16.

 魔道具研究所の応接室にやって来た商業国家次期元首は、相変わらずキラキラしいオーラで他を圧していた。

 案内役として女性研究員が先導していたようだが、部屋まで案内してから頭を下げて出て行くまで、ずっと次期元首に見惚れており、その表情は恋する女のものだった。

 気にした様子もなく平然とマークと握手を交わしてソファに腰掛け、エレミアに向けては美しい笑顔を向けた。

「やぁエレミア、会いたかったよ。今はこの国に遊びに来ていると聞いてな、顔を見に来たんだ」

「リオン兄様、お上手ね」

「本当のことさ。指輪の引き取りはついでなんだ」

「それは酷い。僕を差し置いてエレミアを口説くのはナシだよ」

「うちの国に来てくれたら頑張るとしよう」

「全く、油断も隙もないな。ああ、シュルツ侯爵令嬢、彼の部下達に納品と確認を」

「…ですが殿下…」

「よろしく頼むよ」

「はい…かしこまりました」

 部屋に居座ろうとしていた秘書の令嬢を追い出して、マークは溜息をつきながら置かれたコーヒーカップへと手を伸ばした。

 三人になった瞬間、リオンは声を上げて笑い出す。

「あの令嬢、もらってやらないのか?名は何と言ったか…」

「…冗談はやめてくれ。アガサ・シュルツだよ」

「冗談のつもりはないんだがな。エレミアに嫉妬と敵意を向けているぞ。エレミアにとってはいい迷惑だろう。なぁ?」

 視線を向けられ、エレミアは苦笑した。

「余程マークのことが大切なのね」

「同い年で、学園のクラスが同じで、成績が良かったから研究所に就職をした…くされ縁、というやつだよ」

「へぇ?」

「特別な感情はないよ」

 ご愁傷様、というべきなのか、それとも時間をかければ彼は令嬢に振り向くのか。

 エレミアに対する無礼な態度を見逃す程度には親しいようなので、可能性はゼロではないかもしれない。

 巻き込まれるのは面倒だな、というのが本音だった。

 リオンを見やれば、こちらを見て口角を引き上げ笑っている。

 エレミアの内心を正確に把握しているようだった。

「エレミアが我が国に来るのが楽しみだ」

「わたくしも楽しみにしているわ」

「この国はどう?」

「そうね、魔道具の発展が素晴らしいわ。王都は本当に魔法技術の粋が凝らされていて、見たことのない魔道具の数々に圧倒されているわね」

「我が国の祖は魔女だし、魔法技術を発展させるのは当然の帰結だよね。魔虹石のおかげで大規模な魔道具も動かせるし、普通の魔石でも少しの魔力で大きな効果を発揮できるよう、常に改良もしているし」

