17.為人

 あれだけ飲めや歌えやで騒いだ人々はどうなるか。答えは雑魚寝だ。睡魔に襲われた者から片っ端に地面の上でごろ寝する。完璧に意識を失った人間を運ぶのは至難の業で、この村では祭壇周辺に人々が転がるのは毎年恒例だった。

 そんな中酒を飲めなかった者や、こうなることがわかっていて飲む量をセーブしていた者がせっせと寝転がっている人たちにブランケットをかけてやるのだ。その後は放置だが。よって毎年風邪を引く者が出てくる。学習しろよと思う者もいるだろうが、村ではすっかり名物となっていた。

「硬くて寝にくいだろう」

「確かに少し硬いけれど、寝れないわけではないわ」

「そうか」

 酒を飲めなかった俺や父と母も無事に家に戻ってきたが、この家には客室というものがない。ということで令嬢には俺の部屋のベッドを貸し、俺は床で雑魚寝だ。まぁ昔から野宿とかしてきたため特に不便はない。若い身体のおかげで翌日腰が痛くなることもない。

「すごく楽しかったわ。こんな楽しい聖誕祭初めて」

「我儘を言ってついてきた甲斐があったな」

「べ、別に我儘ってほどではないでしょ?」

「そうだな」

 クツクツと喉を鳴らせば令嬢から不貞腐れたような声が聞こえた。我儘ではないというのであればせめて騎士を一人ぐらいつけてもらいたかったところだ。

 仰向けになり天井を眺める。田舎のため外灯などの明かりが少なく、窓の向こうにある夜空がよく見える。月の明かりも部屋の中に入ってきていた。

「家の裏にある庭を見たわ」

 不意に令嬢からそんな言葉が聞こえてきた。視線を向けることはしなかったが、耳だけは向けてやった。

「あれを見たら、貴方にとってフィーリア家の騎士の鍛錬なんてとても生易しいものだったでしょうね」

「今の騎士にとっては、あれが普通なのだろう?」

「ええ、そうね。でもフィーリア家は他の貴族に比べても厳しいものなのよ」

「そうなのか」

「ええ」

 こうやって辺りが暗闇であるにも関わらずのんびり会話ができるのは、今世がそれだけ平和になったということだ。わざわざ聞き耳を立てて魔物の気配に敏感になる必要がない。

「貴方のお母様、本当に驚いたみたい。貴方が女性を連れてきたから」

「ただ単に嬉しかったのだろう。うちには子が俺一人だからな。母さんは娘が欲しかったのかもしれない」

「確かにそれっぽいことを言っていたわ」

 だからこそ彼女は着せ替え人形的なものをさせられたのかもしれないが。自分のお古を令嬢に着させて毎度俺に感想を聞いてきていたのだ。「どう? 可愛いでしょ?」と聞かれたところで、俺は母の服は見慣れているためそう大した感想を返せるわけがない。

「ねぇクラウス」

「なんだ」

「貴方って、なぜああまでして自身を鍛えようとしたの?」

「村のためだ」

「それならあそこまでする必要はなかったと思うの。貴方のお母様言っていたわ。『まるで誰かを探してるみたい』って」

「……奇遇だな、父にも同じことを言われた」

 一度目を閉じ、聖誕祭の前に言われた父の言葉を思い出す。父にも母にも似たようなことを言われるということは、俺はそこまでわかりやすかったのだろうか。

 閉じていたまぶたを持ち上げる。視界に入るのは学園に入る前までずっと見てきた天井だ。僅かに穴が空いた形跡がある場所は、父と一緒に修理したところだ。

「『普通』を望んでいたのだ。昔から」

「昔から……?」

「ああ。何かと戦うことなく毎日平凡に過ごせるのが『普通』だと、そう思っていた。だが父に言われた。どうやら俺が望む『普通』とは、俺が想像していた『普通』とは違うらしい」

 気付かないようにしていた。だが、周りから指摘されてしまえば自覚せずにはいられない。

 俺は剣を手放せない。剣と斧、必ずどちらかを選べと究極の選択に迫られてしまえば、俺はきっと剣に手を伸ばす。

「どうやら俺は俺自身が思っている以上に、骨の髄まで騎士だったようだ」

「……それは、貴方にとっては悪いこと?」

「どうだろうか。だが残念なことに、それが悪いことだとは自分では思えない」

 何かあれば剣を持って戦うだろう。俺はそんな自分に誇りを持っているのかもしれない。誰かに忠誠を誓えることが幸せなことなのだと、前世の儂は知っている。誰かを守り抜くことに充実感や達成感があることを知っている。

 それを望んでしまうのだ。人知れず。だから新たに生を授かり新たな人生を歩もうとしていたのに、鍛錬などしてしまったのだろう。もし前世の記憶がなければ別の道を歩いていたかもしれない。

 だが、やはり魂は同じ道を望んだかもしれない。

「女神もこうなることはわかっていたんだろうか」

「貴方から『女神』の言葉が出てくるなんて。そこまで信仰深そうには見えないけれど?」

「会ったことがある」

「女神に?」

「ああ」

「……ふふっ、どんな感じだったの?」

「そうだな、見目麗しい女性ではあったな。全体的に白かった」

「それは『神々しかった』と言うのではなくて?」

 俺は嘘を言っているわけではないが、恐らく令嬢は俺の言葉を信じているわけではないだろう。ただの戯言だと思い、それに付き合っているのだと思う。俺は別に構いはしないが、確かに存在しこうして聖誕祭も行われているというのにあまり信仰されていない女神が気の毒になってくる。

