17.

 翌日、元首邸へと転移装置で飛んだエレミアは、リオンに笑顔で迎えられた。

「転移指輪で飛んで来てくれても良かったんだが」

「さすがにそれは失礼でしょう?おじさまとおばさまにもご挨拶しないと」

「ああ、それなんだが、両親は夕方まで仕事で出ていてな。夕食は一緒にしよう。今日は街を案内がてら、俺の仕事に付き合わないか?」

「まぁ、いいの?」

「もちろん」

 商業国家現元首には一人しか子がいない。

 リオンが後継であり、唯一の子であった。

 物心ついた頃には神童の呼び名を欲しいままにし、その容貌も相まって家族はもちろん親戚一同から将来を嘱望されていた。

 女遊びは激しいものの、それ以外は非の打ち所がない程に優秀で、理想的な後継者へ育ったと言える。

 飛び級で大学院まで卒業し、経済と法学の博士号も取得している。

 同級生が学園を卒業する頃にはすでに、親の仕事を手伝い、自らも起業して大陸中を回っていたのだった。

 今は代々の仕事を半分程引き継ぎ、残り半分は自分の投資会社を経営しているらしい。

 ゆくゆくは親の仕事も全て継ぐ予定で、今は優秀な人材の育成に力を入れているのだという。

 思考がすでにベテランのそれであり、エレミアは感心しきりである。

 商業国家は国内全ての都市間に転移装置が行き渡っており、国内であればどこへでも一瞬で移動できてしまう代わりに、都市内の交通は馬車や自転車が主流であった。

 転移装置の利用料は高めに設定されている。払えない客は都市間を繋ぐ馬車を使う。都市と都市の間は農業地と酪農地が広がり、休憩場所として小さな街や村があって、民宿が活発であるのだという。

 金が上手く回るよう計算されていると思う。

 魔導王国の王都で日用品のように出回っていた便利な魔道具は、ここでも格安で出回っていた。小さな集落でさえも、日常生活は快適に過ごせるようになっていた。

 金で時間を買える者は金で転移装置を利用して、そうでない者は旅行を兼ねて地方で金を落として移動する。

 ダンジョンがあるのは首都ではなく、第二の都市と呼ばれる場所で、首都だけに人口や物資が集約しないよう分散されているようだった。

 商業国家には警察機構は存在するが、騎士団や魔道士団のような国家武力は存在しない為、高ランク冒険者を雇い上手く回しているらしい。

 警察の訓練は高ランク冒険者がついて行い、平和維持活動の為のみにその武力を使うと存在理由が制限されている為、辺境地の魔獣退治はクエストや個人依頼を受けた冒険者が担っているのだという。

 この国は冒険者と上手く共存を図っており、聖王国や魔導王国のような「何でも屋」という側面よりは、「戦闘する者」としての面が強いようだ。どの国で冒険者をやるのが向いているかは、自分で選べるというわけだった。

「明日にでも、ダンジョンへ潜ってみるか?メリル聖王国でダンジョンを見たんだろう?」

「えっいいの?わたくし、戦ってみたいのだけど…!」

「いいとも」

「えっ本当に?」

 この国の特徴やダンジョン、冒険者について聞いていたら、おそらく興味がありそうな顔をしていたのだろう。声をかけられ、思わずエレミアは食いついた。

「今着いてきている護衛、最高ランクの冒険者でな。俺がダンジョンに潜る時にも雇っている」

 馬車の外を見れば、前後に護衛するように馬に乗った者達がいたが、彼らは最高ランク冒険者なのだった。驚きで目を丸くするエレミアに微笑んで見せて、リオンは向かいに座った秘書の男へと視線を向けた。

「予定は?」

「問題なく」

「そうか」

 それだけで意志の疎通の適う秘書は、優秀なのだろうことが伺えた。

 次期元首と同年代と思しき男は茶髪碧眼、紺スーツを着こなす爽やかな容貌のイケメンと言えた。

「…待って、リオン兄様、ダンジョンに潜るの?」

「ああ。俺は普段仕事以外護衛はつけないんだ」

「えっそうなの?」

「一人で出歩こうと思ったら、それなりに強くないとな。ダンジョンはいい運動不足解消になる」

「そうなんだ…。でも戦えるのは嬉しいわ。ありがとう、リオン兄様」

「メリルじゃ、反対されたんだろう?向こうの気持ちはわからんでもないが、せっかくのエレミアの希望は叶えてやりたいしな」

「邪魔にならないように気をつけるわね」

「構わんさ。フォローはする。気にするな」

 余程自信があるようだった。

 ありがたい話だ。

 バージル王国の学園において、魔力がある人間は、一通り教養として魔法を学ぶことになっている。エレミアは公爵家の教育方針で、教養以上の本格的な魔法を魔導王国の最上級魔道士から習っていた。

