12.価値観の違い

 噂もだいぶ広がりもういいのでは、と思ったのだが。令嬢から「休日は屋敷に来るように」との伝言が伝えられた。いやもうよいではないか、貴族から声をかけられることは激減したのだから。まぁ……たまに、変なものに絡まれたりはしているが。

 例えば校門前、物陰からじっとりと見てくる目があったりとか。例えばご令嬢から突然「護衛になりなさい」と言われたりとか。後者はアリシャ令嬢の名を使って断ることができるためそこは大いに助かってはいる。前者は、まぁ、見てくるだけなのでこちらが気にしなければどうということはない。

 だが彼女の名を使っている手前、やはり断ることはできないかと休日渋々フィーリア家の屋敷へ向かっていた。最初は馬車を向かわせるなんてことを言われたが、庶民にそこまでするなと断っておいた。それに一度行ったのだから場所は覚えている。迷うこともあるまい。

「相変わらずでかいな」

 そうしてやってきた屋敷の前で全体図を見上げる。フィーリア家は貴族の中でも相当位が高そうだ。前にやってきた時も思ったが、使用人も多ければ屋敷の端々にもちゃんと手入れが行き届いている。

 さて、これからどうすればいいのかと辺りを見渡した時に丁度、目の前から使用人が一人歩いてくる。俺の姿を視界に捉えた途端会釈し、「こちらです」と促してくる。案内されるがまま足を進めるとそこは屋敷内ではなく、フィーリア家の敷地内ではあるだろうが立派な鍛錬所がそこにあった。

「案内感謝する」

「お召し物はこちらにお着替えください」

「わざわざすまない」

 流石に今着ているものでは見窄らしかったかと素直に着替えを受け取る。更衣室の場所も教えてもらい、そちらに向かって荷を置きさっさと着替え再び表に出た。案内してくれた者はすでに去っていたが流石にここまでくればどこに行けばいいかわかる。ある程度足を進めれば視界が広がり、複数人の男たちがいた。

 その中の一人が俺に気付き、迷うことなく真っ直ぐにこちらに向かってくる。

「君がアリシャ様が言っていた奴か。俺は副団長のレックスだ」

「クラウスだ。邪魔をする」

「事情は聞いている、別にこの場にいても構わない。見学するか鍛錬に参加するかは自由にしていいとのことだ。どうする?」

 なるほど、令嬢にとっては本当にこの場にいるということだけが重要らしい。たかが庶民一人貴族の敷地内で自由にさせていいものなのかと思いもしたが、これだけの騎士がこちらを見ているのだからある意味監視つきではある。

 自由にしていいとのことだが、服を着替え支給されている剣すら受け取った身だ。これで何もせずただ突っ立っているだけとは邪魔以外の何ものでもないだろう。

「鍛錬に参加していいだろうか」

「おい待て」

 唐突に第三者の声が聞こえ自然と視線をそちらに向ける。騎士の一人、この中でもわりと若い部類に入るであろう若者が俺のほうを睨みつけながら歩み寄ってきた。

「庶民が俺たちの鍛錬についてこれるかよ。邪魔だ、黙ってそのへんに立ってろよ」

「口を慎め。相手は庶民であってもアリシャ様が認めた男だぞ」

「それが気に食わないってんだよ! 一体どういう汚い手を使った? 貴族に取り入れるために一体何をやったんだよ、言ってみろ」

「ふむ」

 これは喧嘩を売ってきている、と思ってもいいだろう。この場にいる大半の人間がこの男のように俺に不満を持っているのは間違いない。貴族はプライドが高い、騎士としてこの鍛錬所も神聖な場所とも思っているかもしれない。そんな中庶民が土足で入り込んできたのだ、いい気はしないだろう。

 が、再び若者に視線を向ける。答えない俺に苛立っているのがすぐにわかる。表情に出やすいのだなとつい微笑ましくなってしまった。

「アリシャ令嬢を好いているのだな」

「なッ?! う、う、うるせぇーッ! お前には関係ないだろッ!」

「ほら、さっさと鍛錬に行けロイド。君も参加するなら行ってくれ」

「承知した」

 それからというもののそのロイドという青年からひたすら睨まれることになったのだが。

 だがしかし、驚いた。一通りの鍛錬を終えて俺は思わず唖然とした。最初の走り込みから素振り、そして各部位の筋肉強化の鍛錬に対人の格闘術や剣術。それらすべてをやり終え、周りを見渡してみると誰も彼も汗を流し息切れしていたのだ。

 昔と今では状況が違う。その違いを実感するのはいいが、比べてはいけないのだなとしみじみと思ってしまう。昔のように酷い状況下での魔物討伐の長期遠征もないため、きっと今ではこれが『過酷』な部類に入るのだ。

「クラウス」

 副団長のレックスに名を呼ばれ顔を上げる。彼はその顔に苦笑いを浮かべていた。

「息切れもせず汗もあまり流していない。想像していた以上だな」

 一体今までどんな訓練をしてきたんだ? という問いに正直に答えるかどうか思い悩む。彼らが何歳から本格的に鍛錬を始めたのかわからないが、今のこの状況を見る限り俺が鍛錬を始めたのはきっとずっと早かったのだろう。

