないといけないわね」

「外出自体が嫌でなくて良かったよ」

「まぁ、わたくし仕事、とても楽しいわ!外出も、あなたと一緒だもの。全く苦じゃなくてよ」

「そうか、ならいい」

 見つめてくる優しい瞳に笑みを返す。

 あの国を出てから数ヶ月、商業国家で仕事をするようになってから、豪奢なドレスを着ることは滅多になくなってしまった。

 仕事の時には動きやすいよう、可愛いながらもタイトめな足首までのシンプルなドレスを着、ブーツを履く。男はスーツである。商業国家は十九世紀頃の英国といった雰囲気であり、近代化が進んでいた。

 他国へ行く際にも、基本的には商業国家の正装で行く為、元公爵令嬢の肩書きなど使う所はもはやないとさえ言える。

 各国でお世話になった王子達には報告をし、これからもよろしくと言えば複雑な表情を浮かべながらも「自由になっておめでとう」と言ってくれたので、これからも親戚付き合いは続いて行く。

 多少王子達とは関係がぎくしゃくはしているものの、どこの国も良好と言える。

 リオンと色々な国を回り、商談する。

 前世の知識を生かすこともあり、新たなことを学ぶ機会も得る。

 毎日がとても充実しており楽しかった。

「この国で仕事ができて嬉しいわ。本当にありがとう、リオン」

 婚約してから、さすがに「兄様」呼びはやめてくれと言われ、名前を呼ぶことにしている。

「こちらこそ、この国に来てくれてありがとう、エレミア」

 同じように笑って返してくれる彼は、ずっと誠実で優しいままである。

 結婚後に豹変しませんように、とだけ、今は願う毎日だ。

「すっかりあの国のことを思い出すこともなかったけれど、ドラゴン・ハートがあるし、贅沢しなければ生活はできるわよね」

「ああ。あれは万能食だからな。本当に素晴らしいものだ。あの国の民は公爵家に感謝して生きないとな」

「ふふ、もうそんなことはどうでもいいけれどね。変に絡んでくるような人もいないし、…あ、もしかしてリオンが気を遣って遠ざけてくれている?」

「いいや、特に何もしてないよ」

「そっか。ならいいわ。魔虹石がなくなっても、あの国には恵みがある。贅沢をしなければ自給自足もできるもの。それが彼らが選んだ未来なのだから、幸せになって欲しいわね。いざとなれば帝国に助けを求めることも考えるでしょうし」

「ああ、エレミアが気にかける必要なんてないさ。彼らは彼らで生きていく」

「そうね。わたくし達は、自分達の幸せを考えなければね」

「そうそう、俺と、君の幸せだ」

 山の上の祭壇に魔力を流すのは、婚姻後にしようということになった。

 初代の呪いはないけれども、やはり幸せを実感したいのだというエレミアの言葉に、リオンは一も二もなく頷いた。

 数年遅れた位で枯れるような鉱山ではないので問題はない。

 あの国とは違うのだった。

 エレミアが儀式を行ってくれるから、リオンは己の力を違うことに使うことができた。


 あの国の奴らは、二度と外には出て来れない。


 選択する機会は何度もあった。

 あの国を選択したのは彼ら自身である。

 平民の中でも、説得に応じることなく残ることを選んだ者は多くいた。

 自らの選択だ、後悔はあるまい。

 

 後悔しても、もう遅い。






「婚約破棄されて良かった。わたくし、本当に幸せよ」

「ああ。俺も幸せだ」






 そして王国は忘れられ、やがて地図上からも姿を消した。


 

END    

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【完結】婚約破棄、承りました。わたくし、他国で幸せになります! 影清 @kagekiyo3988

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