24.
王宮内を歩く王太子ウィリアムは、ご機嫌だった。
父の執務室を出て自身の執務室へ向かう足取りも軽く、鼻歌を歌いながらの退室である。
付き従う従者も護衛騎士も怪訝な表情を隠しもしないが、王太子が気づくことはない。
「ウィル様、ご機嫌がよろしいのですわね」
ちょうど王太子の執務室へと向かう途中だった伯爵令嬢と曲がり角で出会い、王太子は満面の笑みを浮かべた。
「ああ、ベル!ちょうど良い所に!」
「まぁ、どうされたんですの?」
「執務室へ行こう!君に話さなければならないことがあるんだ!」
「喜んで。ちょうどクッキーを焼いて参りましたの。どうぞ召し上がって下さいませ」
「ああ、君の手作りは美味いからな。ちょうどあの公爵家から皇国の希少な茶葉が献上されたんだ。一緒に飲もう」
「嬉しいです!」
伯爵令嬢が持参したクッキーが実は自邸の料理長が作ったものであることなど、王太子にはわからない。美味ければ文句はなく、美しければなお満足だった。
ベルは王宮の執務室まで出入りが許される仲になっていた。
本当は自室まで行きたい所だが、婚約者ではない為さすがにまだ許されない。
王妃はこの国で特別扱いされ、思い通りにならない公爵家を毛嫌いしており、娘をいじめ抜いていたが、伯爵令嬢は遠縁の娘ということもあって可愛がっていた。
学園で懇意にしているとはいえ、立場を持たぬ伯爵令嬢が執務室に出入りできるようになったのは、ひとえに王妃の一声によるものだ。
応援されている、とベルは思ったし、王太子もベルに夢中である。
伯爵家は根回しに余念がなく、この国の貴族は大多数が伯爵家を支持してくれていた。父親である伯爵が、他国との貿易を取り仕切るシアーズ大商会の会長だから、ということもある。他国の商人が持ってくる品を、我が国に輸入するかどうかは父親次第なのだった。
実の所その「他国の商人」は公爵家が寄越しているのだが、そんなことベルは知りもしない。父親も外国資本の商社から来ているものだから、公爵家が介在していることを認識していなかった。
公爵家はこの国で、目立たないよう手を伸ばすことに終始してきた。
全ては、虹の瞳を持つ娘の為に。
この国の貴族はもはや、公爵家の恩恵など知りもしないのだった。
歴史でも確かに学ぶはずなのに、「でも今はね…」となるのである。
それこそが公爵家の狙いだった。
そんなことを知る由もない王太子と伯爵令嬢は、執務室に入るなり人払いをして熱い抱擁を交わした。
「もうすぐだ、もうすぐ君と婚約できるぞ!」
「まあ、本当ですの!?ウィル様!」
「ああ、父上に確認してきた。公爵家は鉱山を差し出す代わりに、娘を婚約者から外して欲しいとね」
「まぁ…?てっきりあの方はしがみついてでも、ウィル様と一緒になりたいとおっしゃるものかと…」
「ふふ、やはり体調を崩して弱っているらしい。他国でゆっくりと静養させたいんだと。王太子妃の職務はとてもじゃないが耐えられないから、と」
「そうだったのですか…けれど、「四代ごとの決まり」がございますでしょう?よく陛下はお許しになられましたわね」
「ああ。四代前に嫁いだ王太子妃の死について言及されたとおっしゃっていたな」
「確か…婚姻されてすぐにお亡くなりになったとか…?」
「良く知っているね。表には出ていないが、四代前も今の僕達と同じような状況だったようなんだ。僕には他に愛する女性がいるのに、無理矢理婚姻してもお互いに不幸になるだけだ、と。過去に何度も決まりについては反故にしようという話があったらしいが、そのたびになぁなぁで済ませていたようだ。どうせ公爵家が縋りついてきたのだろうが、ようやくそれを、本格的になくそうと言い出した」
「それを、陛下はお認めになったのですね…?」
「ああ。魔虹石の鉱山を差し出し、公爵の地位を返上するとね。だから反故にして下さい、だと」
「まぁ…!ついに、なのですね!」
「そうなんだ!四代前の娘がすぐに死んでも、全く我が国に変わりはない。そもそもの決まりが、単なる公爵家のわがままだった可能性もあるかもしれない、と父上もおっしゃっていてね」
「それが事実だとしたら、公爵家は建国時から今まで、どれだけの利益を享受してきたのでしょう…」
「本当それだよ。初代国王の手記を見ても、「兄との友好と国の発展の為に約束をした」、としか書かれていないんだ。儀式については「兄の言うことを聞くように」、とそれだけさ。眉唾物だと僕はずっと思ってたんだ」
「それでは、卒業式に間に合いますのね?」
「ああ、ああ!そうなんだ!具体的な契約書のやりとりは卒業式の日にやるらしい。そうしたら即、僕と君との婚約をさせて欲しいとお願いしておいたよ。舞踏会の断罪の時には、名実ともに君は僕の婚約者さ!」
「ウィル様…!わたくし、嬉しい…!」
「僕もだ。おまけに父上は、公爵に断罪式を行うことを認めさせて下さったんだ!」
「まぁ、それは…?」
「どうせ公爵を辞し、この国から出て行くのだろう?ならば最後にちょっと汚名を被るくらい、どうってことないじゃないか」
「…ということは、大義名分を得て、堂々とウィル様とわたくしは婚約し、皆に祝福してもらえる、ということですのね…?」
「その通りだよ、ベル!やっぱり君は賢いな!僕が選んだだけのことはある!」
「うふふ、ありがとうございますウィル様!」
「ああ当日が楽しみだ!あの気持ち悪い女の歪んだ顔が見物だな!」
「前髪と眼鏡でいつもお顔が隠れてしまって陰気ですものね。公爵家からは次期公爵夫妻がいらっしゃるのかしら?ふふ、そちらも楽しみですわね」
「ああ。公爵と父上は色々と手続きがあるからね」
「そうですわね。ああ、待ち遠しいです!ウィル様から贈って頂いたドレスを早く着たくて」
「君の為に選んだんだ。僕の瞳の色、ブルーのドレス。晴れ舞台だからね、素晴らしい出来になっていただろう?」
「ええ、ありがとうございます…!わたくし、ウィル様に愛されて幸せです…!」
「僕もだよベル。もう少しの辛抱だ」
「はい…!」
二人の世界は日が落ちるまで続いた。
二人は幸せだった。
卒業式後には晴れて婚約者となり、もっともっと幸せが待っているはずだと、信じて疑っていなかった。
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