21.招かねざる客
「怪我人の手当てを! あの三人は捕らえよ!」
「はっ!」
フィーリア家の騎士たちがこの混乱した状況を正すべく、それぞれが一斉に動き出す。流石は統率の取れた騎士たちだ、と思っているとパタパと駆けてくる足音が聞こえそちらに視線を向ける。
すると顔を真っ青にしている令嬢が脇目も振らず、こちらに一直線に走ってくるではないか。その後ろには慌てて追いかけているロイドの姿。この場が荒れてしまったため足を取られつつも走ってくる。距離からして、しっかりと令嬢を安全な場所へと避難させていたようだ。
「どうした、そんなにも慌てて」
「どうした、ではないわ! 止血をしないと!」
「待て」
言うが早いか彼女は自分のドレスをビリビリと引き裂き始めたではないか。令嬢の手本となり得る人物がこんなひと目の多い場所でそのようなことを。流石に如何なものかと思いその手を止めようとしたが、俺の手は軽く彼女に振り払われた。
「ドレスはまた今度作れる。でも貴方の出血は今止めないと駄目なのよ?!」
「いいから服を脱げ!」
ロイドにすらそう言われてしまい、渋々と制服を脱ぎ次にインナーを脱ぐ。一瞬令嬢の手が止まったがそれは本当に一瞬で、引き続きドレスを破いている。
「うわ……結構酷いじゃないか」
俺の左脇腹を見てロイドは自分が怪我をしたわけではないというのに、痛々しそうに顔を歪めている。確かに肉は多少抉れ出血はしているが、あの攻撃の割にはまだマシな怪我だっただろう。
「だが急所は外した。どうということはない」
「ロイド、布を当てていて」
「はい!」
清潔に見える布は令嬢の持ち物だったのかもしれない。それを俺の血で汚すことに気が引けたが、だからといってそれを今目の前にいる二人に言えるような状況でもない。
されるがまま、大人しく二人から手当てを受けていると目の端に騎士とそして気絶している女子の姿が映った。ふと視線を下に落とし、思わず内心で詫びる。怖さのあまりに失禁してしまっていたようだ。
破いたドレスは包帯の代わりとしてせっせと俺の胴体に巻き付けてくれている。だがこういった手当てをするのは初めてだろう。まぁ、令嬢が騎士の手当てをするとは今世ではあまり聞いたことがないが。
「令嬢、もっときつく締めてくれ。このままでは解けてしまう」
「わ、わかったわ」
「アリシャ様、俺が代わりましょうか?」
「いいえ、わたくしがやるわ……クラウスが怪我をしたのは、わたくしのせいだもの」
令嬢が悪いわけではない。最も大きな原因は身勝手な思い上がりでこの事態を起こした者だ。令嬢はどちらかというとその被害者だろう。
「気にするな。騎士というものは主のために身体を張る者だ」
「っ……」
「この傷も貴女からは痛々しく見えるものだろうが、これも騎士としての誇りの一つとなる。そうだろう、ロイド」
俺の言葉にロイドは力強く首を縦に振る。こればかりは令嬢は理解しても納得は難しいだろうが、同じ立場であるロイドは心から共感できるはずだ。
「貴女を守れたようで何よりだ」
「……ばか」
先程よりも布をきつく巻いていた手が一瞬だけぴたりと止まる。そのか弱い手は震えているが、まるで自分を鼓舞するかのように再び動き出した。
「しっかし、お前の肉体はえげつないな」
「お前も似たようなものだろう」
「ま、まぁ? お、俺だってお前に負けない程度には鍛えているぜ?! 少し、というか、多少? まぁ、ほんのちょっとだけ? 一回りっていうか、まぁほんの数ミリ程度ぐらいお前よりはちょっと、筋肉量少ないかもしれないけど?」
ものすごく妥協したのがわかる。認めたいけれど認めたくない、そんな年頃の男子の葛藤が見え隠れしていて思わず笑みを零した。このくらい男子は見栄を張りたいお年頃なんだ。
周りの片付けも進み、俺の傷の手当てもある程度終えた。令嬢とロイドに礼を告げつつ最後は自分の手できつく布を縛り、インナーを身に着ける。本当は手慣れている俺が自分でやったほうが早かったのだが、必死に手当てをしてくれている二人を見て断るのも気が引けたのだ。
血を吸い込んだインナーは少し肌触りが悪かったが、それにしても色が黒でよかったと腕を通した。若い身体でよかったと喜んでいたものの出血は出血だ。服が血で汚れているのは視覚的にあまりよろしくないだろう。騎士だけがいる場ならまだしも、戦いから縁遠い者には刺激が強すぎる。
攻撃を喰らったことで多少穴は空いてしまったが、制服は着ることなく令嬢の肩にかける。ドレスの裾を破いただけとはいえ令嬢をそのままの格好で歩かせるわけにもいかない。俺の行動にロイドも気付いたらしく、慌てて制服を脱いで令嬢の肩にかけたのだが。
「動きにくいから結構よ」
一言で断られてしまい、落ち込むロイドが気の毒に思えた。慰めるように軽く肩を叩いたのだが軽く睨まれてしまった。この年頃は難しいと苦笑を浮かべる。
「今回のことをしっかりとお父様に報告しなければ。ただの騒ぎで片付けられる問題ではなくなったわ」
「そうですね。副団長もいますし詳細をまとめることもできるので――」
「アリシャ!」
一段落ついただろうと誰もが思った瞬間だった。その声は異様にこの場に響き渡り誰もが動きを止め視線を走らせた。
