第四章 神様③
父は過労だった。赤信号の交差点に早朝、ふらふらと入り込み、大型トラックにはねられた。
私は本当の父を写真でしか知らない。
小学校四年生になってから母が再婚した。取引先の社長の次男だった。
新しい父は悪い人ではなかったが、精神的に弱い人だった。
気の強い母に逆らうことができず、そのストレスを過食や飲酒、喫煙に向けた。
母がいるときは決してそんなことはなかったが、酔って私を怒鳴り散らすようなこともあった。
私の病気が判明してから、新しい父はさらに私と疎遠になり言葉を交わす時は毎回罵倒された。灰皿が飛んで来た時もあった。
ああ、きっと彼にとって私は邪魔者なんだろうな。そう感じるようになった。
最初のころは「後からこの家にきたくせに」と怒りを感じていたが、病状が進むにつれ、彼が私を愛せないのは私のせいだと思うようになった。
私がこんな出来損ないだから、彼は私を罵倒するのだ。出来るだけ私が傷つくと思われる言葉を選ぶのだ。
怯える私を見てほくそ笑むのだ。
すべては私のせいなのだ。
私は動かせなくなった体への恨みを晴らすように勉強にのめりこんだ。
そのかいあって、私は地域でも進学校の長野市にある千曲大学附属中学の受験に成功した。
合格発表があったその日、彼が初めて私を殴った。
その時の彼の怯えた目が忘れられない。おそらく私が母に言うことを恐れたのだろう。
暴力を振るわれそうになったことは何度もあったが、何故その日だったのか私には今でもわからない。後で母から「あの人は人生で一度も何かに成功したことがないから」と言われた。
私は、暴力が振るわれたことは言わず、中学がある長野市で暮らしたいと、母に頼んだ。
母はおそらく全てわかった上で、生家を離れ、長野駅近くの小さなアパートで二人で暮らすことを了承してくれた。
疲れ切っていた母が笑顔でそのことを了承してくれたことを私は今でも心から感謝している。そうしてもらえなければ私はもっと早くに死んでいたような気がする。
私は死が怖いわけではなかった。むしろ、死への恐怖は病状がすすむたびに薄れていった。
病気で死ぬのは仕方ないが、あの男に殺されるのだけは、我慢できなかったのだ。
その話が、主治医から告げられたのは中学二年生の四月、三回目の入院の時だった。
「肺移植!?」
私と母はシンクロして大声を上げた。
主治医の木梨先生は見た目は怖いがいい人だった。もともとは小児科の先生にお世話になってたが、中学入学と同時にLAMの経験が多い、呼吸器科の木梨先生が主治医になった。
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