6.事前準備
「寮で夜な夜な唸り声が聞こえてくるの」
そう言い出したのは女子生徒だった。この学園の一般クラスの生徒は殆ど寮住まい。というのも出身が首都から離れた者が多いからだ。母も言っていたとおりこの学園は他の学園よりも学費が安いため、例え離れていてもこの学園を選ぶ庶民が多い。そういうことで寮住まいの生徒も自然と多くなる。
男子と女子の寮は無論離れている。共有スペースもない。なので女子寮で何が起こっているのか女子生徒から聞かなければ知ることはできないし、その逆もまた然りだ。
「怖い話か?」
「ん~、別にオバケってわけじゃないんだけど。ある意味怖い話と言ったら怖い話かな?」
ほぅ、お化けか。そういう話はいつの時代でも出てくるものなんだなとしみじみと思ってしまった。しかしただ怖い話がしたかったわけではないだろう。首を僅かに傾げ話を促すと彼女は「実はね」と声を潜めた。
「例の女子生徒の部屋が近いの」
「それは災難だな」
「本当よ! だからなるべく遭遇しないように気を付けてるんだから! あ、それでね、その女子生徒の部屋から夜中にブツブツ言ってる声が聞こえるのよ……! 『シナリオ通りに』とか『好感度』とか『イベント発生が』どうたらとか、わけわかんないことずっと言ってるの!」
「呪文でも言ってるのか?」
「それね?! わけわかんないから怖いの!」
確かによくわからない言葉ばかり喋っているのを耳にすると気味が悪いだろう。教えてくれた女子生徒が両腕を擦りながら身震いをしていた。
だがその夜な夜な聞こえてくる言葉というのが、彼の女子生徒の奇行の理由のような気もしないわけでもない。教えてくれた女子生徒に感謝しつつ、あまり気にせずに過ごしてほしいと一応助言する。
部屋から筒抜けて聞こえるのだからそれなりの声量なのだろうけれど、それで彼女の気が病んでしまうのは気の毒だ。部屋も簡単に変えれるわけでもないため、睡眠の質を高めるお茶をお勧めしておいた。
「すまないハワード殿、待たせたか」
「いいえ。時間はあるので大丈夫ですよ」
投影機を渡してから昼食の時間に指定された場所に向かうのが日課になりつつあった。その場にやってくるのは先日会った令嬢の従者だ。お互いその日見聞きしたことの情報を交換している。
「投影機のほうはまだ大丈夫だろうか?」
「ええ、細心の注意を払って使用していますから。中々いいのが撮れていますよ」
「それは重畳。向こうもまさかこちらがここまでしているとは思うまい」
「それはシェリー様も仰っていました。こう言ってはなんですが、我が主はとても活き活きしております」
「よかったな」
爛々と目を輝かせている状況を簡単に想像することができてしまい思わず苦笑をもらす。きっと彼はこれからの苦労も増えることだろう。だがそれほどあの令嬢が目の前の男を信頼しているということだ。
「本来俺は話し方を改めなければならないんだがなぁ」
「それはやめてくださいと以前も言いましたよね?」
その言葉に軽く両肩を上げる。同じ学園に通う生徒とはいえあちらは貴族こちらは庶民だ。こうやって会話をしているのも互いに同じ目的を持っているからであって、通常ならばあってはならない状況だろう。なるべくひと目に触れないよう注意を払って会ってはいるのは、誰かに見られてしまって困るのは彼だからだ。
「なんでしょう、クラウスさんは本当に私たちと同じ歳なんですよね」
「ああ、そうだが?」
「……不思議と、叔父上と話をしているような感覚になるんです。叔父上がまた厳しい方だったので思わず背筋が伸びると言いますか……」
「……そうか」
遠回しにジジィと言っているのだな。これはもう、どうしようもないなと諦めの境地だ。誰と話をしていても同じようなことを言われる。だからといって俺がこれを変えるのも中々難しい。
となると相手にはジジィと話をしている感覚でいてもらうしかない。まぁ、実際は中身はジジィなのだから間違いがないといえばないのだが。
一通りの報告を終え、「では」と去ろうとした彼を思わず呼び止める。そんなに重要なことなのか判断が難しかったが言っておいたほうがいいだろう。彼に休憩時間の時に女子生徒から聞いた話を伝えると、何やら考え込む素振りを見せた。
「一体どういうことかわかるか?」
「……いいえ、正直私も理解したわけではありませんが……シェリー様には伝えておきます」
