23.

 学園の卒業式の日は確実に近づいてきている。

 まだ婚約者であるはずの王太子から、今までドレスの一着、アクセサリーの一つも贈られたことがない為、今回も当然ないものとして家族は用意をしてくれていた。

 ドレスは夢で見たものと同じ、王太子の色など一つも入っていない、クリーム色から虹色へと柔らかな光沢を放つ皇国産の蜘蛛糸を織り込んだ布で作ったドレスに、それに合わせた色合いのヒール。

 アクセサリーは夢とは違い、黒と金のチェーンに、中心には虹色に輝く魔虹石をあしらったネックレスだった。

 これはエレミアがリオンに、卒業式後の舞踏会、すなわちあちらが言う所の断罪の場に、エスコートして欲しいと頼み快諾された証の品である。

 ピアスも揃いで作られており、彼の拘りと誠実さを感じずにはいられなかった。

 卒業後には商業国家で働きたい旨を話し、慣れるまでは次期元首の秘書のような立場で同行して仕事を学ぶと言えば、家族は反対しなかった。


「仕事はいいけれど、転移装置があるのだから毎日ちゃんと帰宅すること」

 

 けじめはしっかりつけなさい、と言われてエレミアは納得したし、元首一家も頷いた。

 商業国家で暮らすのは結婚、という流れになってからと言われたが、それもまた公爵令嬢という立場としては当然のことだろうと思う。

 家族としては、即婚約結婚、と言い出さなかったリオンに好感を持ったようだった。

 元から優秀な人物として好感度は高かったが、エレミアに対して変わらぬ態度を見て、任せても大丈夫だと思ったらしい。

 各国で過ごした報告を聞いて、家族は皆渋い顔をしていた。

 聖王国と商業国家の二国で過ごした日々だけが平和で充実していたことを知ると、「親戚と云えども、外からでは見えないことはたくさんあるんだな」 と溜息をついていた。

 暮らすのならばその二国だろうと思っていたと言い、聖王国は次兄がいるから、エレミアはおそらく商業国家を選ぶだろうと思っていたとも言われ、それだけが理由ではないけれども、否定はしなかった。

「リオン兄様が、公爵家は国を捨てる為にわたくしが生まれた時から準備していた、とおっしゃっていました。…そうなのですか?」

 確認すれば、家族は皆素直に頷いた。

「先代の虹色の瞳の娘の死がきっかけだよ」

 そして父は真実を語ってくれたのだった。


 長い歴史の中、「四代ごとに王家に嫁ぐ」という決まりに反発する王太子も娘もいた。

 年齢が近く生まれるとも限らず、娘が十歳も年上だったり、逆に王太子が年上だったりすることもあった。

 中には別に好いた相手がいたこともあったが、決まりの為結ばれることはなく、先に生まれた方はただ待ち続けなければならないことに不満を持ち、決まりをやめようという話になったことは何度もあったのだという。

 公爵家側にそもそものメリットはない。

 魔虹石はあくまでも国の為の財産であって、公爵家が不当に扱ったことはなかった。

 最初の頃は国を豊かにする為喜んで身を粉にして働いて利益を還元していたが、年代が経つにつれ、この国は公爵家のみに依存するようになった。

 当時はそれでも大切に扱われていた。

 「公爵家は王家と対を成す存在」と王家自らが公言し、公爵家を最重要であると認めて接していたし、貴族も民も公爵家を敬っていた。

 だが「四代ごと」の決まりが拗れる事態になってくると、王家は次第に「王家と繋がれる確約があるのだから、いいだろう」と言うようになった。

 文句を言うな、と言い出したのは、数百年前の王家であったという。

 公爵家は憤慨したが、虹色の瞳の娘はとにかく美しく、気立てが良く、聡明な娘であった。

 王太子がどれほど文句を言っていようとも、娘を一目見れば次の瞬間には目の色を変え、「早く婚姻したい」と言い出すものだから、王家としては決まりを反故にする理由がない。

 だが困るのは娘が年上だった時で、一途な性質を持つ娘が「この人」と相手を決めてしまったらもう、揺らがないのだった。

 それを知っている公爵家は、娘を男と関わらないように細心の注意を払い、効果的なタイミングで王太子と合わせて恋に落ちるよう仕向けなければならないのだった。

 幸いにして、娘は優しい気質を持ち、寛容で、勝手に「この人」と決めてしまう悲劇は起こらなかった。生まれた時から「王太子と結婚をする」と決められていることを知った娘達は皆、誰かに恋をしようとはしなかったのである。

 何度か危ない事態はあったものの、先代までは何とかやってきたのだった。

 だが、先代の時に悲劇が起こってしまったのだった。

 娘は王太子より五歳年上だった。

 王太子が学園に入学した時にはすでに卒業しており、婚姻の日を待つ日々だった。

 王太子は見目麗しい青年に育ったが、性格には難があった。

 年上の婚約者を「ババァ」と呼び、相手にしなかったのである。

 娘の美しさを認めていたし、おそらく一目惚れでもあったのだろうが、それを認めようとせず、「ババァを相手にしなければならない俺、可哀想」と言いながら、同年代の貴族令嬢に手を出し始めたのだった。

