3.攻防戦

 目撃情報は多数あるというのに、それを上に申し立てることができないという状況は中々に厳しい。確かに昔も儂がまだひよっこだった時、上司がクソすぎて奴の都合の悪いことは尽く揉み消されてきた。流石に頭に来て殴って解決してしまったことに関しては、今になっては若気の至りというか時期尚早だったというか。反省はしている。

 しかし今回も状況がよくないからといって殴って解決するわけにもいかない。そもそも庶民が貴族に申し立てようとすれば、不敬罪になりかねない状況になってしまっている。だから庶民は何も言えないのだ。

「俺らにやれることって、主に何をやりゃいいんだ?」

「とにかく証言を集めよう。どうやら目撃者も多いようだしな」

 クラスの男子とお互い腕を伸ばしてストレッチしながら会話を続ける。一般クラスは知識をより深く掘り下げることはないが、その分幅広い授業が行われている。運動着に着替えている俺たちは鍛錬場に集い軽い剣術の授業を受けているところだった。剣術の授業、というよりもただ単に体力向上のための授業のような気もするが。

「それぞれから詳細を聞いてまとめておこう。後々に使えるかもしれん」

「そのまとめたやつを王子に叩きつけるとか?」

「それもいいかもしれんな。だが時期を見誤らないようにせねばな」

「……前々から思っていたんだけどさ」

「なんだ?」

「話し方が俺のじいちゃんみてぇなんだよな」

「……よく若年寄と言われていた」

「だろうな!」

 バシバシと楽しげに背中を叩かれたが俺は思わず表情を歪める。学園に通うようになって度々言われていることだが、改めてこうも面と向かって言われると口を噤んでしまう。君のじいさんか。それもそうだ中身はジジィなのだから。

 言葉遣いにはもっと気を付けたほうがいいなと眉間に皺を寄せ、支給された剣を握る。随分と安く簡単に作られている剣だが、学生の体力向上のための剣ならばこの程度でいいのだろう。

「素振り始め!」

 教師の声かけと共に素振りを始める。数はどんどんと増えていき肩で息をし脱落していく生徒が増えていく。

「他にも確かな証拠が欲しいのだがな。『やっていない』ことを証明するのは『やっている』ことを証明するよりも遥かに難しい」

「はぁっ、はぁっ、そ、それよりさぁっ」

「なんだ?」

「なんでそんな平然としてんの? 俺もうダメ」

「ふむ、そうか。休んでいるといい」

「えぇ……?」

 結局その授業で最後まで立っていたのは俺だけだった。


 俺たちが徐々に証拠を集めている中、動きが早いのは向こうのほうだった。それもそうだ、俺たちが動き出す前に向こうはすでにある程度事を進めていたのだ。こちらは明らかに後手に回ってしまっている。共有スペースで貴族の令嬢たちがデマを積極的に広げているとクラスの生徒が教えてくれた。

「こういうのはどうだろうか」

 休憩時間に集まっている友人たちの前で口を開く。彼女に嫌がらせをしている女子生徒は制服を見る限り俺たちと同じ庶民。だというのに貴族にあのような蛮行を行うことができるということは王子が後ろ盾になってしまっているからだ。だから一般クラスの生徒は何も言えない。

「彼女の行動は一般クラスの生徒の前だけだろう? ならば俺たちでできる限り接触をさせないようにするというのはどうだろうか」

「例えば、わざと転けそうになったら間に入ってみるとか?」

「彼女に私たちが話しかけるのもいいかも。貴族だけれど私たちにも優しいし」

「うん、いい考えだ」

 接触の機会を減らせばこれ以上のデマも少しは減らせるはずだ。

「でもさぁ、下手したら『あの人が庶民を唆してるんです!』とか言い出さね?」

 ぽろっとこぼされた言葉に一瞬クラスの空気がピタリと止まる。言った当人はまさかこんな空気になるとは思わなかったのか、焦ったような顔できょろきょろと左右を見ているが彼は別に間違ったことを口にしたわけではない。

 寧ろその可能性は大きい。あの女子生徒は随分と口が上手いようだから王子だろうと貴族だろうと言い包めることはできるだろう。だからこそ今このような状況になっているわけなのだから。

「気にすることはない」

 だが俺ははっきりとそう一言告げる。こちらに集まる視線に笑みを向けつつ、一人一人に視線を向ける。

「俺たちが彼女に口出ししても大丈夫だろう。所詮庶民の間で起こったいざこざだ。ここで例の女子生徒が騒ぎ、王子やその周辺の者が出てきたところでこう言ってやればいい――王族は自分とは無関係のところで起きた庶民間のいざこざにも口を出し、権力を振り回した挙げ句に抑えつけるのか、と」

