どうでしょう、お祖母様

 孫たちはよくわたくしのところへ遊びに来る。こんなに遊びに来て帝王学やマナー学は大丈夫かしらと思ったけれど、そこはしっかりとちゃんと学んでそのご褒美としてここに来ているらしい。我が子曰く、子どもたちには自分の時と同じようにのびのびと育ってほしい、とのことだった。

 そしてそんな孫たちの相手をするのはいつだってクラウスだった。それもそうよね、とつい納得してしまうところがある。

 わたくしが一線を退いたのと同じように、クラウスもまた一線を退いた。他の騎士やまた別所属の騎士たちから「ぜひ自分たちの隊へ!」という打診がうんざりするほど来たけれど、彼はそれをすべて断ってわたくしについてきてくれた。

 正直、そんなことするからわたくしはいつまで経っても、年甲斐もなく喜んでしまうのだけれど。

 でも騎士たちからそんな声がかかるほど、わたくしと歳の変わらないクラウスは未だにその屈強な身体を維持したままだ。下手したら新人よりもたくましい身体をしている。それに剣の腕も衰えてはいない。そもそも現役時代に右に出る者もいなかった。

 ロイドなんて数年前に腰を痛めて未だに治療中だというのに。わたくしが彼の主だった縁で彼の奥さんとも顔を合わせて何度もお茶を一緒に飲む仲になったけれど、その彼女が呆れながらそう教えてくれた。恐らくだけれど、わたくしたちの歳ぐらいになるとロイドのほうが普通なのだろう。どこも痛まずに未だ現役騎士と変わらない動きをするクラウスがおかしい。

 今もこうして孫たちの相手をずっとしていても他の騎士のように息切れすることもなければ、そのたくましい腕で小さな身体を持ち上げたりして思う存分遊ばせている。そしてあの子たちはそれが楽しくて仕方がないのだ。

 一言で言うと、孫はとてもクラウスに懐いていた。

「はぁ、疲れた」

「あら、もういいの?」

「私はあの子たちと違って勉強してきたあとだもの」

 わたくしの元へ来て椅子に座ったのは三人姉弟の一番上の子だ。少し一番下の子と歳が離れているためとても大人びて見える。その子はわたくしが淹れたお茶をいつも美味しそうに飲んでくれる。

 だから今日も同じようにその子にお茶を淹れてあげれば、はにかみながらお礼を言って早速口をつけてくれた。

「ふぅ。お祖母様のお茶はいつも美味しいわ」

「ふふっ、ありがとう。今度淹れ方を教えてあげるわね」

「本当?! すっごく楽しみ!」

 ついでに軽くお菓子の作り方も教えてあげようとわたくしもつい笑みを浮かべる。まだ若い頃は他の貴族との競争などがあったりしてかなりバタバタしていたけれど、跡を息子に任せ身を引いた今、とてもゆっくりとした時間を過ごせている。

 こんな風にのんびりと過ごせるなんて、頑張った甲斐があったわねとお茶に口をつけたときだった。

「この間シェリー様のお会いしたの」

「あら、シェリーに?」

 シェリーはわたくしと同じように公爵家の娘で、同じ学園にも通っていた。とても仲がよかった、というわけでもなくだからと言って敵対していたわけでもない。ほどよい距離感を保ちお互いあまり干渉もしなかった。

 ただ学園での婚約破棄騒動で彼女との関わりも少しだけ変わった。彼女は本当に、まさに貴族の令嬢らしく強かな女性だった。周囲を敵だらけにされ詰めが甘かったわたくしと違い上手く立ち回り、最終的に民も味方につけわたくしが婚約破棄されたのと同時に隙きを突いて王子を糾弾しその立場を追い詰めた。

 そんな強かな彼女は今我が国の女王の宰相だ。彼女のサポートに就いていた従者もそれなりのポジションに就いている。センティード家も貴族の中でも重要視されているため、恐らく彼女も我が子や孫たちに目をかけてくれているのだろう。