 回復魔法だけではなく、攻撃魔法も一通り使える。

 とはいえ、この大陸は現在辺境の地を除いては人間の脅威となるべき敵はおらず、魔法を使う機会などないに等しい。

 生活魔法にしても、魔道具が広く普及している為、貴族は特に使うことなどない。

 せっかく魔力を持っていても使う場所も機会もないのだ。

 魔王討伐から千三百年以上経過して、魔力を持つ人間は随分と減り、潜在魔力量もどんどん少なくなってきているようだった。

 いずれ魔力を持つ人間はほんの一部になる日が来るかもしれない。

 豊富すぎる魔力を持つエレミアにとって、ダンジョンで魔法を使って戦えるということは非常に嬉しいことなのだった。

 リオンの仕事に付き合うということだったが、内容は転移指輪の実演と引き渡しであった。上得意の客と言うことで、リオン自ら赴き三件、回った。

 立派な屋敷の応接室に通され、出迎えてくれるのは仕事の出来そうな壮年の男性ばかりであり、リオンがエレミアを紹介すると皆デューク家の名を知っていた。

 彼はわざわざデューク家に好意的な客を選んでくれたのだと思うと、心が温かくなる。さりげない気遣いが嬉しかった。

 互いに魔力を登録した指輪を嵌めて、応接室の端と端に立ち、エレミアとリオンが交互に転移してみせれば、皆喜んで「是非使わせてもらおう」と快くお買い上げ頂いた。

 フィードバックも積極的に寄越してくれるいい客なのだという。

 あと何件か手渡しする予定があるという話だったが、それはまた後日ということで元首邸へと戻れば、ちょうど夕食時であり、現元首夫妻が戻ってきていた。

「やぁエレミアさん。よく来てくれたね。挨拶が遅れて申し訳ない」

「いいえ、おじさま。こちらこそしばらくお邪魔致します」

「いつまででもいてくれていいのよ。先程まで公爵夫妻が一緒だったのだけれど、娘の邪魔をするつもりはないから、と帰宅されたの」

「…両親と会ってらっしゃったのですか?」

「ふふ、さぁかけてちょうだい。ゆっくり食べながら話をしましょうね」

「ありがとうございます」

 元首一族は、基本的に自国の者とは結婚しないという。

 現元首夫人はドイル皇国の貴族令嬢だったが、皇国は女性の社会進出がまだそれほど進んでいない為、起業して商売をしたかった夫人には窮屈な国であった。

 幸い両親は良き理解者となってくれ、学園卒業と同時に商業国家で一人暮らしする算段をつけてくれ、起業の為の資金も融通してくれたのだという。

 この国で商売を始めた令嬢だったが、始めることは簡単でも、軌道に乗せることは難しい。資金繰りに行き詰まり、銀行へ融資の相談にかけずり回っていた所に元首と知り合ったのだと言う話だった。

 経営していた会社を畳み、元首の会社へ就職して、商売を一から学んだのだという。

 結婚してからも夫婦で共に職場へ赴き、どこへ行くにも一緒であるらしい。

 夫人は今や元首が最も信頼するパートナーとして、仕事の上でも関わっているのだ。

 いい関係性だと思う。

 そんな夫婦って、理想だな、とエレミアは思うのだった。

 家で旦那の帰りを待っているより、どうせなら愛する人とずっと一緒にいたいではないか。仕事も出来るなら言うことなしだ。

 前世は共働きですれ違い、時間も生活ペースも合わずに離婚に至った記憶のあるエレミアは、共に働き、共に暮らしていける関係性は素敵だと思う。

 

 もちろん、愛し合っていることが前提なのだが。

 

