二〇一八年。照子は元気だ。

シロリムスというリンパ脈管筋腫症の薬が二〇一四年から使用できるようになり、幸い照子の体にものすごくこれが効いた。

ほとんど何のトラブルもなくあれから五年がすぎた。

手紙の中身を詳しく照子には聞いてない。

ただ、照子は病室で一晩中すべての手紙を何度も読み返し、そして一生分かと思えるほど泣いていたそうだ。

それから照子は前にも増して明るくなり、あの日から一度も照子の涙を見たことがない。誰に対しても向日葵のような笑顔で接した。

手紙の内容は聞かなても大体想像できる。

爺ちゃんは苦しんでいたんだ。一人のこしてきた照美さんと、そのあとに生まれた照子が難病であると知って本当に苦しんだ。

毎月のように高い山に登り、自分をいじめ抜いて考えていた。

「自分には何ができるのか。何かできないのか」

五年たって、爺ちゃんの気持ちが手に取るようにわかる。

その苦しみと愛を手紙に託したのだろう。自分が照子を救う手助けができると知って、どれだけうれしかったか。それを書いたのだろう。

しかし、自分が生きている間には照美さんに許してもらえないかもしれない。そう思って、書いた手紙をいつもその箱にしまっていたそうだ。そしてその箱は戸隠山に登ったついでに戸隠奥社の知り合いに頼んで預かってもらっていた。家に置いておくといつか僕の目に触れて僕が傷つくとでも考えたのかもしれない。爺ちゃんらしい考えだ。心から優しい人だった。

でも、自分の死を悟った時照子にどうしても自分がどれだけ照子のことを思っているか伝えたくなったのだろう。

そして、あの指示を手紙に書いて送った。

まさか、自分の言葉でかわいい孫が無茶な登山をするとは思ってなかっただろうが。


「集団登山」。長野くらいにしかないこの行事が急にとても愛おしく思えた。

みんなでともに人生という山に登っていくことも、今は怖くない気がした。

頂上まで行けなくても、確かにあの日僕らは険しい3000メートル級の山に皆で登った。


僕らは高校卒業の記念に戸隠山に登り、戸隠神社奥社に三人できていた。

「翔馬はプロ野球、照子は東京でデザイナーの卵として勉強だろう。かっこいいよなぁ」

「バーカ。お前の千曲大学医学部進学だってめちゃくちゃ立派だぞ。よく受かったよなあ。最後の追い込み奇跡的だろう。」

翔馬が僕の肩をたたく。

「ねぇ、何科に進むの?」

照子がニヤニヤしながら聞く。

僕はそれを無視し、

「山って最高だなぁ!」

と空に向かって叫んだ。


戸隠神社奥社に春一番が吹いた。

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「集団登山」 田山 瑛 @EiTayama

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