「もう一ついいか?」

 そう言ってレックスは俺に剣を放る。難なくそれを受け取ると彼も剣を手に持ち、こちらに構えてきた。

「一つ俺と手合わせしてみないか?」

 ざわめいたのは他の騎士たちだ。副団長が庶民にこうして向かい合うのが信じられないのか、肩で息をしながらも俺たちの動向を注視している。

 そんな中スッとレックスに視線を向ける。副団長と言うだけはある。この場にいる騎士の中でも相当な腕の持ち主だ。隙きもなく無駄に力んでいる様子もない。構えられている剣の芯も決してブレてはいない。

 俺も同じように剣を構えるとレックスが僅かに笑みを浮かべる。それは騎士としての胸の高鳴りか。純粋に誰かと勝負してみたいという表れか。穏やかな表情に見合わず中身はわりと血の気が盛んなのかもしれない。

 合図もなくお互い地面を蹴る。剣がぶつかり甲高い音を立てた。互いに互いの剣を払い次の一手を見舞う。正直こうして力量のあるものと手合わせするのは俺も初めてだ。あの小さな村ではそもそも剣を扱う人間はいないし、学園で習う剣術も基礎を習うだけで手合わせはない。

 よって俺も気になっていたのだ。今のこの若い身体で、一体どこまでいけるのか。

 振り払われる剣を避け下から思い切り斬り上げる。レックスはそれを弾くとすぐさま斬撃の体勢に入った。体幹も素晴らしい、それに対人の戦い方に慣れている。

 容赦なく繰り出される攻撃にこちらも力で対抗したいが、まだ成長過程が途中の身体だ、筋力が昔ほどついているわけではなかった。力では押し負けてしまうため受け流すしかない。

 剣を振り払い、ふと見えた隙きに容赦なく足を入れた。相手は腹を押さえながら後ろによろけ、隙かさず剣を振り上げる。剣は音を立てて弾き飛ばされ地面へ転がり落ちた。その間に間合いを詰め、首めがけて振り下ろす。

「止めッ!」

 空気が震えるほどの声量が響き渡り、俺の剣もぴたりと止まる。静止の声がなくともその首を刎ねるつもりなどさらさらなかったが、少々やりすぎたか。

「団長!」

「団長いつの間に……!」

 他の騎士たちの様子からして、彼が団長で間違いないようだ。二十代、もしくは三十代か、そんなレックスに対してこの場に現れた男は明らかに玄人。四十代前後に見える彼は厳しい顔つきのまま俺たちのところまで歩み寄ってくる。

「レックス。どうやらお前もまだまだのようだな」

「お恥ずかしい限りです、団長」

「お前がアリシャ嬢の言っていた奴だな?」

「クラウス・シルトだ」

「お前、本当に庶民か? 恐ろしい奴め。騎士団の副団長をここまで追い詰めてやるな。レックスのプライドがへし折られる」

「もうへし折られたあとです、団長」

「ああ、手遅れだったか」

 剣を下ろし未だに立ち上がれないレックスの元まで歩み寄り、手を伸ばす。そこまで強く蹴ったつもりはなかったがもしかしたら当たりどころが悪かったのかもしれない。俺も精進が足らないな、伸ばされたレックスの手を掴もうとした時だった。

「騎士を足蹴りするとはどういうつもりだッ⁈」

 ロイドとかいう男が、表情を大きく歪め俺に対して怒鳴り散らす。ふと周囲を見てみるとどうやら周りもロイドと同じ考えのようだ。

 そうか、今の騎士は自分が仕えている主の誇りを守るために戦っているのかもしれない。昔のように、何が何でも主を守らなければ、生かさなければという考えではない。価値観の違いだ、俺がいくらどう言おうとも彼らは納得することはない。

 さてどうしたものかと思っているとだ、団長と呼ばれている男がロイドたちを一瞥した。それだけで萎縮し口を噤むのだから彼が団長としてどのような立ち振舞をしているのかわかったような気がした。

「お前がこの男より強いと言うのであればいくらでもでかい口を叩け、ロイド」

「ッ……!」

「さて、クラウスとやら。お前の剣は随分と熟練されているな。興味深い」

 レックスが立ち上がるのを手助けし、腹を蹴ったことを詫びていると団長と呼ばれている男がずいっと俺に顔を近付けてきた。熟練されているのは彼もだろう、顔にも手にも傷が残っているところを見ると過酷な状況を生き抜いてきたに違いない。

「お前の戦い方は甘っちょろくないな。人に剣を振るうことに躊躇いも容赦もない。まるで修羅場を生き抜いてきた戦士のようだ」

 ニッと口角を上げた彼は軽く俺の肩をポンッと叩き、再び他の騎士たちに視線を向ける。

「お前らは鍛錬の量を増やしたほうがよさそうだ。よし、早速走り込みからだ。行って来い」

「だ、団長?!」

「俺たちさっきやり終わったばかりでっ」

「いいから行って来い! チンタラするな! ノロマは俺がケツを引っ叩くぞ!」

「ヒェエッ!」

「な、なんでこんなことにっ?!」

 騎士たちはバタバタと走り込みに行き、その場に残されたのは俺と未だ腹を抱えているレックスだ。どうやらまだ痛むようだ。

「本当にすまなかったな」

「いいや、あのような手が来ると予想していなかった俺が悪いんだ。学ばせてもらったよ」

 今度から腹を蹴る時は注意しよう、と思いながらレックスと会話をしていたのだが。そんな俺たちを男が口角を上げ興味深げにジッと見ている視線には、敢えて気付かないふりをした。

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