 誇らしげなマークの表情に、二人は確かにと頷く。

「気になる職業は見つかった?」

「…やっぱり、魔道具関連の仕事はやってみたいかしら。この国だけではなく、素晴らしい魔道具を各国に広めたら、世界はもっと発展しそうよね」

「そうだなぁ」

「研究所においでよ、エレミア。大歓迎だよ」

「ありがとう、マーク。考えてみるわね」

 でもあの令嬢と関わりたくはないのである。

 笑みで返してみるものの、複雑な心情であることに変わりはなかった。

「そういえば映写機の魔道具の話なんだが」

 上手くリオンが話を逸らしてくれて、エレミアは安堵した。

「もう実用化できそうなの?」

「魔道具自体は、試作品として公爵家に持ってきていた段階でほぼ完成していた。あとはそれを大きなスクリーンに投影させる技術が必要なだけで、そっちはマーク次第だな」

「スクリーンの方は問題ないけれど、魔道具の性能自体を上げないといけないんだ」

「劇場で上映する、というエレミアのアイデアは素晴らしい。協力してくれる出資者やスタッフに話をつけているところでな、感触はいいぞ」

「いずれ、映像専門の監督や役者さんが増えるかもしれないわね」

 言えば二人は目を輝かせ、楽しみだと言った。

「新しい職業の創出だ。まずは我がファーガスから始めるが、すぐに他国にも広まるだろうな」

「僕達の作る魔道具が役に立つのは嬉しいことだよ」

「魔道具はまだまだ可能性を秘めているもの。素晴らしい物がこれからも出来ると思うわ」

「そう言って貰えるとやる気が出るよ。一緒に作ることが出来たら言うことないんだけれどね」

「ふふ、そうね」

 エレミアの家族のことや、聖王国を回った感想等も聞かれつつ、リオンは自国に来たら色々な所に連れて行きたいから楽しみにしていろ、とアピールを忘れなかった。

 リオン・ファーガスは二十六歳の割にはとても落ち着いているとエレミアは思う。

 前世、倍程の年齢を生きた記憶があるが、話していても微笑ましい気持ちになるわけでもなく、自然体で話が出来ることが不思議であったが、不快はなく、むしろとても楽しく過ごせる。

