27.

 新居は山の中にあった。

 朝起きて窓の外を見たエレミアは驚きの声を上げ、メイドに心配されてしまった。

 標高は随分高そうであるが、空気が薄いとは感じないので、そこそこの山の中腹付近なのだろうと見当をつけたものの、周辺は森林であり、見下ろす地上は遙か遠い。屋敷周辺は地均しがされ草原や道が作られてはいるものの、地上へと向かう道はないように見える。

 逆側を見れば山である。

 切り立った崖がそびえ立つが距離があり、大きな湖があるので万が一落石があったとしてもここまで来ることはないだろうが、それにしても首が痛くなる程見上げても頂上は見えなかった。

 

 まさか、こんな所に新居があるとは。


 エレミアは驚いたし、長兄夫妻もまた同じように驚いていた。

 すでに昨日一通り見て回っていた次兄と妹はにこにこと笑い、リオンはすでに見たことがあるようで冷静だった。

「今まで住んでいた城よりは随分こじんまりしちゃったけれどね、わたくしここの方が好きだわ」

 母は上機嫌であり、父もまた同様に笑っていた。

「庭園もあるし畑もあるし温室もある。牧場はないが馬場もある。遠乗りも可能だぞ。と、いっても湖の向こうは山だしどこまでも行けるわけじゃないが。だが土地は広いし閉塞感はないはずだよ」

「閉塞感というなら、あの国の方が余程でしたよ」

 長兄の言葉に家族は笑う。

「違いない。麓までは転移装置を使う。街の小さな屋敷に管理人夫妻を置いていてね、届け物や何か用件があればそこへ来るようになってる。使用人の出入りもそこからだ。ここに入れるのは許可した者のみだよ」

「それは安心ね」

「ここに至る道もない。…いや、あったんだが潰した。ここは観光地でもないし、地元の人間もここまでは登って来れない。新天地として、これ以上ない場所だろう?」

「秘密基地みたいね!」

 妹の言葉に微笑んだ。

「ゆっくり探検してくれ。夕食はまた共にしよう」

「お父様、お母様、お仕事?」

「仕事というよりは、各国に挨拶周りにね。もう我々は公爵家じゃないからな」

「そういえばそうね、平民になったのね」

「はは、そうだな。まぁ今までと何も変わらないんだが、引っ越しもしたことだしね」

「姉様にうちの公爵にならないか、としつこく誘われていてね~。帝国も皇国も。お断りするのが大変なのよ」

 母の言葉に納得した。

 我が家を是非とも引き込みたいと考えるのは、どの国も同じらしい。

「ここは商業国家ファーガスの土地だし、本来ならファーガスに移住という形になるんだが。まぁ皆とは仲良くしたいからな。話し合いをしないとね」

「頑張って下さい」

「ああ、ありがとう。じゃぁ、また夜に」

 長兄夫妻は妹に屋敷を案内してもらうと言って出て行き、次兄は仕事があるからと聖王国へと戻って行った。

 リオンが一通り屋敷を把握しているというので案内を任せ、二人でぐるりと歩く。

「春先とはいえ、山中だし寒いだろう。大丈夫か?」

「ええ、しっかり着込んでいるから平気よ。桜はもうちらほらと咲いているのね」

 遠く山中に見える桃色はまだまばらであるものの、先が楽しみになってエレミアが言えば、リオンは頷いた。

「あれは早咲きのものだな。ここは麓より気温が低いから、少し遅れて咲く」

「楽しみだわ」

「そうだな。湖で遊泳も出来るし、船遊びも出来る。キャンプも出来るし、季節によって山も姿を変える。まぁ、のんびり過ごすには良い所だろう」

「仕事に疲れても、ここで癒されればいいのね」

「そうだな」

「ああ、リオン兄様。卒業式、来てくれてありがとう。きちんとお礼を言おうと思っていたのよ」

「お安いご用というやつだ。何かあればいつでも俺を呼んでくれ」

「ありがとう」

 この屋敷はコの字を傾けたような形になっている。正面から見て英国庭園を囲むようになっており、右の建物が家族用、左の建物が客人用、正面が執務室や食堂など、一同が会するように出来ていた。