 だが信じていようがいまいが、人は最終的に女神ルキナの元へ還る。その時が来て彼女も俺の言葉が正しかったとわかるだろう。まぁ、それはずっと遠い話ではあるだろうが。

「クラウス」

「なんだ」

 先程からこのやり取りばかりやっているなと内心苦笑しつつ、やはり俺は視線を彼女には向けない。向こうからの視線がこちらに向かっているのをわかっておきながら。

「貴方はやっぱりお父様の跡を継いで木こりになりたいの?」

「……そうだな」

「……そう」

「だがいい加減、己の意志に従うことにするよ」

 もう誤魔化しは利かないのだ。どう足掻いてもそれを選んでしまう自分がいるのだから、素直にそれに従おう。

「クラウス」

「今日はよく俺の名を呼ぶな?」

「――『アリシャ』って」

「ん?」

「今は『アリシャ』って、呼んでくれる? 今ここにいるのはフィーリア家の令嬢じゃなくて、聖誕祭を楽しんでたただのアリシャ。だから」

 この時ようやく俺は視線を動かし令嬢へと向けた。身体を横向きにし令嬢はベッドの上から俺を見下ろしてくる。

 何をそんなに、令嬢が必死なのかは未だにわからない。だが令嬢は令嬢で何かを抱え葛藤しているのだろう。ここ最近ずっとそんな様子で、だからといって庶民である俺は貴族の悩みなどわかるはずもない。だからそんな彼女の心に寄り添い共感してやることもできない。

「……ごめんなさい、やっぱりなんでもな……」

「アリシャ」

「……!」

「明日も早い。今日はもう休め、アリシャ」

「っ……ええ、そうするわ。おやすみ、クラウス」

「ああ、おやすみ」

 こちらに向けていた身体を反対側へと向き直り、それから令嬢が口を開くことはなかった。やれしばらく寝息が聞こえ、俺も向きを変え窓に視線を向ける。

 名を呼んだだけで、あんなにも喜ぶのか。

 そういえば前世でも、王とその騎士としての立場が確立した時しばらくの間王はへそを曲げていた。王となったのだから、今まで通りに気軽に呼べるわけではないと俺が呼び名を改めたのだ。それに対し不機嫌になる王を宥めるのは大変だった。これから国を民を統べるのだから、それなりの態度を取るべきだと何度説き伏せたことか。

 上に立つものの重圧は俺にはわからない。俺にはただ手となり足となり動くことしかできなかったのだから。

 けれど少しでも、彼らに安らげる場所があればいいと。今も昔も心から強く願う。


「アリシャちゃん、もう行っちゃうのね。もう少しゆっくりしていけばよかったのに」

「首都の女子を長々村に置いておくわけにもいかないだろ」

「確かにここは田舎よ。もうクラウスったら、もう少し言い方をどうにかできないの?」

「俺は本当のことを言ったまでだが?」

「まぁまぁ。でもほら、前みたいに『儂』なんて言わなくなったんだから、随分な進歩じゃないか」

 荷物をまとめた俺たちは家のドアの前に立っていた。令嬢の服装も母から借りたものではなく、この村に来た時と同じものになっている。

 聖誕祭も終わり後片付けも終えれば令嬢もこの村でやることはなくなる。のんびりとした時間を過ごすのもいいが退屈な部分もあるだろう。それに、母は気付いてはいないが彼女は貴族だ。貴族の娘が護衛もなしにずっと遠出しているのもまずいだろう。

 視線を感じそちらに目を向けてみれば、なぜか令嬢がジッとこちらを見上げていた。何か言いたげな顔に小さく首を傾げる。

「自分のこと『儂』なんて言っていたの?」

「親に散々注意された」

「元から言葉遣いがジジィ臭いんだから、もっとちゃんと子どもらしく喋ってもらいたかったんだけどね。結局変わらなかったのね」

 これはもう変えようがない。それに両親はそう思っているだろうがこれでも多少は砕けたつもりだ。本当ならもっとジジ臭く喋ることもできるんだがなと思いつつ、自分の荷物と令嬢のトランクを手に持つ。

「次はまた来年?」

「そうなると思うが、村に何かあったらすぐに戻ってくる」

「無理をしなくていいからな? クラウスが心配しないように父さんたちもしっかりやるから」

「アリシャちゃん」

 母が令嬢に声をかけ、顔を向けた令嬢に母は両手を広げた。それだけでは伝わらなかったのだろう、首を傾げる令嬢に母は苦笑し自ら距離を縮めた。そしてその腕で令嬢の身体を包み込んだ。

「アリシャちゃんも、なんにもないところだけどいつでも遊びに来ていいからね?」

「あっ……はい、ありがとうございます」

「いってらっしゃい」

 父と母に見送られ、俺たちは出立した。帰ってきた時と同様、停留所まで歩いていたが何やら令嬢の様子がいつもと違う。

「どうした?」

「えっ? い、いいえ、なんでもないわ」

「その割には顔が赤いがな」

「っ……! あ、ああやって誰かに抱きしめられたのは、小さい頃以来だったのよっ」

「そうか。よかったな」

 なんだ、ただ喜びを噛み締めていただけだったのかと俺は前を向き直る。後ろからしっかりとついてきているのを確認しつつ、村に来たことによって多少は令嬢も気分転換できていたらいいと乗り合いの馬車を待った。

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