25.
卒業式当日は穏やかな気候であり、快晴だった。
午前の卒業式は制服で参加し、夕方からの舞踏会はドレスに着替えて参加する。
リオンは午前中からずっと付き合ってくれており、申し訳ないと思うと同時に嬉しかった。
夢の中のエレミアは、両親もおらず長兄夫妻も遅れてくるという有様で、一人寂しく大講堂に入って行き、皆の嘲笑混じりの視線を浴びて心細い思いをしていた。
それに比べれば隣にいてくれるリオンのなんと頼もしいことか。
長兄夫妻も共に馬車で学園まで向かってくれるということで、エレミアはとても温かい気持ちになるのだった。
両親は王宮での用事が済み次第新居へと向かう。
使用人達もこの国の者以外は皆連れて行くと言うことで、本日この国の使用人達には休暇を与え、余計な詮索をされないように配慮していた。
この国に転移装置は存在しない。
あるのは我が公爵家にのみである。
かつて転移装置が開発された時、公爵家は真っ先に王へと奏上したのだが、「何故歩こうとしないのか、何故人力を使おうとしないのか。豊かさの象徴とは、資源を豊富に使用してこそである」と一笑に付されたのだという。
資源とは、人的資源のことである。
大勢の使用人に傅かれ、馬車を整え、時間をかけて出かけることこそが贅沢であるというのだった。
それも一つの考え方ではあるのだが、公爵家はそれではない。
故に転移装置の輸入は諦め、公爵邸内のみで使用していた。
無論、この国の使用人達の目に留まるような迂闊な真似はしていない。
それどころか、この国には魔道具すらも存在しないのだ。
転移装置が出来たのは二代前の当主の時、最初の魔道具「ランプ」が出回り始めたのはバージル王国建国から数百年経ってからであるのだが、魔道具の時にも全く同じことを王に言われ笑われたというのだった。
その話を聞いてリオンは爆笑し、「まぁ、それで国が回っているならいいんじゃないかな」と突き放した発言を残した。
その通りだとエレミアも思う。
必要としないのならば、別に構わないではないか。
私達は必要だから使う。それだけの話だ。
公爵家にしても、国が必要としていないのだから、私達は好きに生きる。
それだけの話なのだった。
リオンにエスコートされて入った大講堂は、夢の中とは雰囲気が違った。
皆の視線は隣の男へと釘付けだ。
エレミアは学園に通っているそのままに、ドレスやアクセサリーは立派だが、髪型と眼鏡はいつも通りで顔を隠しているのだから当然と言えば当然だった。
一人寂しく入場してくる公爵令嬢を嘲笑ってやろうとしていた面々は、ただ呆然と目と口を開け、リオンの美貌に見惚れている。
着飾ったリオンは確かに神々しい、とエレミアも思う。
まっすぐ視線を合わせるとうっかり照れてしまう程に。
当の本人は涼しい顔で突き刺さる視線を全て受け流しており、慣れているのだと知れた。
美貌で知られる長兄夫妻ですらも、存在が霞む。
圧倒的に人外とも言える存在感に、ただ誰もが凝視する。
不自然に沈黙が落ちる中、王太子殿下のおなりであった。
エレミア達が端に避けたと同時に扉が開き、王太子と伯爵令嬢が仲睦まじく腕を組んで入場してきた。
ゆっくりと見せつけるように講堂内を見渡しながら歩き始め、クラスメート達が話しかけるのを鷹揚に頷いて返している。
本来であれば婚約者であるエレミアが伯爵令嬢の位置にいるべきであるし、何らかの事情で一人だけ別入場になったのなら、公爵令嬢の方から王太子へと挨拶へ向かうのが礼儀と言えば礼儀と言えたが、エレミアは動かなかったし、隣に立つリオンもまた動かず傍観していた。
長兄夫妻もまた同じように気配を消しながら傍観しており、クラスメートに囲まれた王太子と伯爵令嬢は気づくことなく通り過ぎて行った。
「…あの令嬢のドレス、一年程前に帝国で流行した型だな」
「王家は帝国式のドレスがお気に入りなのですよ」
リオンの呟きに義姉が答え、長兄は興味なさげに令嬢を一瞥しただけで視線を逸らした。
鮮やかなスカイブルーの生地はおそらく王太子のくすんだ蒼の瞳の色を模したのだろうが、白のフリルが胸元から腰、足下にかけて広がるようにふんだんにあしらわれ、濃いブルーの腰リボンは後ろで蝶々結びにされていた。両肩はパフスリーブになっていてボリュームがある。袖口にも白いフリルで、可愛いといえば可愛いのだが、エレミアの個人的な好みで言えば、今日着ている義姉と色違いでお揃いのマーメイドラインのすっきりとしたデザインの方が好きだった。