 客人が果たして今後どの程度訪れるのかはさておいても、以前の城に比べればシンプルにまとまった印象である。

 建物の周囲にはさらに庭園、畑、温室、厩舎や四阿などがあるが、最低限だと感じる。周囲の土地が広大に過ぎ、見渡す限りの草原と森林だ。

 いずれ必要になれば建物や施設は増えていくのだろう。それでいいと思ったし、これで十分だとも感じる。

 これからは長兄夫妻や、この家を継いでいく者達が作り上げていくのだ。

 妹はどこを案内しているのか、長兄夫妻に出会うことなく、少し歩こうと言うことで湖の畔までやって来た。

「夏になったらここに四阿でも作るといいかもしれないな」

「そうね、日差しもあるし、ゆっくり座れる場所があるといいわね」

 ちょうど腰掛けられる大きさの岩場があったのでそこに並んで腰掛け、太陽光の反射する湖面を見やった。

 水面を撫で吹き抜ける風はまだ冷たい。

 首を竦めて身震いすると、リオンからマフラーを渡された。

「風邪を引く。巻いておけ」

「…リオン兄様が寒くない?」

「鍛えてるからな、大丈夫」

「ありがとう」

「少ししたら戻るか」

「ええ、…せっかくだからリオン兄様。話を聞いてくれる?」

「ああ、前言っていたやつだな」

 軽く頷いてくれる男に微笑みかけ、エレミアは湖面へと視線を移した。

「わたくし、少なくとも二年か三年は仕事に集中したいわ。結婚しても仕事は続けたいし、子供が産まれても仕事は続けたいと思うと思う。リオン兄様のご両親や、わたくしの両親のように。…それでも、いいかしら?」

 拒絶されるとは思っていないが、それでも顔は上げられなかった。

 嫌な顔をされたらどうしよう、と思ったからだ。

 だが手を取られ、視線を上げるとそこには優しく微笑む男の顔があった。

「俺と一緒に?」

「…ええ、そうね。リオン兄様と一緒に」

「婚約だけは先にしておいていいか?取られたら困る」

「取ら…れないと、思うけれど、リオン兄様が望むなら」

「良かった。そんなの、大歓迎だ。エレミアが一緒に生きてくれるなら」

「…ありがとう」

「こちらこそ。ああ、諦めずに待っていて良かった」

「ふふ、待っていてくれてありがとう」

「帰ったらさっそく婚約の準備をしないとな。よし、そうと決まれば義兄殿に報告だ。戻ろうか、エレミア」

「ええ」

 しっかりと手を繋ぎ、エレミアのペースに合わせて歩いてくれるリオンは優しい。

 エレミアを大切にしてくれる。

 それでいいじゃないか、と思う心と同時に、聞いておきたい謎が頭を掠めるのだった。

「リオン兄様」

 声をかければ、温かな視線が返る。

「どうした?」

「…リオン兄様は、どうして魔虹石を魔王が創ったことを知っていたの?お父様も歴代の公爵も、魔虹石は元からあったものだと認識していたのに」

「ああ、そのことか」

「初代虹色の瞳の娘も、魔王が創ったとは言っていないはず」


「俺が魔王だから」


「……」

 もしや、と思っていた答えを聞き、なんと反応していいものか悩む。

 エレミアに前世の記憶があるのだから他にいてもおかしくないし、聖王国で見た絵画の魔王の外見と、似ていると言えば似ている気もした。

「正確には、魔王だった記憶があり、時々人間に生まれてはこの大陸の様子を見ていた」

「…そう、だったの」

「信じてくれるんだな、こんな胡散臭い話を」

「リオン兄様は、わたくしに嘘をついたことはないもの。信じるわ」

「っふ、そうか。嬉しいな」

 屋敷までの均された道を歩きながら、リオンは視線を前へと向けた。

「人間の器に魔王の力は過ぎたる物でな、転生の度に手放して、今では魔力量はエレミアと同じくらいかな」

「わたくしと…」

「初代の娘は人型を取れるだけの人外で、人間と結ばれ人間の子を産む為にはやはり力を手放さねばならなかった。そこで利用したのが鉱山とドラゴン・ハート。あの果物はあの地にある限り、種を蒔けば恒久的に育つよう力を使った。あとは加護だったり、四代に一人虹色の瞳の娘が生まれるよう祝福をかけたりだな」

