22.ひたすら進め

 予想していた通り、俺は発熱し二、三日寝込んだ。驚いたのが目が覚めた時に見上げた天井が見知っていたものではなかったということだ。見覚えのない天井に一瞬で警戒心を持ち、辺りを見渡してみたもののその行動は杞憂に終わった。

 どうやら令嬢がいつの間にか騎士の宿舎に俺の部屋も作っていたようだった。倒れた俺は治療を受け、念の為にと学園の寮ではなくここに運ばれたらしい。そう説明してくれたのが、こまめに見舞いにやってくるロイドだった。

「不器用だな」

「うるせー。そう言うんなら自分で剥けよ」

「貸してくれ」

 見舞いに来たロイドがりんごを切ってくれているところだったんだが、剣と同じ刃物だというのにその手は拙かった。結果、あれだけ丸々としていたりんごは痩せ細り芯の周りに若干果肉がついている程度に終わった。

 プンスカと腹を立てているロイドからナイフとりんごを受け取り、シャリシャリと皮を剥いていく。

「……は?」

「よくやっていたからな」

 それは前世であったり、今世でも村でよく果実をもらっていたため自分で剥いて食べていた。出来上がったのは薄い皮とたっぷりの果実を残したりんご。適度のサイズに切り分け一欠口の中に入れ、他のを皿ごとロイドに渡した。

 文句を言いつつもりんごを口にし、ロイドは今まで見舞いにやってきた時と同じように様々なことを報告してくれる。

 例の元王子だが、以前の婚約破棄騒動で勘当をされ別館で監視されていたところ脱走。今回の騒動を引き起こした一人としてとうとう庶民にまで落とされたそうだ。もう彼を庇い助ける者など一人もいない。俺としてはその程度で済んでよかったなと思う処罰だった。問題だった跡継ぎだが、どうやら妹がかなり優秀だったらしく王位継承者となったとのこと。

 騒動の発端となった例の女子だが、彼女は処刑されたそうだ。あのパーティー会場で王子の取り巻き一人と結婚したとは言っていたが、貴族にとって必要なものをすべてすっ飛ばしてからの強引な結婚だったらしい。もちろん操られていたとはいえ隙きを見せてしまったあの男子にも責任がある。男子も元王子と似たような処罰、例の女子のその後の姿を見たものは誰もいない。

 そしてローガンとやらだが、一応人の姿には戻ったらしい。だが、今まで通りの生活を送るのには困難な身体となったようだ。爛れた肌は元に戻らず布が擦れるだけで酷い痛みが走り、湯を浴びることすらできない。彼は神官預かりとなり今も治療を受けている。

「アリシャ様は、今回命を狙われた身だったが騒動を鎮静させたことでより一層貴族たちの評価を得た」

「そうか」

「……はぁ」

「手が届かぬ存在になったのだな」

「わかっているなら言うなよ。しょうがないだろ……俺はどうせ次男だ、アリシャ様の相手には相応しくない」

「お前ほど身体を張ってまで守ろうとした男はいないだろ」

「……どうだか」

 最後の一欠を口の中に放り、シャクシャクと咀嚼する。果実本来の甘みに程よい酸味、ロイドはいいりんごを買ってきてくれたようだ。

「お前も熱が引いたからってあんま無理すんなよ」

「血が足りんからな。取り敢えず飯を食って体力を戻し、それからの運動だな」

「飯は自分で調達しろよ」

「無論だ」

「……それまではここにいていいみたいだぜ」

 ロイドはそう言い残し部屋から出ていく。見舞いに来きこうして見舞いの品まで持ってきて情報を教えてくれる。何から何までマメな男だ。令嬢の隣に立つ男として、決して相応しくないわけがない。

 だがそこには貴族のややこしい決まりや習わしがあるのだろう。昔も今も、下の者から見たら上の者たちはそういった面で不自由だ。

 ベッドを降り、残った皿とりんごの皮を流しに持っていく。この部屋はキッチンや風呂、トイレすべてが常備されている。流石は騎士にしっかりとした予算を割いているフィーリア家だ。この部屋だけで十分に事足りている。ただ食事だけは食堂に行って調達するか、はたまた食堂で食べなければいけないが。

 皿を片づけ濡れた手を拭き、軽く肩を回す。熱は引いたがロイドが言っていたようにまだ無理をしていい身体ではない。少し動いただけでズキズキとした痛みが走る。鎮痛剤ももらっていたためそれを口に含み飲み込んだ。

「昔ならば治癒師がいて便利だったんだがなぁ」

 魔導師、そして傷を癒やす治癒師。今の世にはその二つがいない。どちらも便利で大いに力になっていたのだが、魔導師はまぁ、学園で習った通りの歴史を持っているためその存在が消えてしまったのは仕方がないが。

 一方で傷を癒せる治癒師は未だに存続していてもいいだろうと思いはしたが、どうやら治癒の力を使える者が徐々に減少してしまったようだ。魔族との戦いが減ったことと関係あるのかどうかは定かではないが、そうして治癒師は徐々に数を減らし自然とその職を持った者がいなくなった。

 今は名残として『神官』という職が残っているようだ。だが治癒師ほどの傷を癒せる力はない。ただ祈りを捧げ、病になりにくくなったり小さな傷を癒せる程度とのこと。その代わり今では回復薬が大きな進化を遂げているらしい。この鎮痛剤もまさにそれだ。

 ある意味では、魔導師も治癒師も時代の流れによって『不必要』となったのかもしれない。


 若い頃は多少無理をしたいところだが、そうすれば治りも遅くなるということを知っている。とにかく休養も必要なことだ。そうしてしっかりとした食事を取りしっかりと休み、徐々に身体が動かせるようになってから鍛錬に励んだ。