 元首一族が自国の者と結婚すると、どうしても贔屓であったり親族が口出しをしてきたりと面倒なことが多い為、可能な限り他国の者を伴侶に選ぶのだという。

 「俺の親戚には元首がいるんだぞ」と言いながら横暴を働く輩の姿は容易に想像できてしまうので、エレミアはただ頷くしかない。

「息子にもそろそろ決まった相手と落ち着いて欲しいんだがなぁ」

「まぁ、いずれね」

「あまり急かしても良くないわよ、あなた。こういうのは、タイミングが大事なのだから」

「そうか、そうだなあ。まぁ勝機を逃すような真似はすまいよ。期待しているぞ、息子よ」

「感触は悪くないよ」

「それは素晴らしいわね!」

 どうやらリオンには狙った相手がいるらしい。


 なんだ、そうなんだ。


 胸のあたりにもやもやする不快な重さを感じ、気づかれないよう溜息をついた。

 リオンはエレミアに対する態度は昔から一貫しているし、あからさまな視線を向けられたこともなければ告白のようなものをされたこともない。

 社交辞令の延長のようなリップサービスはいつものことで、女性の噂が途切れたことのない男であればそれくらい容易いものだ。

 不快にならない距離感で接してくれて、落ち着きがあって、エレミアに優しい。

 条件としては悪くなかっただけに、少し残念な気持ちになった。

 まぁ、就職活動が主目的であるので、恋愛や結婚は二の次ではあるのだが。

 商業国家であれば女性が一人暮らしするのも、働くのもやりやすい。

 公的なサポートもあるし、やっかいな貴族制度もない。

 実はこの国が就職先の最有力候補である。

 あとはやりたい仕事が見つかれば言うことはなかった。

 微笑みを絶やさぬようにしながら、エレミアは元首夫妻に視線を向ける。

「今日両親と一緒だったとおっしゃっていましたが、仕事で…?」

「ああ、そうだね。仕事と言えば仕事だし、そうじゃないと言えばそうじゃないというか…」

「…?」

 首を傾げるが、夫妻はにこやかに笑っている。

 隣で食事をしているリオンが、こちらを向いて微笑んだ。

「デューク公爵家の代々の当主は、次代に爵位を譲った後は気に入った国で暮らしているだろう?」

「ええ」

「のんびり田舎暮らし…なんて悠長なことをしている歴代の当主はいない。皆それぞれ移住した国の為、大陸の発展の為に働いてくれている」

「そうね。お爺様とお婆様も、辺境地の魔獣と住民との共存が出来ないかと模索しておられたわ。…魔獣に襲われて亡くなってしまったけれど」

「…しっかりと壁を作って警備兵を置く以外に、手はない、という結論になってしまったな。本当に弱い魔獣は、ペットとして飼う方法を確立されたことは素晴らしい功績だが」

「ええ…。と、言っても、猛獣を飼い慣らす程の手間暇をかけなければならないから、一般家庭どころか貴族にも浸透しなかったけれど…」

「サーカスや一部愛好家達の間では高値で取り引きされているんだが、一般的ではないな」

「それでも、祖父母はやりたいことがやれたのだもの。素敵な人生だと思うわ」

「そうだな。…君のご両親は土地を探しておられたんだ。君が生まれた頃にね」

「…え?そんなに前から?」

「俺の親父殿…元首に打診があって、条件に合った土地を見つけたのが十年前。整地から屋敷の建築、設備の設置、庭園の整備…つい先日ようやく完成してな、公爵夫妻と両親と揃って現地を見に行っていたのさ」

「城でも作っていたの?」

「まさか。ちょっと場所が特殊でね。重機だけでなく、作業員を派遣するにも身元のしっかりした者を選別しなければならなくて」

「公爵家の屋敷だからね、迂闊に情報を漏らすような者だと困るだろう?」

 元首の言葉に頷く。

「確かにそうですね…場所が特殊、というのは…?」

「それは実際にご両親と行ってみて欲しい。守秘義務というものがあるからね。いくら娘さんとは言え、軽々しく話すわけにはいかないんだ。悪いね」

「いえ、私が思い至らず…申し訳ありません」

「エレミアの学園卒業に合わせて引っ越しする予定でしたよね、親父殿?」

「こら、勝手に話すんじゃない」

「おっと失礼。ご両親はギリギリまで秘密にしたいらしいから、エレミアも聞かなかったことにしておいてくれ」

「ふふ、わかったわ」

「エレミアさんは是非、この国を満喫して欲しい。もしやってみたい仕事があれば、色々相談に乗るよ」

「ありがとうございます、おじさま」

「あなたが口出ししなくても、リオンがいるでしょう。あなたは余計な口出しはしちゃいけません」

「そうだぞ、親父殿」

「ああ、そうか。そうだったな。何でも息子に相談して欲しい」

「わかりました」

 エレミア自身が将来に向けて動き出したように、両親もまた自分達の引退後のことを考えて動いていたのだな、と思うと、もっと頑張らなければと気合いが入る。

 この国でやってみたい仕事はある。

 リオンがやっている仕事の一つだった。

 元首になりたいというわけではなく、各国を回り、売れそうな商品を見つけたり、「こんな商品が欲しい」と職人と話をつけたりする。

 映写機の魔道具の時のように、前世の自分の記憶や知識も活かせるような仕事をしたいと考えるようになっていた。

 魔道具研究所に就職してしまうと、扱う商品は魔道具に限定されてしまう。

 総合商社のような会社に入り、バイヤーとして動くのが今世の自分には向いているのではないかと思うのだ。

 リオンに話をすれば、どの会社がいいかはすぐに教えてくれることだろう。

 まずはこの国を見ながら、折りを見て話そうと心に決めた。

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