「帝国ではクラシカルなデザインが流行していたが、今はまた変わっているだろう?」
長兄ダニエルの発言に、リオンが頷く。
「そうだな。今は夫人やエレミアが着ている我が国発の、流線型が美しく見えるタイトなデザインが大流行中だ」
「だよな。王室御用達の業者は、連中に好きに選ばせているからああなったんだろうな。我が公爵家はここ百年程関知していないから」
「ふふ、よろしいじゃございませんか。気に入って着ているのなら、それが一番ですわ」
扇子で口元を隠しながら、義姉が笑う。
「まあ…そうか。そうだね」
長兄は素直に頷いた。
好きにすればいいのである。
長兄夫妻は辛辣であったし、リオンもまた同じく肩を竦めるだけでそれ以上の発言を控えた。
周囲に見送られる形で大講堂の壇上へと上がった王太子と伯爵令嬢に注目した参加者達は沈黙し、発言を待つ。
王太子は大げさに一つ咳払いをして、声を張り上げた。
「無事、卒業式を終えられて良かった!この舞踏会は無礼講である!好きに過ごしてくれたまえ!」
大歓声と拍手が巻き起こるが、エレミア達は呆れと羞恥に顔を上げることが出来なかった。
無礼講でいいわけがない。
あんな男がこの国の王太子なのである。
少なくともこれまでこの国の貴族として、仕えてきた身としては居たたまれないにも程があった。
何より、あの発言を恥ずかしいと思わない周囲の者達の反応にも呆れてしまう。
これが、この国の現状なのだった。
「っふ…ッお、おもしろいな、この場であんなジョークが言えるなんて、大物じゃないか」
「ジョークじゃないのよ、リオン兄様…」
あれは本気で格好いいと思って言っているのだ。
さよなら出来ると思えば、清々しい。
少しくらい、不快なことがあっても我慢できる。
ダンスが始まり、王太子と伯爵令嬢は揚々と中心を陣取ってファーストダンスを始めた。
いつものことなのでどうでもいいことだが、これを許してきてしまった公爵家のやる気のなさにも、責任はあったのかもしれないと思わないでもない、…が。
いや、無駄だな、とエレミアは思う。
百年近くをかけて公爵家は存在感を消し、堂々と軽んじられる立場を自ら作り上げてきたのだから、突然抗議をし、存在感を示してしまったら、今までの努力が水泡に帰すことになる。
王家自身に自らを律する気持ちがない以上、何を言っても無駄であるし、公爵家の存在感がなくなったからといって蔑ろにしていい理由はないのである。表に出なくなっただけで、裏ではずっとこの国を支えてきたのは事実であるのだから。
もし表に立って存在感を示すとすれば、エレミアが王太子を心から愛していた時だけだと、両親も言っていたではないか。
「エレミア、せっかくだから踊らないか?義兄上達も」
「え」
「こら待て、リオンに義兄と呼ばれる筋合いはないよ!」
「あらあら、まぁまぁ」
エレミアの手を取り、ダンスの輪に加わって踊り始めるリオンはそれはもう美しい顔に笑みを浮かべて、真っ直ぐ見つめてくる。
「前髪と眼鏡で、リオン兄様のお顔がよく見えなくて良かったわ。家族以外とダンスなんて、殿下との義務でしか踊ったことがないもの」
「緊張する?」
「ええ、とても」
「その割にはとても上手だ」
「ふふ、ありがとう」
周囲からはリオンを見て感嘆の溜息が漏れ聞こえていた。
王太子と伯爵令嬢もさすがにこちらに気づいたようで、エレミアと踊るリオンを二度見していた。
あれは誰だ、と誰もが囁き、そして共に踊っている公爵令嬢を見て「何であんな女と」と呟くのだ。
まぁ、不釣り合いに見えるでしょうね、と思いながらも、ダンスはとても楽しいものとなった。
義姉と相手を変えて、長兄とも踊る。
兄は感慨深げに目を細め、溜息混じりに呟いた。
「もう卒業なんだなぁ…」
「そうよ、ダニエル兄様」
「これからもまだ一緒にいられるなんて、本当に嬉しい」
「…もしかしたら、王家に嫁いでさようならだったものね」
「縁起でもないことを言わないでくれ。お前まで先代のような目に遭ったらと考えるだけで泣きそうになる」
「…もう大丈夫よ、ダニエル兄様。そんな未来はもうないもの」
「ああ、そうだね。本当に、良かった」
「後は彼らの茶番を見届けて、帰りましょう?」
「…不快な茶番だが、それも最後だと思えば耐えられるな」
「ええ。最後だものね」
ダンスを終えて飲み物を飲みながら、四人揃って壁の華になっていれば、さすがに誰も話しかけては来なかった。
物問いたげな視線はたくさんリオンへと突き刺さっているが、彼は全てを無視し、エレミアと長兄夫妻にしか視線を向けなかった。