 お気に入りは子爵令嬢であり、お気に入りから愛人の立場へと成り上がるのはすぐだった。

 正妃は公爵令嬢で決まっており、側妃を持つことはできない決まりだ。

 愛人ならばいいだろうと言い出し、公爵家の苦言は「結婚するのは正妃のみ。それで良かろう」と跳ね除けたのである。

 さらなる悲劇は、娘が王太子を愛していたことだった。

 どんなにつれない態度を取られても、冷たくされても、「それでもわたくしがたった一人の妻になるのだから」と受け入れ、やめておけという家族の助言に耳を貸さなかった。一途な性質の弊害が、最大の悲劇となったのである。

 婚姻した日の初夜、王太子は子爵令嬢を閨に連れ込み、娘は別室で一人放置された。

 「夫婦となった二人が祭壇に魔力を注ぎ込む儀式」の意味を知らなかった王太子の愚行が知れたのは、娘が死んだ後のことだった。

 儀式自体は滞りなく行われた。

 魔力を注ぎ込み、魔虹石が輝く。

 伝承の通りであれば、それで終わりのはずだった。

 だが娘が突然倒れ、そのまま息を引き取ったのだった。

 死因は魔力枯渇と急速な生命力の減退。

 魔虹石に根こそぎ力を奪われ、娘は死んだのだった。

 この国の祭壇にかけられた術式は、神とも龍とも言われる公爵家の初代娘が施したものであり、術式の内容は公爵家にのみ伝わっていた。


 『魔虹石の創出の為に魔力を注がなければならない。王太子と娘が夫婦となって後、二人の生命力を注ぐことで維持される』


 初代娘に言われ王家に伝えた内容は、「夫婦となった二人が祭壇に祈りを捧げることで国の安寧は保たれる」ということだった。

 王家は、「夫婦とならねばならない」ことは知っていた。

 婚姻しておきながら、初夜を行わずに花嫁を放置する王子など、今まで存在しなかった。

 教育はもちろん行っていた。

 だが儀式の重要性をよく理解していなかった王太子により、前代未聞の出来事は起こってしまったのだった。

 初代娘はこの術式を施す際、皮肉げに唇を歪め笑いながら言った。


「私が愛しているのは夫と子供達だけ。王家も国もどうでも良い。それでも愛する夫が望むから、この国の発展に力を貸そう。いずれ裏切らぬとも限らぬ。王家に枷は必要だ」


 この国の発展を望むなら、王家は公爵家を裏切ってはならなかったし、公爵家もまた王家の裏切りを許してはならなかった。

 娘の死、という取り返しのつかない痛みを持って、公爵家の目が覚めた。

 儀式は成らなかったのだから、魔虹石は減っていく一方である。

 四代後の娘の時まで保つかどうかもわからない。

 だから世界に働きかけ、魔虹石に頼らない技術革新に心血を注いだ。

 次の娘と王太子が相思相愛であるのなら、それで良い。

 娘が王太子を愛してしまったのなら、王太子の周囲の女を排除し、娘しか見れないようにすれば良い。

 だがもしそうでなかったら、その時は…。


「…お父様、それがわたくしなのね」

「そうだ。私達家族は、おまえの幸せを願っているんだ。おまえが王太子を愛しているというのなら、どんな手を使っても幸せになれるよう力を尽くす予定だった。もちろん、そうならなかった時の準備も怠らずにね」

「準備は済んだのですか?」

「済んだよ。元首に聞いたかな。私達が生活する新天地だよ」

「楽しみですわ」

「エレミアにはギリギリまで秘密にしておこうって言ってたんだ。自分の将来のことだけを考えて欲しかったからね。…と言いつつ、実際に新天地を知っているのは両親だけなんだけどね」

