20.血湧き肉躍る

「む、無謀なことをするなよ! そんなおぞましいものなんかに!」

 周囲が逃げるために必死なため、走っている貴族たちの身体が令嬢に当たる。令嬢が倒れないようにと両腕でしっかりと支えているロイドは俺にそう叫んだ。

 だがロイドはああ言っているが、恐らくロイドは相手にできない。人ではない何かと戦ったことがないのだ。一体どんな手を使ってくるのかわからない相手に果たして勝負ができるだろうか。他の騎士たちも同じだ、ああいったものは人間とはまた思考が違う。どんな手でも使う相手に人間の正攻法など通用しない。

「気にするな。令嬢を守ることだけに集中しろ」

「クラウス!」

「それよりも先に令嬢を安全なところへ逃がせ」

 こちらに手を伸ばそうとしている令嬢の姿を目の端で捉え、安全な場所に連れていくようにと目でロイドに伝える。彼は騎士だ、何を重要視しなければならないのかわかっている。

 徐々に徐々に俺から距離を取っていくのを確認し、再び目の前に視線を戻す。あの女子は未だに虚ろな目をしているジェラードとかいう男子の腕に守られている。恐らく、何があっても自分を守るようにと暗示をかけているのだろう。例え、彼の腕や足や首が飛んだところであの女子は気にも留めないのだ。

「堕ちるところまで堕ちたな、ローガンとやら。お前の家の騎士たちは、そんなお前でもやり直せると信じていただろうに」

「ウ、ガ……ア、アァッ」

「もう人の言葉すら発せないか」

「ローガン、邪魔な奴ら消しちゃって!」

 安全な場所で、口だけは一人前だ。だがあの女子よりもまず先にこの異形の相手をしなければならない。

 剣を構え床を蹴る。向こうは剣を持っているようには見えないが腕が今では計四本あるのだ、いくらでも攻撃はできよう。

「本体以外の腕は斬り落としても構わんな」

 あそこまで異形なものに変えさせられれば、果たして元の姿に戻れるものなのか。頭上に覆いかぶさるように勢いよく迫ってきた二本の腕を剣で弾き返し、横に回り込み早速腕を斬り落としにかかる。真っ直ぐに振り落とした剣は腕一本を断ちはしたものの、その巨体のわりには意外と身軽のそれは腕一本を犠牲にして俺と距離を取った。

 辺りはまだ騒然としているが、そちらに気を遣っている場合でもない。この異形の相手を俺がしなければ。一般の騎士にすら手こずっている他の騎士たちには無理だ。休むことなく次々に攻撃を繰り出しては、面白いことに断ち斬られた腕は再び生え今では計六本になっている。

「まるで爬虫類のようだな。お前のような魔物がいたことを思い出すぞ」

「ガ、ア、アアアッ!」

 背中が蠢いたかと思えば、腕とはまた別の触手のようなものが数本生えたではないか。安全な場所で汚い言葉を繰り返していたあの女子もその姿には顔を引き攣らせ、身体が自然と逃げの体勢を取っていた。

 数本の触手は幾多にも伸び、別の騎士の相手をしていたフィーリア家の騎士たちにも迫ってきていた。流石にこの数をすべて捌くには骨が折れる。対応できる者はそのままにしておき、対応できない者のみにこちらが対処する。広範囲のためこちらも動き回らねばならないが流石は若い身体だ。昔だと腰が多少痛くなっていた。

「対応している騎士を押し込みそのままこれと距離を取れ!」

 フィーリア家の騎士たちにそう指示を出し、触手を数本斬り落とす。その触手が繰り出される度にスピードと威力が増しているところを見ると、どうやら学習しているようだ。あのローガンとやらの脳がそうさせているのか。見るからに意識はすでにないように見えるというのに、何から何まで利用されているのだ。あの男子は。

 増えた腕と触手を斬り落とすのは、俺にとっては造作もない。だが斬り落としたところでまた新たなものが生えてくる。これではこちらの体力を消耗させるばかり。

 ちらりと視線を女子へ向ける。相変わらずその右手は強く握りしめられている。先程、あの黒いモヤはあの右手から発せられていた。ということは、だ。

「アリシャ様!」

 唐突にロイドのそんな声が聞こえた。急いで視線を走らせると令嬢を守っていたはずのロイドは操られている騎士たちに襲いかかられその対応に迫られていた。そうしてできた隙きにこの異形は見過ごすわけがなく、素早く触手を伸ばす。

 このままだとあの触手は間違いなく令嬢の腹を抉る。ロイドもそれがわかっていて焦っているのだ。しかし、思うように身動きができない。

「さっさと殺っちゃってよ! ローガンッ!」

 やはりあの女子の目的は令嬢だったか。落ちていた剣を拾い上げ自分の身を自分で守ろうとしている令嬢だが、その腕はあまりにも細い。

「アリシャ様ァッ!」

「ッ……!」

 悲鳴は上がらなかった。ただロイドの必死に伸ばされた手は宙を掠めた。

 久しぶりの感覚だ。肉を抉られる。その箇所が一気に熱を帯びる。激痛が走ったが剣で軌道を変えたため急所は外れた。出血はしているものの予想以上に酷くはないはず。

「クラウス!」

 背後から令嬢の悲痛な叫びが聞こえる。肉を抉った触手を斬り落とし、ロイドが苦戦していた騎士の首を柄頭で殴り気絶させる。

 令嬢の腕を引っ張り多少強引になってしまったが歩かせ、唖然としているロイドの胸元に押し付ける。

「令嬢が狙われている。早くこの場から逃がせ」

「お、おい! お前傷が……!」

「何、どうということはない。若いからかまだ動けるし我慢できんこともないからな」

「そんな平然とできる傷かよ?!」

「まぁ、気にするな」

 嘘は言ってはいない、嘘は。確かに痛みはあるが堪えることはできるし、寧ろ流石は若い身体だと感動すら覚えているところだ。出血しているもののまだ動けるのだ。昔なら多少立ちくらみしていたかもしれない。