かつて女遊びの派手な男だったことなど微塵も感じさせない徹底ぶりに、エレミアはあの日言った言葉を実行しているのだろうと思うと安心する。
浮気を疑われるようなことはしない、と。
嬉しかった。
王太子や伯爵令嬢からも視線は感じるのだが、エレミア達は徹底的に無視をしていた。
「無礼講」だと言ったのは彼自身である。
それを実行に移し、挨拶にも出向かないだけの話である。
どうせこの後、彼の渾身の見せ場があるのだから、今くらいは放っておいてくれというものだ。
その後王太子達はいつ見せ場を持ってくるかと思案しているのだろう、落ち着きなくそわそわしだし、周りを囲んでいるクラスメートやその親達への返答がずいぶんとおざなりになってきた。
「…そろそろかな」
リオンが呟き、ダニエルが頷く。
「場がだらけている。主催者の怠慢だが…見せ物にはいい頃合いだろう」
「エレミア・デューク!前へ出ろ!!」
「犯罪者かよ」
リオンの素早いツッコミに、思わずエレミア達は吹き出した。
王太子と伯爵令嬢は壇上に上がり、高い位置から見下ろしながらこちらを睨みつけていた。
「いやだわぁ。こちらを睨みつけてますわ。わたくし、怒りでどうにかなりそうですわぁ」
おどけた口調で囁く義姉に、せっかく整えた表情が危うく崩れる所であった。
「デューク公爵家の連中も前へ出ろ!!」
高圧的に叫ぶ男に、長兄が眉を顰めた。
「はぁ全く、我慢我慢…」
家族がいてくれて良かったと思う。
隣にリオンがいてくれて良かったと、心から思う。
公衆の面前でエレミア一人が吊るし上げられる夢の中は、不快であると同時にやはり孤独と恐怖があった。
エレミアは今、一人じゃない。
リオンに優しく手を差し出され、エスコートされて前へと出る。
すぐ後ろには長兄夫妻もいて、こんなに心強いことはなかった。
誰もがリオンを見て騒めくが、王太子が指を指して怒鳴りつけたことで静まった。
「その男は誰だ!不貞を働いたか、この淫売めっ!!」
どの口が言うのだろう、と思う。
貴方が腰を抱いて愛しげにしている伯爵令嬢は一体何なのか。
「わたくしの親族でございます。婚約者からのエスコートがございませんでしたので、お願いしたのですわ」
「うるさい!聞かれたことにのみ答えろ!!」
うるさいのは、貴方ですよ。
扇子で口元を隠してひっそりと溜息をつく。
慰めるように腕を組んだ手を撫でられ、少し不快が和らいだ。
「それで、このようなおめでたい場で我々を呼びつけて晒し者にするその意図を、お話し頂けますかな」
長兄の口調はひどく冷たい。
背後にいる為表情を窺い知ることは出来ないが、おそらく凍える程に冷たい瞳をしているだろうことは想像がついた。
両親の話によれば、最初王は婚約解消を渋っていた。
だが王太子と伯爵令嬢の不貞、先代虹の瞳の娘の件、そしてエレミアへの暴行と暴言の件を持ち出すと、途端に態度を変えて来たのだという。
そこまで言うなら解消してやっても良い。
だが条件を飲めと言うのだった。
鉱山を寄越せ、自分達から婚約を辞退したことにしろ。
公爵家の非であることにしろ。
卒業式後の舞踏会で王家に非はないことを主張するから、それを認めろ。
一方的に悪役になれ。
言葉はもう少し丁寧に飾られていたらしいが、要約すればそんな内容だったという。
一方的過ぎて、もはや笑うしかない。
だが公爵家にとっては渡りに船だったので、しおらしく振る舞いながら、公爵の地位を返上し、娘の療養の為国外に出る、と言う所まで取り付けたのだった。
王は拍子抜けしたような表情をした後、もはや発言を取り消せない現実に苦渋の表情のまま認めたのだという。
おかしな話だ。
公爵家がその条件を飲むわけがないとでも思い込んでいたかのようだ。
縋りついて来るなら王家有利の条件を出して妥協してやってもいいとでも考えていたのだろうが、そうは問屋が卸さない。
王家側としては目の上のたんこぶ状態だった公爵家と縁が切れて万々歳であり、公爵家側としてもこの国と縁が切れて万々歳だろう。
両者ともにハッピー。言うことなしだ。
あとはこの王太子が上記内容をどのように伝えてくるかが気になる所である。
講堂内は静まり返り、王太子が何を言うのかと固唾を飲んで見守った。
皆に注目されていることに気づいた王太子は大げさに咳払いをしてみせてから、胸を張った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます