狸にたぬきそばを食べさせてみた。
七海 司
狸にたぬきそばを食べさせてみた。
その日は、発達した低気圧が東北地方を覆い、大雪警報が出さたとても寒い夜のことだった。
簡単に終わると踏んでいた仕事が、予想以上に難航し職場をでるのが遅くなってしまった。玄関の引き戸を開けると寒波が屋内に走り込んでくる。
「うう、寒ッ」
もっと早く諦めてれば良かったな。夜空を眺めると、星に照らされるように雪が街灯の光を受けて存在感をアピールしている。
大量のワタが降ってくるようだ。ぎゅむぎゅむと音を立てながらブーツで、積もった雪に足後を残していく。
「先客か……勘弁してくれよ」
ライトを反射してオレンジ色に見える新雪の上には四足歩行の動物の足跡が2匹分あった。トテトテと続くそれは私の車の下まで続き、そこで途切れていた。
地味に嫌な予感が脳裏によぎり、車の周りを一周する。
「足跡が、ない」
はぁ。予感的中か。外れてくれればなぁ。ぼやいてみても始まらないので、私はスーツが濡れるのを覚悟で両膝を付き車の下を覗き込んだ。
予想通り、ぱちくりお目目が四つもあった。暖かそうな毛にくるまれた目の下にはタヌキの代名詞とも言えるクマがあり実に愛らしい。
「毛玉だ……たぬきさん、そこは危ないから出てきてー」
懇願してみて、思ったことがひとつ。いい年して何をやっているんだろうか。これが少女や子供だったらまだギリギリ絵になったというのに、30過ぎの頭髪が全力で後退しているオッサンがやることではないな。
「そりゃでてこないわな」
あたりを見渡しても、網膜に映るのは白、白、白。あたり一面銀世界でどこにも雪や風を凌げるところはなかった。唯一、雪に当たらずに済むのが私の車の下というわけだ。
「最後の手段を使うか」
決めれば即実行。
踵を返し、社内に戻る。ヤカンの注ぎ口から直接水道水を流し込み手に伝わる重さのみを頼りに入った水量を把握する。大体8分目くらい入れるとコンロの上に置き、コンロのツマミを捻る。ボッっという音がしプロパンガスが完全燃焼し熱を与えていく。もったいないけど仕方ない。私は、自分のデスクの奥底に隠された非常食――赤い狐と緑な狸がキャッチコピーのカップラーメンを引っ張り出した。狸にたぬきそばを与えてもいいのだろうか。そもそも狸にカップラーメンは塩分が多すぎやしないか。もっと別なもののほうがいいのではないだろうか。
疲れた頭ではまともなことを考えられない。そもそも狸は何を食べるのだろうか。気になる。どうせお湯が沸くまでは暇なんだ。自分に言い訳しながらパソコンの電源に手を伸ばし、押そうとしたところでピーッという甲高い音でヤカンに呼ばれた。
「はいはい、今行きますよ」
誰もいない職場でいったい何をしているんだか。
「お夜食ですか?」
「いえ、餌です」
「え、餌? ですか?」
「へ? あ、いえこれは海よりも高い理由があるんです」
「それを言うなら、海よりも深い理由かと」
「そ、そうですね。ははっ」
ビックリした。油断していた。私一人しかいないと思っていたらまだ残っている人が居たなんて。それも憧れの小動物系女子の中岡さんが残っているとは。運がいいのか、はたまた奇行を見られたことによりフラグをへし折ったことを嘆き悲しむべきか。
「気にしないでくださいね。私もよく家では家電に話しかける人ですので」
「そ、そうなんですか。私もです」
な、なんだこの会話はまるで私がコミュ障みたいじゃないか。それに地味に会話が噛み合っていない。落ち着け。話題を切り替えるんだ。なんだ、どんな話題がベストなんだ私っ。脳みそがフル回転して導き出した答えそれは。
「中岡さんも残業ですか?」
「私は残業というか、探し物をしてたんです」
「探し物ですか」
「そうだ、豊嶋さんピンク色のメガネケースを見かけませんでしたか? あれがないと私家に帰れないんです」
メガネケースがないと家に帰れないとはどういう状況なんだ。
「えっとそれは一体?」
「あっえっとですね。私目が悪くて車の運転をするときだけメガネしてるんです。メガネがないと景色がぼやけて距離感がつかめないんです」
「なるほど。でしたら家まで送りますよ。今日はもう遅いですし、メガネケースはまた明日探しましょう」
「ご迷惑では……」
「全然そんなことないです。むしろ嬉しいくらいです」
「え?」
「いえ、なんでもありません。それよりも帰りましょう」
そう言いながら、カップラーメンにお湯を注ぐ私を訝しむ中岡さん。
当たり前か。帰るのにカップ麺を作る人などいない。
カクカクシカジカと車の下に狸がいることを話して、カップ麺のことを納得してもらう。
「私、生の狸みるのは初めてなんです」
「結構、可愛い生き物ですよ」
少々ぎこちないものの会話を弾ませ駐車場へ。
車から少し離れたところに狸おびき出し用たぬきそばを設置するが一向に出てくる気配がない。まさか、失敗か!?
「ふーふー」
中岡さんが一生懸命たぬきそばに息を吹きかけている。何をしているのだろうか。
「匂いにつられて出てこないかなぁと思いまして」
はにかんだ笑顔には少し朱がさしており、愛らしかった。
「おっ」
狸が車の下から顔出してきた。これはいけるかもしれない。
「ちょっと借りますね」
そう言って中岡さんは私からカップ麺を受け取ると、ふーふーしながら自分の車の方へと歩いていく。
気づかなかった。直ぐ近くにもう一台車があったなんて。雪と同系色だったから見逃していたのだと自分を納得させる。決して夜目が効かなくなって見逃したわけではないと。
カップ麺を白い軽自動車の下に入れるとゆっくりと離れてたぬきの挙動を見守る。中岡さんの気配に釣られ私もたぬきの反応に注目してまう。
毛玉が二匹。たっと車の下から駆け出し、白いキャンパスに点線を描き、ずさーと中岡さんの車の下へ潜り込む。
今、狸、二足歩行、して、た。
疲れがピークに達しているのか、狸が両手にカップ麺を持って軽自動車の下に潜り込んだように見えた。
隣の中岡さんは動じていない。うん。きっと私は幻覚を見たのだろう。
「これで帰れますね。さっ乗ってください」
次の日
昨夜とは打って変わって太陽が顔をのぞかせ、放射冷却で冷え切った朝。中岡さんを拾い職場の駐車場につくと昨日のたぬきの姿は無く、空の容器とメガネの入った容器が陽気な太陽に照らされていた。
「たぬきさんの恩返しですね」
そういいながら、メガネケースからメガネを取り出しかけた中岡さんは、小動物系ではなく知的美人だった。
ガチで惚れそう。メガネをかけた女性はやはり素敵だ。
見とれている私の肩を誰かが叩き、一言。
「昨夜、セキュリティが作動して警備員が出動する騒ぎがあったのだが、何か知らないかね。セキュリティ担当としての意見を聞きたい」
狸だ。絶対昨日の狸だ。中岡さんのメガネケースを探すために侵入しやがった。人の非常食を食べた挙句に仕事まで増やしやがった。
狸にたぬきそばを食べさせてみた。 七海 司 @7namamitukasa3
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