「早々に決着をつけることにしよう」

 ロイドの肩をポンと叩き、こちらを涙目で見上げてくる令嬢に視線を落とす。別にそこまで心配する必要もない。昔ならば日常茶飯事だった。そして儂は今、その頃を思い出し噛み締めている最中だ。

 女神に頼んだ。普通がいいのだと。平凡を味わってみたかったのだ。ずっと戦いに身を置いていたから。剣を握らず飯を食い友人たちと笑い合いながら日々を過ごしてみたかった。

 だが今の俺はどうだ。血が沸き肉が踊る。素早く二人から背を向けていなかったら上がっていた口角を見られるところだった。肉が抉られたことで逆に頭が冴えた。目の前の光景が綺麗にはっきりと見える。

「さぁ若造、いい加減大人しくしろ」

 繰り出された触手を避けつつ距離を縮める。だが先程のように斬り落としたりはしない。ただ右へ左へと避け敵を翻弄させる。するとあちらこちらに無駄に繰り出される触手は徐々に絡まり始めた。

 俺は避けるために動かしていた足を止め、剣を片手で構える。そして――絡みに絡まった触手に向けて思いきり放り投げた。剣は一寸の狂いもなく団子になっている触手の中心を捉え、勢いを殺さぬまま異形を壁に貼り付けさせることに成功した。斬られた部位は再生できるが、どうやら生やせる数に限りがあったようだ。

 俺の予想が当たって何よりだと思いつつ床に落ちている剣を拾い上げ、大股で端に寄っている男女に近付く。

「な、なにしてるの。助けて、早くわたしを助けてよジェラード! わたしの盾ぐらいなりなさいよね?!」

 女子の声に反応するかのように、男子が俺の前に立ち憚る。だが相変わらずその目に生気は宿ってはいない。焦点も定まっておらず身体は左右にゆらゆらと揺れるだけだ。

 俺は迷うことなく鳩尾に一発拳を入れた。その身体は呆気なく崩れ落ち、男子の後ろに隠れていた姿が簡単に顕になる。

「わ、わたしにこんなことしていいとでも思ってんの?! わたしはヒロインなのよ?! アンタなんか、補正が効いてすぐにどうにでもできるんだからね?!」

「相変わらず理解できない言葉しか吐かないなお前は。自分の立場をわかっているのか? これだけの規模これだけの人間に害を成しこれだけの被害を出したのだ。お前は下手したら謀反人扱いで処刑されるだろうな」

「は……?」

「手を斬り落とされたくなければ手に持っているそれを差し出せ」

 剣先を女子の右手に向ける。呆けた顔になっているのは未だに自分が置かれた状況に気付いていないからか。

「あ……あげるわけ、ないでしょぉッ?! これはレアアイテムなのよ?! ゲットするのにどんだけ苦労したと思ってんのッ?!」

「そうか、それがお前の答えか」

 まるで隠すかのように右手を抱きかかえるが、それがどうしたと足を動かす。一歩近付けば女子は逃げようと身体を引くが、残念ながらその後ろはすでに壁だ。背中が壁に当たりそのことにようやく気付いた女子はサッと顔を青くさせた。俺は構うことなく足を進め、ろくに逃げることもできない女子の首根っこを掴みその身体をズルズルと引き摺る。

「放しなさいよッ! 汚い手で触らないでッ! きゃあッ?!」

 思いきりその身体を持ち上げ、壁に縫い付けられ蠢いている異形の前にその女子の身体を掲げた。

「ならばあの触手にでも身体を貫かれろ。見ての通り自我を失っている。お前の命令なんざ聞かんだろうな」

 動きを封じている剣が徐々にひび割れていく。あれが折れるのも時間の問題だ。異形は相変わらず藻掻き剣が折れるのが先か、触手が動き出すのが先かという状況だった。

 やっと自分が置かれている状況に気付いたのか、俺に首根っこを持たれたままぶら下がっている女子の身体が震えだした。

「な、なによ……ちょっと、ローガン……う、嘘でしょう?!」

「身から出た錆だ。自分のケツは自分で拭け、愚か者」

「い、いやぁあああッ‼」

 剣が折れ、異形の身が自由になった。もう目の前にいる人間の区別すらつかないのだろう。触手は真っ直ぐに女子に向かい、その身を貫こうとしていた。

 悲鳴を上げたところで、女子の手から何か滑り落ちる。それを見過ごすことはなく、女子の身体を素早く遠くへ放り投げ触手を避けるために身を屈めた俺は、足元にあるペンダントのようなものを剣で砕いた。

「ガァアアアアッ‼」

 異形のものから雄叫びが上がる。あれだけその身に絡みついていたモヤが徐々に剥がれ落ちていき、生やされた腕や触手がボトボトと床に落ちていく。目の前に現れた男子の身体は見た目こそは人のものに戻っていたものの、肌は赤黒くなりところどころ焼け爛れていた。

「まったく。いつの世も突っ走る若者には苦労させられる」

 短く息を吐きだし、手に持っていた剣を放り投げた。あのペンダントのようなものを砕いたため他に操られていた騎士たちも洗脳が解かれ、バタバタと倒れていく様をただ眺める。

 取り敢えずは、これで一段落だろう。昔のように動けた身体は楽しかったが、明日辺りには筋肉痛になりそうだと苦笑した。

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