「ああ、よろしく頼む」
そうして昼休憩の時は別れ、例の令嬢から呼び出されたのはそれからすぐだった。放課後に寮へ戻ろうとしたところ彼が教室の前に立っていたものだから思わず目を丸くした。一般クラスは貴族の校舎には行けないが、その逆は可能だ。だが貴族がわざわざ庶民に会いに来ることはない。そのため彼はかなり目立っていた。
「すみません、すぐにお連れするようにと言われたもので」
「いや、俺は構わないが……君は色々と大丈夫か?」
「私は生涯シェリー様に仕えることが決まっておりますので大丈夫です。特に問題はございません」
「そうか。ならば早速行こう」
「はい」
ふと視線を感じ後ろを振り返ってみると、同じクラスの生徒たちが全員目を丸くしてこちらを見ている。これは明日質問攻めだなと思いつつ彼らに苦笑で返し、先に歩き出した彼の後ろをついていった。
向かった先は先日とはまた別の場所、しかしこれはまたひと目に触れにくいような場所ではあった。そこにはテーブルなどはなく安易なベンチしか置かれていない。流石に令嬢にそのような場所に長居をさせるわけにもいかないと、姿が見えた瞬間急ぎ足で歩み寄った。
「急用か」
「そう言われるとそうかもしれませんわね。ハワードから報告を聞きましたわ。どうやら例の女が奇妙なことを口にしていると」
「どういう意味かわかるか?」
「残念ながら言葉の意味はわかりませんわ。けれど貴方に伝えておこうと思いまして。実は、一週間後この学園で貴族と庶民との親睦会がありますの」
「親睦会?」
「ええ。学園行事の一つですわ。年に二回ありますの。一般クラスでは明日その告知があると思いますけれど」
普段は分けられている校舎だが、学園なりの配慮でそういうものが行われるということだ。とはいえ恐らく貴族はそう乗り気ではないはずだ。貴族がわざわざ庶民に声をかけるなど、街でそもそも見かけたことはなかった。
だがその逆はそうではない。庶民は親交を持つことができれば働き口が見つかるかもしれないからだ。恐らくチャンスと思っている者は少なくはない。そのために毎日勉学に励む生徒を多々見てきた。
となれば、だ。令嬢が何を言いたいのかどことなく察せられた。貴族も庶民も、学園の生徒が一堂に会する場ができるということ。それをチャンスを捉えるのは何も働き口を探している生徒だけではない。
「なるほどな」
「証拠は十分に揃いましたわ」
ならば何か起こった際にはこちらも対処ができるということ。昼休憩時に彼から爛々と目が輝いているという話を聞いたばかりであったが、確かに令嬢の目は輝いている。令嬢としての誇りのためと言っていたが、これは例の女子生徒は相手が悪かったなと内心苦笑した。果たして、こうして証拠を揃えているのが目の前の令嬢だけとは限らない。
「貴方もよければ見に来てはどうですの? きっと楽しい喜劇になりますわ」
どうやらその親睦会とやらは強制参加ではなく自由参加のようで。貴族も庶民も参加したくなかったらわざわざ出なくていいらしい。
だが令嬢がここまで手の内を明かしたのだ。しかも俺は彼女に協力している。俺の答えなどわかっているだろうに、まさに貴族らしい言い回しに小さく口角を上げた。
「親睦会ってたりぃな。俺出ないでおこうかな」
「私もわざわざ貴族にクスクス笑われたくないし……クラウスはどうするの?」
令嬢が言っていた通り翌日に一般クラスにも親睦会について告知がされた。だが友人たちはわざわざ貴族と会うつもりはないらしい。口々にどうしようかと悩んでいる声が聞こえてくる。
「俺は出席しよう」
その言葉に友人たちは目を丸めた。確かに俺も通常時であれば出席しようとは思わなかった。確かに両親に言われた通り見聞を広めようと思ったが、父の跡を継ぐのは変わりはない。よってわざわざ貴族と関わりを持つ必要もなかった。
だが先日のあの令嬢とのやり取りだ。ここで欠席というわけにもいくまい。さて、色々と必要な準備をしなければならないなと頭の中で考えているとその俺の様子に気付いたのか、友人たちがハッと顔を上げる。
「あ、もしかして……」
「私たちにできることってある?」
勘がいいなと思いつつ、今の俺たちにできることを口にすれば一様に真剣な面差しで頷いていた。
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