11.外堀が埋められていく
「随分とタイミングがいいのだな」
「そろそろ困る頃だと思って」
ハワードに声をかけられたものだからてっきりあの令嬢の呼び出しかと思いきや、向かった先にいたのはアリシャ令嬢だった。同じテーブルにつき優雅に紅茶を飲んでいる彼女に向かって放った一言目がそれだった。
「忙しくなると言ったでしょう? 状況はどうかしら」
「貴女の忠告通りだ。そんなにも物珍しいだろうか?」
「言ったでしょう、優秀な人材を放ってはおかないと」
いや放っておいてほしい、というのが本音だ。なぜそうも他人の人生に踏み入ろうとするのか。何をどう選ぶのか俺の勝手だろうに周りばかりが無駄に騒いでいるような気がしてならない。
目の前に置かれている物に手は付けない。別に普段滅多に食べれないからといってがっつくわけでもない。ただ椅子に腰を下ろしている俺の手は太腿の上から握り拳を作って動かさなかった。
令嬢はそんな俺を一瞥し、口元に小さく弧を描いた。
「わたくしから提案があるの」
ティーカップをソーサーの上に置いた令嬢は肘をつき顎の下で手を組み、にこりと笑みを浮かべる。庶民から見ても大変可愛らしく見える所作だが、如何せん相手は貴族。前世でも貴族相手は厄介だということを学んでいた。
「わたくしの護衛騎士になってみない?」
「……は?」
「わたくしの騎士だとわかったら貴方に声をかけてくる人間は激減するということよ。今周りが躍起になっているのは、貴方がフリーだから」
なるほど。令嬢は公爵家、よって言い方悪いが彼女が先に手を付けておけば周りは余程のことがない限り横槍を入れることができないということだ。それならば確かにここ数日の執拗な絡みは少なくなるだろう。確かに悪い話ではない。
が、それは俺にとっては得な話であって、ならば令嬢にとってはどうだという話になる。彼女にはなんの得にもならない。自分の利にならないものをわざわざ提案するだろうか。口を噤みジッと彼女に視線を向ければ、向こうは緩やかに口角を上げただけだった。
「貴方はやっぱり一筋縄ではいかないわね。普通なら皆喜んで飛びつくというのに」
「一体俺に何を求めている」
「貴方の考えているようなことはないわ。前に言ったでしょう? わたくしは貴方に二度助けられている。まだその恩を返してはいない、というだけよ」
「ならばもう結構だ。俺は恩を売るために助けたわけではない。自分の考えに従ったまで。貴女ももう気にする必要はない」
確かにこれからもまだ絡まれるだろうが、彼女の提案に安易に頷くのは得策ではない。失礼する、と一言口にし席を立つ。
「何も本当に騎士になれとは言っていないの。ただ周りにそう思わせるだけ」
だがそんな俺の動きを彼女は言葉で止める。
「別に貴方の将来を潰そうという気はないわ。これは、そうね。ある意味わたくしの不始末。貴方に助けてもらわなければ対処できなかったわたくしの不徳の致すところなの」
「……はぁ」
一度息を吐き出し、浮かしていた腰をもう一度椅子に下ろす。彼女に視線を向ければ先程とはまた違った笑みを浮かべた。
「フィーリア公爵家の騎士団に在籍する、という扱いか」
「そういうこと。実はもうお父様には話しを通しているの。もちろん、貴方は断ることもできるわ」
「ここまで引き止めてそう言うか。強かだな」
「ふふ、お褒めの言葉ありがとう」
なぜ貴族というのは、こういう強引さがあるのだろう。自分の思った通りに事が進まないと気がすまない、という人間は多いだろうがこの令嬢は一応の逃げ道もしっかり用意している。だが、そうさせないための先程の会話だった。
「庶民にも優しく品性高潔だと慕われている令嬢が、ここまで悪知恵を働かせるとはな」
「まぁ、悪知恵なんて人聞き悪い。交渉術、とでも言ってくれるかしら?」
「一般クラスの生徒が今の貴女を見たら目が飛び出るほど驚くだろうな」
「あら、わたくしはそんな彼らを慕っているわ」