 自立した一人の大人であるのだろうと思えば、頼もしい。

 これで女遊びが派手でなければな、と苦笑するエレミアだった。

 転移指輪はその場で、エレミアとリオンの分としてマークから二個ずつ、手渡された。

 ペアリングとして、もう一つは誰かに渡せということらしい。

「エレミア、俺の魔力を登録しないか?俺の指輪には君の魔力を登録しよう」

 リオンが本気とも冗談とも取れる、悪戯っぽい笑みを浮かべて言ってくるので、マークがすかさず割って入る。

「こらこら、それを言うなら、今はエレミアはガルシアにいるんだから、僕の魔力を登録すべきだろう?」

「その理屈は意味がわからんぞ」

「何かあった時、互いに行き来出来たらトラブルも避けられるじゃないか」

「ふむ、じゃぁ我が国に来た時には、俺の魔力で上書きしてもいいということだな?言質は取ったぞ」

 にやりと口角を引き上げ笑う顔も、リオンがやるとずいぶんと魅力的になるものだとエレミアは他人事のように眺めやる。

「な…、いや、そういう意味じゃなくて…っ!」

「そういう意味だろう。とりあえず、俺の分の片方の指輪は、エレミアの魔力を登録して持っていてくれ」

「えっ?ええ…でもわたくしでいいの?」

「もちろん。いつでも俺の所に飛んで来てくれ。歓迎するぞ」

「まぁ。都合が悪い時もあるでしょうに」

「ないさ」

「…そういうことにしておきましょうね」

「信じてないな?」

 笑いながら本当にペアの指輪を渡してくるので、断るのもはばかられ受け取る。

「指につけておいてくれると安心できるんだが」

 押しつけがましいわけではなく、だが断らせない絶妙な言葉遣いだなと思う。エレミアは苦笑を返し魔力をトップの魔石に流し込み、右手の中指に嵌めた。

「これでいい?リオン兄様」

「ああ。こちらから許可なく飛ぶことはないから心配するな」

「…許可があったら?」

「そりゃぁ暇さえあれば会いに行くな」

「リオン兄様ったら、本当にお上手ね」

「本気なんだがなぁ」

 女の扱いに慣れていて、かつエレミアとの距離感もしっかり理解しているからこその気安さだった。不快がなく、笑って会話が出来ているのがいい証拠だ。

 マークは拗ねた表情をして、無言でカップを傾けている。

 そう言うところが、まだまだ若いのだなぁと、エレミアは思うのだった。

「マーク、この国でお世話になっている間、わたくしのもう一つの指輪は、あなたが持っていてくれる?」

「え、…」

「何か起こるとは思いたくないけれど、もし何かあった時には、マークを頼っていいんでしょう?」

 にこりと笑んで言えば、マークは勢い良く頷いた。

「えっあ、うん、もちろんだよ!最終日には指輪はきちんと返すよ。約束する!」

「えぇ、お願いね。せっかくマークがくれた指輪だもの。本当はお母様に持っていてもらおうかと思っていたのよ」

「そ、そうか。叔母上なら安心だね」

「でしょう?」

 生温い視線をマークに向けるリオンに「余計なことは言わないように」と無言で見つめれば、察してくれたのかくすりと微笑む。

 エレミアのペアの指輪をマークに渡すと、満面の笑みで魔力を込め、同じく右の中指に嵌めていた。

 サイズは嵌めた人間の指に合わせて自動調整してくれるという画期的な魔法技術が使われており、日によって家族で使い回す、といった使い方も想定されているようだった。

 相当な金額がするようだが、すでに販売予定分の予約は埋まっているらしい。

 指輪の性能自体もさることながら、リオンの商才が素晴らしいということなのだろう。

 その後シュルツ侯爵令嬢が戻って来て、リオンは自国で会うのが待ち遠しい、とエレミアに囁いてから帰って行った。

 最初から最後までスマートで嫌味もなく、涼しくも心地良い距離感を保ってくれるリオンのことは素直に好感が持てる。

 マークと令嬢との三人になってからはまた窮屈な思いを隠して微笑む日々が続いた。

 マークの指に嵌まった指輪を見て血相を変えてこちらを睨んできたものの、さすがに直接は聞いてこなかった。彼自身に問い質したかどうかは、知らないし興味もない。

 王都の外れにあるというダンジョンに行ってみたいとお願いしてはみたものの、聖王国の王太子と同じようにいい顔はされず、今は一般の冒険者の出入りもあるからと反対された。

 確かに護衛その他、大人数を引き連れて行くことを考えれば、迷惑になることは想像できる。

 エレミアは素直に諦めたのだが。

「公爵令嬢ともあろう方が、冒険者に混じってダンジョンなどと」

 吐き捨てるように呟いた侯爵令嬢の顔には軽蔑の色が混じっていた。

 冒険者を見下しており、かつダンジョンを汚らわしいものとでも思っているのだろう。それに興味を持つエレミアもまた、軽蔑の対象となったようだが、どうでもいいことだった。

 魔導王国は女王である為女性の人権もしっかりと確立されており、男女平等の国である。貴族制度があっても女性は自らの権利を主張することが出来、親が勝手に決めた婚約相手と結婚しなければならない、ということはあり得なかった。

 この国の貴族家当主は半数が女性である。

 女性が生き易いのはいいことだが、貴族社会においては地位の上下は未だ絶対であった。

 侯爵令嬢という高い地位に生まれ育ってしまった彼女に物申せる人物は果たしてどれ程いるのだろうか。

 そして女性の権利が認められているということは、自立心があり、自分の意見を言える女性が多いということでもある。

 あからさまに他者を見下し、それを平気で口にする令嬢を取り巻く環境は、推して知るべしであろう。

 おまけに王子の秘書としてべったり張り付き、その地位を振りかざす。

 他国の公爵令嬢であるエレミアに対してすらこの態度、自国の下位の人間に対してはどんな態度を見せているやら、想像に難くない。

 王子が無礼を咎めないのも、令嬢の思い上がりを増長させ拍車をかけている。

 今のままでは、王子マークの評判すら落としかねないことに、本人は気づいていないのだろう。

 知り合った時からこんな性格だからとマークが受け入れていたとしても、公的な立場は順守させるのが上司の役割でもあるのだ。本来であれば真っ先に令嬢の非を咎めるべきは、王子でなければならないのだが。

 社会人経験が…と、悠長なことを言っていられる立場ではないことに、気づいて欲しいと思うエレミアだった。

 

 一国民として暮らすなら、女性も生きやすいこの国はいい国だと思う。


 だが、バージル王国公爵令嬢としての立場で言うならば、申し訳ないが関わり合いになりたくないな、という感想に落ち着いた。

「指輪、返さないとダメかい…?」

 最終日、眉尻を下げ悲しげに言うマークは美女と見紛う美しい顔であったが、エレミアは申し訳なさそうな表情を作りながらも手のひらを差し出した。

「ごめんなさい、マーク。約束だもの」

「…そう…」

 少しでも渡すのを引き延ばそうともたもたと指輪を外そうとする姿を笑顔で見守りながらも、斜め後ろから鬼女の形相で睨みつけてくる令嬢のおかげで頬が引きつりそうだった。

 最終日に至るまで、令嬢は態度を改めることはなく、マークもまた何も言わなかったので、エレミアは内心失望していた。

 伯母である女王陛下にすら気遣われたというのに、だ。

 女王はこの令嬢のことを知っており、とても冷めた目で見ていた。

 上位の者には媚び、下位の者には傲慢に振る舞う。

 この侯爵家は建国の頃からの名家であり、親もまた似たような人物であるのだという。

 要注意対象となっており、一族共々監視されていることを知らないのは、本人ばかりというわけだった。

 マークもそのことは知っており、その上で放置しているのだと聞いたときには愕然としたものだ。

「君が明日から来なくなるなんて、寂しいよ」

 別れの挨拶をする時くらいはせめて、令嬢を離しておいて欲しかった、と思うのは望みすぎなのだろうか。

「ゆっくりと各国を回れる貴重な機会は逃せないもの。とても充実した毎日を過ごさせてもらったわ。本当にありがとう、マーク。陛下達にもご挨拶をしてから帰るわね。お仕事、頑張って」