 十分に動けるようになったのは熱を出してから七日ほど経ってから。これならもう動いても大丈夫だろうと鍛錬所に顔を出すと、真っ先に呆れた表情をしたのはロイドだった。

「体力馬鹿か、お前」

 褒め言葉として受け止め、彼らと同じ量……とまではいかなかったがやや量を減らし共に鍛錬することも可能となった。

 あとは七日ほど丸々学園を休んでしまったため、そちらのほうにも精を出さねばならなかった。久々の登校は友人たちは同じクラスの生徒たちに大いに心配をかけさせてしまったことを自覚させ、そして彼らは休んでいた俺のために色々と準備もしてくれていたようだ。

 何から何まで感謝しかないし、こういう友人たちを持つことができたのも『普通』を望んだ俺の頼みを聞いてくれた女神のおかげでもあるだろう。

 そうして徐々に日常を取り戻し、流石にもう騎士の宿舎から出るべきだろうと準備も終えた頃だった。

「クラウス、少し街を歩かない?」

 倒れてから初めて顔を合わせた令嬢は、俺の部屋にやってきてそう一言告げた。

 彼女も彼女で令嬢として忙しい身であるだろうからと、周囲に令嬢について何かを聞くことはしなかった。その逆は知らないが。だがこうして顔を合わせるのは実に久しぶりだ。

「護衛は?」

「貴方がいるじゃない」

 いつかの会話と同じようなことをお互い口にし、傷に触らぬようゆっくりと歩こうと言った令嬢に小さく頭を左右に振る。流石は若い身体、すでにある程度まで回復しており日常生活を過ごすには何ら問題はなかった。

「本当に大丈夫なの?」

「ああ。痕は残るだろうが見ての通りピンピンしている」

「本当に?」

「心配性だな。触ってみるか?」

「なら遠慮なく」

 街の中を歩きながらそんな会話をし、令嬢は有言実行遠慮なく左脇腹を触ってきた。だが軽く押した程度で痛くも痒くもない。ただ若干くすぐったいだけだ。

「大丈夫だろう?」

「丈夫なのね」

「身体を鍛えていたからな」

「……そうね」

 何を思い出したのか知らないが彼女はそっぽを向き、ほんの少しだけ顔を赤くした。男の上半身だけの裸体なぞそう照れるもんでもないだろう。村など暑い日には皆よく上着を脱いでいた……と、そこは庶民と貴族とでは同じにしては駄目か。

 それから特に込み入った話をすることなく互いに他愛のない会話だけを口にする。授業はどれほど遅れてしまったのか出席日数は大丈夫なのか、宿舎はどうだったとか。令嬢が本当に話したい会話ではないことを理解しつつ、しばらく付き合ってみることにした。

 途中露店で軽食を取ったりしつつ、ある程度街の中を歩いた時だった。令嬢から行きたい場所があると言われ大人しくそのあとをついてく。街の中心部から徐々に離れ、視界には時計台が入るようになった。

「上るのか?」

「ええ」

 流石に一般人立入禁止じゃないのか、と思いはしたもののどうやら令嬢はここの管理者と顔見知りだったようだ。難なく中に通され長い階段を上っていく。病み上がりとはいえ令嬢より体力がある俺はどうということはなかったが、令嬢はやはり若干息が上がっている。そんな令嬢の手を引っ張りつつ上を目指した。

「いい景色でしょう? ここ、わたくしのお気に入りの場所なの」

 辿り着いた先は、街を見渡すことができる絶景の場所。日もやや傾いていることや上と下での視点の違いからして、確かにいつもよりは美しく見えた。

「美しいな」

「そうでしょ。貴方は本音しか言わないから……」

 風でなびく髪を押さえながら、令嬢は一度言葉を止めた。景色に向けていたはずの視線を一度足元へ落とす。なびく髪で、その横からからは表情が読み取れない。

「……ねぇ、クラウス」

 顔を上げた令嬢はこちらに振り向き、しっかりと俺を見上げてきた。とても歪な笑みを顔に貼り付けて。

「ここからわたくしを連れ出して、遠くへ連れて行って。って言ったら、貴方は連れて行ってくれる?」

 それは俺の村に行くのか、はたまたまったく別の、遠い地なのか。

 令嬢に身体ごと向き直り真正面から向き合う。俺は昔から建前を口にするのは苦手だ。

「令嬢がそう望むのならそうしよう」

 心の底からそう望むのであれば。

「だが令嬢が、己の慕う者たちを置いていくことができるのであれば、だ。君の父と母、身体を張ってでも守ろうとしてくれる騎士たち、毎日裏から支えてくれている使用人、君が心を寄せている庶民たち――貴族の娘としての己の誇り、それらをすべて置いていくならば」

「っ……!」

「それができる『アリシャ・フィーリア』に、俺は会ったことがないがな」

「……ほんっと、嫌になる」

 彼女は握り拳を作って俺の胸を叩いてきた。だがあまりにも小さく弱々しい力だ。トン、と何度叩かれてもまったく痛くはない。

「本当に、わたくしのことわかってくれるのね……わたくしは貴方のこと、知らないことばかりなのに」

 不公平、と小さく呟かれた言葉はわずかに震えていた。

「クラウス、わたくし決めたわ。わたくしは誰もが羨む美しく強い女性になってみせる」

 そう言って顔を上げた彼女はまるで憑き物が落ちたかのようにすっきりと、しかし力強い真っ直ぐな瞳を向けてきた。

 俺は、そんな目の端に浮かんでいる雫に手を伸ばすことはなかった。

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