 わたくしがまだ一線を退く前は、よく彼女と顔を合わせて他愛のない会話もしたこともあった。

「その時に昔の投影機も見せてもらったの。昔のって結構角ばっていたのね」

「シェリーが持っていたの?」

「そうなの。面白いものが見れるって言っていたから見せてもらったの。お祖母様、すごく若かったわ。制服もなんだかレトロで可愛かった」

「やだ、学生の時のを見せたの? シェリーったら」

 もう何十年前の話だろうか。そもそも彼女があの頃の投影機を未だ持っていたことに驚きだ。父が職人の女子生徒から何度か試作品をわたくしたちで試させてもらったことがあったけれど、そんな昔の物、保管も大変だろうに。

 するとなぜか孫娘がにこにことした顔でわたくしを見てくる。何か楽しいものでも映っていたかしらと首を傾げた。

「お祖母様、とっても恋してる可愛い女の子の顔をしてた」

「うっ?! ごほっ、ごほっ!」

「確かにおじ様すごく格好よかった~。学生の時にすでにあの身体でしょ? すごくモテたんじゃない?」

「そ、それはどうかしら……」

「ふ~ん?」

「こら。お祖母で遊ばないの」

「ふふふっ! でもお祖母様も青春した時あったんだなって嬉しかったの! 私が知っているお祖母様っていつもすごく忙しそうだったから」

 確かにこの子が物心つく時には多忙だった。それでも可愛い孫の姿を見たくて時間をなんとかやりくりして会いに行っていたのだけれど。子どもは大人が思う以上に大人をよく見ている。

 まだ可愛らしい頬に手を当てゆっくりと撫でてあげれば、孫娘は幸せそうにそれを感受する。わたくしや息子夫婦の愛情はしっかりと伝わっているようで、小さく胸を撫で下ろした。

「お祖母様、一つ聞いていい?」

「何かしら?」

「お祖母様、お祖父様のこと愛してた?」

 それは、投影機で学生の頃を見たからだろうか。この子がこんな質問をしてしまうほど、わたくしはわかりやすい顔で映っていたのだろうか。

「もちろん、愛していたわ。だから貴女たちがいるのよ?」

「そうよね。二人が仲良くしていたの、見てきたもの」

 でもねお祖母様! となぜかその子は身を乗り出してきて鼻息を荒くする。何をそんな興奮することがあっただろうか。遠くから聞こえる孫息子たちの声を耳にしつつ、真剣な眼差しをしている孫娘に視線を向ける。

「恋はいくつになってもできると思うのよね?!」

「……はい?」

「いくつになっても恋は恋じゃない?! 私だって、お祖父様のこと大好きだったわ! でもほら、ね、次の恋があるって言うじゃない?! ね?!」

「……一体どこでそんなこと学んできたの」

「え? メイドたちから。面白い本があるって聞いて、それを借りて読んだのよ」

「ちなみに、どんな本のタイトルだった?」

「『一途な王妃様』っていう本! この王妃様っていうのがね、政略結婚で王と結婚したんだけど実は他に片想いしている人がいて。この恋が報われなくてもずっとその人のことを想い続ける、胸の内に秘めた想いが切なくてでもどこか愛しくて……それでねそれでね」

 一体どういう本をこの子に渡したのだろうか、センティード家のメイドは。それを息子の嫁は知っているのだろうか。知っていそう、あの子もそういう話を好んで読んでいた。

「っということで!」

 何が「ということで」になるのだろうか。確かに近年巷ではそういう本が流行っていることは知っているけれど、でも若い子たちが読んで楽しむものだ。わたくしのように老後をゆっくりと過ごしているお祖母には当てはまらない。あとは孫たちの成長を見守るだけだというのに。

「私はあり寄りのありだと思うの! だって未だにセンティード家の騎士はおじ様に敵わないわ。ムキムキマッチョで若々しいし! お祖母様だっていつまでも肌も所作も綺麗で未だに令嬢のお手本とされているじゃない! ありだと思うの! ね!」