「知っている」
目の前にあるスコーンに手を伸ばし、一つだけ口に頬張る。相変わらず上品な味わいだ、フィーリア家の料理人はさぞ腕がいいのだろう。
黙って咀嚼していたが、それにしては目の前が急に静かになったなと視線を向ける。何かあったかと思いきや、彼女はただ目を丸めて固まっているだけだった。そして俺の視線に気付き、一度軽く咳払いをしたあとティーカップに口をつける。が、その頬は僅かに紅潮していた。
口の中にあったものがなくなりそろそろ教室に戻るか、と立ち上がろうとした時だ。彼女から「そうだった」という声がもれた。
「休日にはわたくしの屋敷に来て鍛錬所に行ってもらっていいかしら。一応既成事実のようなもの作っておくべきだから」
「……令嬢」
「なにかしら?」
「外堀から埋めようとしていないか?」
「気のせいよ」
胡散臭い笑顔でそう言われても。思わずジトッと目をやるが彼女はひらりと手を振って見送るだけだった。
どうも若者の勢いに年寄りが振り回されるのは、昔も今も変わらないようだ。
俺がアリシャ・フィーリアの護衛騎士になる、のではないか。という噂はまたたく間に広がった。誰かがどこかで詳細を聞いたわけでないはずだがそれを信じる者が多い。
だがそれは仕方のないことなのかもしれない。一度酸を浴びせられようとしていた令嬢を助けているし、例の件では床の上に叩き伏せられそうになったところを観衆の前で庇った。それらで周りは納得してしまっているようだった。
そもそも今世で騎士というものはそう簡単にはなれないと本で読んだのだが。騎士の名門があり、そこから輩出されることが多い。あとは貴族の息子たちだ。庶民もまったくいないというわけではないがその道程は厳しい。そもそも貴族と違って庶民は剣術を学べる場が極端に少ないからだ。
そのことに誰か突っ込め、と思っていても例のローガンとやらを押さえつけてしまったものだから、周りは俺が庶民だということを頭の片隅に追いやってしまっている。そして噂をまるっと信じる、という現象が起きているわけだ。
「クラウス、彼女の護衛騎士になるんだって?!」
「でもわかる! だってこいつ剣術の授業でも一人平然としてるし!」
「まるで絵本みたいよね! お姫様を守る騎士って感じ?!」
「きゃーっ、なにそれ素敵!」
校門前で貴族に絡まれることはなくなったが、逆にクラスでは常にその話題でもちきりだ。中には「庶民の希望!」という者も出てきている。やめてくれ、そんな大層なものじゃない。
「待て待て、なぜそう簡単に噂話を信じている」
「え? だって本当のことなんだろ?」
「クラウスがアリシャ様と一緒にいるところ見たっていう人いたし」
「あの中園で密会してるんだって?」
「噴水前のベンチじゃなかったっけ?」
「待て待て待て。とんでもない噂話が広がっているな」
そもそも密会と言うな。俺は呼び出されて行っただけだ。一緒にいるところを見たことがある人物は限られてくるが、そのことをそう簡単に周りに喋るような人間でもない。
こうやって噂話は広がっていくんだなとげんなりとする。火のないところに煙は立たないとはいうが。確かでない情報が広がってしまうのは恐ろしくもある。
「でも護衛騎士になるってのは本当だよな?」
「……打診は、受けた」
「ほらやっぱり!」
そこは否定できない。そうしてしまえば今度はまた校門前で貴族に絡まれる。周りはすっかり俺が護衛騎士になるものだと信じてしまっているし、俺は眉間にググッと皺を寄せることしかできなかった。俺は前に父の跡を継いで木こりになると言ったはずだが。
やはり、どうも外堀から埋められている気がしてならない。これだから貴族は強かで油断ならないのだ。
だが厄介なことに、そんな彼女を無碍にできないのもまた困りものだった。
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