 今度は俺の言葉でクラスの空気が静まり返ってしまった。もしやまだ未成熟な彼らには刺激が強かったのだろうか。いや、そもそも王族や貴族に直接反論をするということが頭にないのかもしれない。

 いい時代だ、儂の頃なんか気に食わなかったらすぐに口は出るわ手は出るわ。王族だろうと間違ったことがあれば「間違っている」と民衆たちは大声で叫んでいたものだ。そうか、最近は随分と上品になったものだなぁ。などなど、ついジジ臭いことを思って慌ててその考えを頭の隅に追いやる。

「……で、でもさぁ、それで向こうがキレたりしたら……」

「ふむ、それならば俺にも考えがある。その時に俺を呼んでくれればいい」

「やだ……すっごい頼りになる……」

 そう胸を押さえポッと顔を赤くしたのは男子だったが。

「しかしこれ以上の接触を減らすのはいい方法だ。早速やろう」

「そうだな!」

「私たちだけでもアリシャ様を守ってあげないと!」

 ちなみに王子の婚約者であり現在進行系であの女子生徒に嫌がらせを受けている彼女の名前は、アリシャ・フィーリアというらしい。らしいというのは友人に教えてもらうまで恥ずかしいがまったく知らなかったのだ。それほど興味がなかったとも言えるのだが。


 そんな俺たちの作戦が功を奏したのか、同じクラスの生徒だけではなく別のクラスの生徒からもいい報告を聞くようになった。

「わざとぶつかろうとしていたから、先にこっちから声をかけたの」

「また転んで彼女のせいにすると思ったから先に彼女に声をかけたよ。いやぁ、初めて声かけたからすっげぇドキドキした。そんでもってすっげぇ優しかった」

「うん、上々の成果だな」

 どうやら一般クラスの生徒が積極的に例の女子生徒の邪魔をしてくれているようだ。ここのところ彼女への嫌がらせが不発に終わっているものだからかなりご機嫌斜めだと、例の女子生徒と同じクラスの生徒が教えてくれた。

 ちなみに、その女子生徒の存在はクラスで浮いているらしい。それもそうか、あからさまに王子に近付こうと画策しているのだから周りがそれにいい顔をしない。普通にお近付きならまだしも、婚約者を蹴落とそうとしてまでなのだから尚更だ。

「一般クラス総出で邪魔してるからかなりご立腹みたいよ」

「いやお前がそもそも悪いんじゃんって話だけどな」

 ここ数日はその話で持ちきりだ。今のところこちらが上手くいっているためか一般クラスの生徒たちの表情は明るい。

「飲み物を買ってくる」

「いってら~」

 俺は席を立ち教室から出る。そう、今が一番上手くいっているため気が抜けないのだ。恐らく業を煮やした頃に行動に移すだろう。

 今までは水をかけられた、突き飛ばされた、物を汚された、そういうものだったがそれはすべて向こうの自作自演で彼女に対しての実害はなかった。だがこうまで貴族ではなく自分と同じ庶民から尽く邪魔をされるとなれば。

 飲み物を買い廊下を歩いていたところ、例の彼女の姿が見えた。貴族は普段庶民と馴れ合いをしたくはないらしく、あまり一般クラスが行き来する共有スペースには足を運ばないらしい。だが彼女はその庶民の今の暮らしや人となりが気になるのかよく姿を現す。だからこそ庶民たちからの人望は厚く人気も高い。まぁ……俺としては、気になることが一つあるのだが。

 その彼女の姿が見えたものだから急ぎ足でそちらへ向かう。今は死角だが先程その姿が見えたような気がしたからだ。

「このブスッ‼」

「――ッ?!」

 突然手に持っていた液体が入っている瓶を力任せに振り下ろし、もう少しで身体と瓶が接触しそうになったところでその手を掴み動きを止めた。

 瓶を持っていた者は、例の嫌がらせをしている女子生徒だ。怒りに狂った形相をしている。一方振り下ろされそうになったのは例の王子の婚約者である女子生徒だ。名は確か……アリシャだったか。