 最近の若い子たちが発する言葉が理解できない。わたくしも年相応になったのね、と現実逃避する。孫娘の言うとおり、確かに彼は未だにたくましい身体だけれど。

「強いし人当たりもいいし未だに未婚……未亡人でも再婚は許されるでしょ?」

「もう。何を一人で盛り上がっているのよ。当人たちの気持ちは置いてけぼりかしら?」

「あら、お祖母様はそうなんでしょ?」

 この勘のよさは一体誰に似たんだろうか。ああ、きっとノアだわ。彼も勘がよくてわたくしの気持ちにも気付いていた。そんなところばかり似てしまって、と思わず頭を抱えそうになる。別に勘が鋭いことが悪いことではないけれど。

 鼻息を荒くしている孫娘の名を呼んで、お茶を飲んで取りあえず気を鎮めることをすすめた。まだ素直に従ってくれるのはいいけれど、反抗期に入ってしまったらどうなることやら。

「いい? 何も夫婦となることだけが幸せとは限らないわ。当人たちにしかわからない、想いや考え方、事情があるの。それは強制するものではないわ」

「でも……私、一緒にいるお祖母様とおじ様、とても好きだわ」

「ありがとう。でもわたくしたちにとって、今の形が最も適しているのよ」

 困り顔で考え込んでいる孫娘にとっては、まだ少し難しくて早かったかもしれない。すっかり混乱している孫娘を抱きしめてもう一度「ありがとう」と口にする。わたくしたちのことを思って頑張って考えて、そして言葉にしてくれたということはちゃんと伝わっている。

 視線を遠くへ向ければ未だに孫息子たちが元気に遊んでいた。相変わらずものすごい体力ですこと、と笑みを浮かべその光景を見守る。

 今は数十年前と比べて、貴族の政略結婚は数を減らした。恋愛結婚が多くなり、想いを寄せている相手と結婚することが当然になりつつある。そのおかげで作り上げられた孫娘の価値観はきっと、わたくしたちの当時の状況は納得できるものではないだろう。

 確かにわたくしも少しは思う。今の世が羨ましいと。想っている相手と結ばれることは、きっととても幸せなことなのだと。

 けれど時代を遡ることはできないし、あの時できる精一杯のことをわたくしもまたやっただけ。それをノアは理解してくれたのが唯一の救いだった。

「どうした?」

 孫娘を抱きしめているわたくしにそう声をかけてきてくれる。それだけでもう十分嬉しいのよ。わたくしって自分が思っている以上に単純だから。

「楽しくお喋りをしていただけよ。さぁ、いっぱい遊んだから疲れたでしょう? 手を洗ってお菓子でも食べなさい」

「はーい!」

「おばあさまのお菓子大好き!」

 孫息子たちにそう声をかけ、水でびしょびしょにならないために孫娘も監視のために一緒に向かっていった。ただちょっと振り返ってわたくしにウインクしてきたけれど。

 なにを「今がチャンスよ!」みたいな顔をして行ったのやら、あの可愛らしい孫娘は。

「随分と遊んでいたわね。腰は大丈夫?」

「ロイドじゃないんだ、相変わらずしっかりと立ってる」

「ふふっ、そうね。ロイドの杖をついた姿を見てショックを受けたのがつい先日のようだわ」

「残念だったな、つい先日だ」

「まぁ」

 クスクスと笑えば、彼も僅かに口角を上げる。その笑い方がとても好きだということは、今まで誰にも言ったことがない。もちろん当人にも。

「あの子が再婚したらって言うのよ」

 唐突な話題に椅子に腰を下ろし、袖を捲くっていた彼が目を丸めてこちらを見てきた。

「再婚するのか?」

「ふふっ、しないわよ。わたくしはもうおばあちゃんよ? 老後をゆっくりと過ごすつもりなの」

「そうなのか」

「貴方は? 未婚のまま?」

「そうだな。そうなることが決まった」

「まぁ。そうなのね」

 小さく笑っている横顔を見て、じわじわと胸があたたかくなる。そう、わたくしのためにずっと未婚でいてくれるの。

 わたくしが「結婚しましょ」と言っていたら、また違う答えが聞けたのかしら。

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