 ダニエルの言葉に、エレミアは苦笑した。

「わたくし、皆に心配をかけていたのね」

「いいや。もっと早く、エレミアの気持ちに気づいてやるべきだったんだ。ごめんな」

「わたくし、上手に隠せていたでしょう?」

「…女優になれるよ。思えば初顔合わせは五歳の時だったか。…そんな頃からずっと我慢しているエレミアしか見ていなかったんだから、本当に情けない話だ」

「親であるわたくし達の、家にいる時間が短かったことも原因ね。メイド達にも話せない辛いことが、たくさんあったでしょうに…本当に、ごめんなさいね」

「いいの。今わたくしは幸せだし、新しい未来があるのだもの。過去の話はやめて、卒業式後の断罪式を、しっかり乗り切ることを考えましょう?」

 笑顔で言えば、皆眩しそうに目を細めて笑ってくれた。

 だがすぐに真顔になり、不快げに眉を顰める。

「何故あちらから婚約破棄をされなきゃならないのか。ムカつくな」

「ダニエル兄様、気にしてらっしゃったのね」

「当然だよ。こちらには何の非もないのに、一方的に断罪されるなんて…全員殺してやりたいくらいだ」

「これが一番平和的で、かつ先のことを見据えれば滑稽極まりない喜劇なんだから、…精々笑い出さないように表情筋を引き締めておきなさい」

「父上…笑えませんよ。散々暴力を振るわれ、暴言を吐かれたエレミアがさらに公衆の面前で断罪されるんですよ?…しかも、無実の罪で!殴り殺しに行きそうです」

「落ち着いて、あなた。断罪されるのはエレミアちゃんだけじゃなくてよ。公爵家自体が貶められ、辱められるのです。殺すだけでは飽き足りませんわ」

「お義姉様まで」

「まぁまぁ、皆落ち着いて。商業国家だけでなく、各国も皆協力してくれるんだもの。一時の感情なんて捨ててしまいなさい。わたくし達は新天地で幸せに暮らすのよ。もはや国の制約を受けることなくね」

 母の朗らかな笑顔に一瞬絆されかけるが、ダニエルは眉を寄せた。

「逆にしがらみが増えそうなんですが、それは…」

「まぁそれは、協力してもらう代償だもの。それに今までやって来たことと同じでしょう。変わりないわ」

「そうだな。今までダニエルには事務処理やこの国の対応を任せていたが、対応がなくなるんだ。他国の会社経営にも携わってもらえれば、私達の負担も軽くなる」

「ああやっぱり、俺の仕事が増えるんですね…」

「皆で協力すればいいのよ。ね、ノーマちゃん」

 母が義姉に笑いかけ、義姉もまた笑い返した。

「はい。楽しみですわ」

 義姉は才媛なのである。本来であれば、公爵夫人としての立場だけに納まっている器ではないのだ。

 今後、義姉の活躍が見られるかもしれないと思えば楽しみである。

「エレミア…一時のこととはいえ、辛い思いをすることになる。我慢できるか?」

 父の言葉に、笑顔で頷いた。

「今更ですわ。それにリオン兄様が隣にいて下さるのだもの。どうということもないわ」

「そうか。本当は私達が行きたいのだが、最後の仕上げを国王としなければならないからな…」

「気にしないで、お父様、お母様。ダニエル兄様とお義姉さまが来て下さるのだから、嬉しいわ」

「断罪式はともかく、卒業式はちゃんと録画するからな」 

「断罪式も出来れば録画しておいて欲しいわ」

「母上…不快になるだけだと思いますが…」

「いいじゃないの。家族皆で見て、その後の彼らを見守ってやればいいわ。さぞ楽しいことになるでしょう」

「…趣味がお悪い」

「あら?だって我が家とエレミアを散々貶めておきながら、さらに辱めようというんだもの、当然よ」

 自分の性格は、間違いなく母親譲りだな、と思うエレミアだった。

 普段はおっとりと穏やかであるのに、敵認定した相手には容赦がない。

「リオンくんは、当日の朝来てくれるんだろう?」

 母の様子を気にすることなく、父はマイペースである。

「ええ。舞踏会は一旦帰宅してから出直しになりますが、彼は卒業式も見てくれると」

「いい奴じゃないか」

「ふふ、そうですわね」

 当日の流れを話し合い、数日は自宅でのんびり過ごした。

 この屋敷で暮らすのも、終わりである。


 夢で見た悲しい記憶は、エレミアが正直に自分の気持ちを話せなかった時の未来なのでは、と推測していた。


 公爵家の事情を知らされず、己の存在意味も知らされず、ただ全てを諦めて「嫁がねばならない」と王太子に依存していたエレミアならば、そのまま卒業式を迎えていても不思議ではない。

 「婚姻の時に話そうと思っていた」と両親は言った。

 虹色の瞳の娘が初代の加護を得た存在なのだと知っていたら。

 大切にされて然るべき存在なのだと知ったとしたら。

 もう少し自分の気持ちに向き合って、家族とも話ができたかもしれない。

 互いに気遣い、すれ違ってしまった悲しい家族の姿がそこにはあった。

 最期の瞬間ダニエルが呟いた「ごめん」という言葉は、魔力を暴走させてしまう程に思い詰めてしまった妹に、「気づいてやれなくてごめん」という意味の謝罪だったのではないかと今なら思う。

 自信をなくしたエレミアは、ただ「四代ごとの決まり」を守る為だけの存在になってしまったのだった。

 やり直しの人生なのか、それとも未来視というやつなのか、わからない。

 もしかしたら初代の加護の力なのかもしれないが、それを知る術はない。

 ただ前世を思い出した今の自分は、明るい未来を切り開くきっかけを得たのだった。

 

 幸せになろう。


 家族ともずっと笑っていられるよう、努力しよう。

 そして仕事も恋も、全力で頑張ろう。

 エレミアがやりたかったことを、やろう。

 今頃王太子はどんな気持ちでいるのだろうか。

 きっと、断罪式での自分の活躍を妄想しているに違いない。

 卒業式が楽しみだった。

 

 自分が、家族が、この国から解放される瞬間だった。

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