 身体は若いというのに物覚えが前世のジジィ並とはどういうことだ、と内心ボヤキながらも目の前の女子生徒に視線を向ける。

「何をしている」

「ただの庶民が邪魔してんじゃねーよッ!」

 なんという口の悪さだ。王子の取り巻きたちの前では可愛らしい撫で声をしていたというのに。なるほどこれが猫被りかと一人納得する。

「この中に入っている液体はなんだ。しかも液体をかけるどころか直接瓶をぶつけようとしたな? そうなれば大怪我をするとわかっていただろう。わざとか?」

「うるせぇなジジィみてぇに説教臭ぇこと言いやがって!」

 確かに中身はジジィだが、なぜこうもジジィジジィ言われるのだろうか。そんなにジジ臭いか。

「エドガー様に言いつけてやる! お前みてぇな庶民がわたしをいじめてくるってなッ!」

 エドガーとは。あ、ああ、そうか、確か彼女の婚約者であり王子の名前だったか。本当に物覚えが、というよりか人の名前を覚えきれん。自分の周囲の者たちはすぐに覚えるというのに。一体どれほど王族や貴族に興味がなかったのだろうか、俺は。

 しかしなるほど。邪魔をした俺をあることないこと王子に吹き込んでこの学園から追い出そうとする算段か。しかし自分の邪魔をする者を片っ端からそうしていくと一般クラスの生徒はいなくなるが?

 ほんの僅かに力を入れただけというのに、手首を掴まれている女子生徒の顔が大きく歪む。これは演技ではなく本当に痛いのだろう。確かに随分と細い腕をしていると思いつつ、逃げ出さない程度に若干力を緩める。

「言えるものなら言ってみろ」

「ハァ? 何強がってんの? 相手はエドガー様よ、この国の王子様なのよ? エドガー様に頼めばお前なんか簡単に」

「だから何だ。実際問題を起こしているのはお前だ。王子を呼ぶというのなら呼べ。俺から王子に直接お前の蛮行を報告してやろう」

「なっ……?! わたしを脅すわけッ?! エドガー様が信じるわけないじゃんバーカッ! エドガー様はわたしを信じてるんだからッ!」

「それはいい、王子も共に糾弾できる。片方の言い分だけ聞き鵜呑みにし嘘を信じ己の婚約者を蔑ろにする。庶民のうわ言で同じ庶民に権力を振るうのだろうからな。証人に彼女がいる。王子の蛮行を知った王族や他の貴族がどう動くだろうな」

「ッ!」

 腕を振り払われ女子生徒が距離を置く。まぁ、振り払えるぐらいの力で掴んでいたため驚きはしないし、その腕に掴んだ痕もないはずだ。痕ができればまた女子生徒は無駄に騒ぐだけだ。

「クソムカつくッ……!」

 そんな捨て台詞を吐き捨てて女子生徒は走り去って行った。余程頭に血が上っていたのだろう、持っていた瓶を落としたことにも気付いていなかったようだ。その瓶を拾い上げ後ろを振り返る。今度はスタスタと去ることなく未だにその場に留まっていた。

「怪我はないだろうか」

「ええ、貴方のおかげで。ありがとう。随分と勇ましい生徒が一般クラスにいたのね」

「貴女が思っている以上に一般クラスの生徒は皆勇ましいがな」

 彼女が僅かに微笑みを浮かべ、同じように俺も小さく口角を上げる。自分より立場が上の者と話すのは久しぶりだ。彼女の雰囲気もあってか、前世で忠誠を誓った我が主を思い出す。

「これはそちらに渡しておこう――邪魔をしてすまなかったな」

「……いいえ」

 この瓶は大切な証拠品だ。恐らく彼女はこれを欲していた。

 貴族が立ち寄らない共有スペースに何度も姿を現していたのは、確たる証拠を手に入れるためだったのだろう。わざと例の女子生徒が事を起こしやすい状況にし、自分に実害を及ぼしてくるのを待っていた。

 俺に勇ましいと言っていたが、そう告げた当人も随分と勇ましい。何かしらの対策はしていただろうが令嬢である自分を餌にしたのだから。

「勇ましいのは結構だが、あまり無茶はしないほうがいい。一般クラスの生徒は皆貴女の身を案じているのだから」

「……ええ、肝に銘じておくわ」

「それはよかった。では」

 一度軽く頭を下げその場を離れる。婚約者がいる身でありながら男子と二人きりで会話をしているところを見られるのは、例え同じ学園の生徒であってもよくはないだろう。

 しかしそろそろ動き出すとは思っていたが、その場に己が遭遇できてよかったと一度軽く息を吐く。これが別の生徒であった場合、もしかしたら彼女は瓶で殴打されていたかもしれない。それに他の生徒に俺を呼べとは言ってはいたが、呼びに来るのにも駆けつけるのにも時間がかかっていた。その結果無難に事を収めることは難しかっただろう。

 しかし収穫もあった。先程の騒動を数人とはいえ他の生徒も目撃していたことだ。これで多少は彼女の不利な状況を覆すことができるはずだ。

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