「ああよかった、無事だったのか」
そう言ってその人物は何事もなかったかのようにこちらに近付いてくる。しかし、名を呼ばれた令嬢の顔色はよくない。
「……エドガー。どうしてここにいるの」
恐らく、誰もがこの場に現れることはないと思っていたはずだ。令嬢の元婚約者である男は令嬢の言葉に答えることなく、そして足を止めることもなかった。
「怖かっただろう、アリシャ。やっぱりお前は俺が守ってやらないと――」
「それ以上近付くな」
令嬢に手を伸ばしたその者の前に立ちはだかり、拾った剣を相手に突きつけた。ロイドも素早く令嬢を背に隠し、周囲の騎士たちもいつでも剣を引き抜けるようにと手を伸ばす。
「……なんだ貴様は。俺を誰だと思っている」
「それはこちらのセリフよ、エドガー。貴方はもうわたくしの婚約者でもなければ、王子という立場も剥奪されている。ただのエドガーでしかない貴方がわたくしに馴れ馴れしく話しかけられるとでも思っていて?」
「酷い言い草だな、アリシャ。もしかしてエルザと仲良くしていたから嫉妬していたのか?」
「寄るな。一歩でも動けば斬る」
更に距離を縮めてこようとしている男子に対し、その首に剣を突きつける。
「チッ……誰かと思ったら、あの時騎士の真似事をした男か。ハッ、ただの庶民如きが俺に楯突くつもりか? どうやら大怪我を負ったようじゃないか。弱いくせに見栄を張るからだ。これ以上酷い目に合いたくなかったら俺の目の前から去るんだな」
「あの騒動の中、物陰に隠れてただ震えていた者に言われたくないがな?」
「なッ……! 貴様!」
頃合いを見計らってずっと物陰に隠れていたのに気付いていた。元王子もここまでの騒動になるとは思っていなかったのだろう。ただあの女子が何か騒動を起こし、そして落ち着いたのを見計らって姿を現す。そして如何にも自分が騒動を収めた者だと声高らかに宣言しようとしていたに違いない。
当てが外れたようで何よりだが、どうにも軌道修正できない状況で姿を現したのには驚きだ。だがそこまで強行突破した原因が「王子ではなくなった」ということならば納得できる。
元王子が俺を睨みつけ、一歩足を動かそうとした時だった。フィーリア家の騎士たちも剣を構え取り囲み俺も剣を動かそうとしたのだが、それを細い手が止める。
視線を横に向けると令嬢が真っ直ぐな眼差しでこちらを見上げてくる。こういう場ではその人間がどういう性格なのかが垣間見える。今がまさにそれだ。俺は剣を下げ、令嬢の後ろに下がった。
「ああアリシャ、お前は俺を選ぶッ?!」
バシンッと小気味のいい音が響き渡った。元王子は自分の頬を手で押さえ、唖然とした顔で令嬢を見ていた。
「貴方の悪巧みなんてお見通しなのよ。どうせわたくしと復縁してもう一度王子の座に戻ろうと安着なことを考えていたのでしょう? わたくしがそんなお馬鹿な貴方の駒の一つになるとでも思っているの?」
「なッ……?!」
「いい加減認めたらどうなのよ。貴方の実力なんてたかが知れている。周りがよいしょしてくれたおかげで馬鹿みたいなプライドを持ったつもりなんでしょうけれど、貴方の妹のほうがとても立派な人だわ。そんな貴方にわたくしはずっと嫌気が差していたのよ。学園であんな騒動を起こしてくれてこちらは寧ろありがたかったわ。『これで堂々と婚約破棄できる』とね」
「お前は俺を愛しているはずだろう?!」
「愛そうとはしたわ。政略結婚を円滑に進めるためにね。でもわたくし結局、貴方に愛着の一つも沸かなかった。寧ろ今は、憎らしいぐらいよ」
その背中からでもわかるほど、彼女は毅然とした態度でそして真っ直ぐだった。
「わたくしの騎士を貶したことは、決して許さないわ」
元王子が喚き散らす中、周囲を取り囲んでいた騎士たちに取り押さえられ騒動を起こした女子たちと同じように連行された。恐らくだが、今回の件はあの元王子も一枚噛んでいただろう。そうでなければあまりにもいいタイミングでのご登場だった。
今度こそ一段落ついたと短く息を吐きだす。足場が悪くなったこの場でロイドがきちんと令嬢をエスコートするだろう。左脇腹に手を当てると、止血はしっかりとできているもののズキズキとした痛みが走り始めた。今までハイになっていて痛みに疎くなっていたのだ。
「お、おい、大丈夫か?」
それにいち早く気付いたのは意外にもロイドだった。彼は令嬢を支えつつもこちらを振り返り、そんなロイドに俺も思わず苦笑を返す。
「発熱し始めた。だが二、三日寝込めばどうにかなるだろ」
「何とんでもないことしれっと言ってるんだお前は」
「クラウス……」
「倒れたらすまんな」
「何しれっと言ってんだお前は?! 倒れたって運んでやらねぇぞ?!」
心配げにこちらを見てくる令嬢に小さく笑みを返し、怒りを顕にしているロイドは近くにいる騎士を呼びつけ俺を支えるように頼んでいた。なんだかんだで人がいいのだ、ロイドは。
何はともあれ、令嬢やロイド、騎士たちなど身近な者たちが酷い怪我を負わずに済んでよかったと安堵の息を吐き出しつつ、フィーリア家の騎士に身体を支えてもらいながら俺も歩き出した。
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