「うん…。ずっと待ってるよ。卒業後は是非うちに来てくれ」

 返事はせず指輪を受け取り、最後まで笑顔で手を振り別れることが出来て安堵した。

 令嬢は一礼しただけで無言でマークについて去って行くが、踵を返す瞬間、勝ち誇ったような笑みを浮かべたのを見逃しはしなかった。

「…なんというか…強烈なお嬢さんだったわね…」

 小さな呟きは誰にも拾われることはなく、魔法騎士に案内されて女王陛下達とも別れを済ませたのだった。  

 我が家へと帰ると、リオンが遊びに来ていて驚いた。

「あ、おかえりエレミア。別れは済んだか」

「ええ。…今日はお暇だったの?リオン兄様」

「いいや。エレミアの顔を見たからすぐ帰るさ」

「リオンは本当にエレミアの顔を見に来たんだってさ。明日から商業国家でお世話になるだろう?待ちきれないって言って」

「まぁ…リオン兄様ったら」

 長兄ダニエルの言葉に、笑みが漏れる。

 真っ直ぐ向けられる好意と言葉は、とても嬉しいものだった。

 長兄と向かい合ってソファに腰掛け、紅茶を飲んでいた次期元首は言葉の通りすぐに立ち上がって暇を告げた。

「え、本当に?もう帰るの?」

「明日からエレミアと一緒に我が国を観光する、という重要な役割があるからな。親にも親戚連中にも代わってやるつもりはない。今日までみっちり仕事を詰めてるんだ」

「……」

 唖然と見つめれば、とても魅力的な笑みが返って来た。

「しっかり予定は組んである。もちろん希望があればそれが優先だ。楽しみにしていてくれ」

「ええ…本当に…、楽しみだわ」

 頷くことしかできなかったが、リオンは満足そうに笑って、長兄に挨拶をしてから部屋を出ていった。

「あ、見送り…」

「いいよいいよ。本気出したあいつはもうホント早いから。すでに自国へ飛んでると思う」

「えっ」

「ガルシアはあまり楽しめなかったみたいだし、明日からはあいつに任せて楽しんで来るといいよ」

「ダニエル兄様…」

 魔導王国での出来事は当然、家族皆と情報共有をしていた。

 かの令嬢のことも、だ。

 やはりエレミアの感覚は間違っていなかったようで、家族皆が「マークには配慮が足りない」と怒ってくれたので安心した。

 我が家に遊びに来る時には一人であるし、他国の貴族令嬢が来ることなどないから知らなかった。

 だから家族もまさかと思ったようだったが、女王にも確認し、事実だと知ってエレミアと同じようにマークに対して呆れていた。

 

 …まだ若いだけだから。


 きっとそのうち、苦労すれば気づく日も来ると思う。

 誰かが教えてあげればいいのだろうが、出来れば彼の家族に任せたい所である。もしくは恋人か。

「彼の為を思うなら、教えてあげればいいのに」と言うのは簡単だ。実際、忠告することは出来るだろう。

 その言葉で彼がいい方向に変わればいいが、そうでなかったら誰が責任を取るのだろう。

 忠告し関わってしまったら、「彼自身の責任でしょ」と言って突き放すことは親戚の立場上難しい。

 ならば最初から「彼自身の責任でしょ」と、親戚としては少し引いた立場で見守ることが、唯一の出来ることなのだった。

 自分で気づいてくれるのが一番なのだが、果たしていつか気づく日は来るのだろうか。

 もう気にしても仕方がない。

 気分を入れ替え、エレミアは明日からの商業国家ファーガスで過ごす日々に思いを馳せるのだった。


 …女性関係で面倒に巻き込まれなければいいな。

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