「そうだったの…あら?ここの畑にあったのは?」

「子孫に恩恵がないわけがない。公爵家直系の魔力があれば、ドラゴン・ハートはどこででも育てられるさ」

「そうか…そうよね」

「魔王は勇者一行を利用しようと考えた。この大陸の維持管理を全て押しつけ、自分は逃げようと。精神的に病んでいたんだろうな。眷属であるはずの魔族は当てにならないし、孤独すぎて疲れてしまった。…投げ出して逃げ出した魔王を、卑怯だと思うか?」

「いいえ、後継が見つかったのなら、構わないんじゃないかしら。永劫一人で管理しろだなんて、わたくしも嫌になると思うわ…」

「そう言ってくれてありがたい。魔王は後を託して逃げた。幸いこの大陸には、勇者一行が連れてきた別大陸の人間達が大勢いたから、人間として転生し、様子を見守ることくらいはしようと考え、実行した」

「商業国家建国に関わったのはもしかしてリオン兄様?」

「ああ。ちょうど公爵家に近い所に生まれて、魔虹石を発見してもおかしくない立場にいた。一平民だと横取りされて殺されかねないが、公爵家ならば上手く使える。俺は自分が魔王だったと言うつもりはないし、無茶なことをするつもりもないんだ」

「ええ、トラブルの元だもの」

「わかってくれて嬉しいよ。公爵家の権力を使ってあの国の王宮の祭壇を分析し、龍の使った術式を解析した。あの山の上の祭壇を作り、百年に一度元首一族に生まれるよう調整しながら今に至るというわけだ」

「…初代の娘を知っていたの?」

「いいや。その龍が来たのは魔王が死んで随分経ってからだろう?会ったこともないし見たこともない。向こうはこの大陸のことを知っていたかもしれないが、存在の格としてはおそらく向こうが上だろう」

「そうなんだ…」

 少し安堵した。

 『虹色の瞳の娘』だから好きになったと言われたら、複雑な気持ちになったろうから。

「山の上の祭壇に呪いはない。力を流し込んでくれるだけで問題はないから、安心して欲しい」

「王家が裏切らないように、というやつね」

「ああ。人間になった俺の魔力で維持できるよう最適化しているから大丈夫さ」

「わかったわ。…ねぇリオン兄様、最高ランクの冒険者の方々って、勇者の末裔って言っていたけれど、もしかして…?」

「強さに驚いただろう?あれは勇者一行の生まれ変わりというやつさ。記憶はないようだがな」

「ああ…そうだったの…」

「直接見えたことがあったから、魂の形を記憶していた。見つけたのはたまたまだったが、まぁ鍛えれば使えるかと思ってな」

 ピンポイントで彼らを見出したと聞いてから、ずっと気になっていたことだった。

 彼が魔王だったというのなら、彼らもまた勇者一行であったとしてもおかしくはないのだ。

 記憶のない彼らを見て、リオンは何を思うのか。

「…リオン兄様は、何度も転生していて辛くはないの?疲れたりしない?」

 この大陸を『見守る』と言葉で言うだけならば簡単だが、それで何度も人間として生き、そして死んでいるのだった。

 魔王の頃のように、孤独で疲れたりはしないのだろうか。

 愛する人との別れを何度も経験するなど、辛くはないのだろうか。

 言えば、リオンは嬉しそうに目を細め、声を上げて笑う。

「心配ない。ここ三百年程は祭壇のことがあるから定期的に転生していたが、その前は適当だった。適当に生きて、適当に過ごしていた。エレミアが心配するようなことはないさ。むしろ、今この生でエレミアに出会えて最高に幸せだ」

「…リオン兄様…」

「魔王だった頃にそういう相手がいればまた違った結末があったのかもしれないが。…まぁ、今更言っても詮無きことだな」

「…わたくしも、リオン兄様と一緒にいられて幸せよ」

「ああ、本当に幸せだ。結婚までが待ち遠しいな」

「ふふ」

 互いに幸せなのが一番だ。

 笑い合いながら屋敷に戻り、長兄に婚約のことを報告すると「えぇーーーーー早過ぎるぅー!」と叫ばれてしまったのは、後の笑い話である。

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