第四章 神様②
神様なんていない。
ずっと小学校五年生の冬から私はそう思って生きてきた。
私は小学五年生まではとても活発で、ほとんど勉強はせず、外で男友達と毎日遅くまでサッカーをするような子だった。
小学六年生になって、体に異変が現れた。
私の小学校では、六年生はマラソン大会をする。
私はマラソンも大好きで意気揚々と走っていたが、年もあけたある体育の日、ぶっちぎりの一位で走っていた私は急に息が苦しくなり、倒れてしまった。
そのまま救急車で運ばれ、一日だけ入院した。診断は軽い喘息だった。
その後も走るたびに、喉を絞められているような苦しみに襲われ、ついには階段も登れなくなった。
マラソン大会が数日後にせまったある日、紹介された千曲大学附属病院でついに私はその診断名を知る。
「リンパ脈管筋腫症です。」
私も母もきょとんとした。
リンパ脈管筋腫症は、筋肉に似た特徴をもつLAM細胞と呼ばれる細胞が、肺、リンパ節、腎臓などで、比較的ゆっくりと増える病気。ほとんどは妊娠可能な年齢の女性に発症するが、三〇代でみつかることが多く、私のような早期発症は非常に珍しいとのことだった。肺では、LAM細胞が両側の肺にちらばって増加し、それに伴ってのう胞と呼ばれる小さな肺の穴が複数でてくる。正常な肺はどんどん縮小する。
ちょうど大人ではタバコを吸いすぎた肺気腫(はいきしゅ)患者のように肺がなるのだ。
進行すると身の回りのことができなくなり、在宅も酸素が必要になる。肺に穴が空く気胸などを発症すると難治になることもあるとのことだった。
「この病気の問題は、今現在有効な薬がないことです。ただ、長期にわたって安定している方も多いので、注意しながら様子をみていきましょう。」
私と母は顔を見合わせた。
その日から私は体育を休むようになった。男子からはからかわれたり、いじめたられたりもしたが、そんなことはどうでもよかった。
それよりも私は、私のことで深夜に毎日お酒を飲んでリビングで泣いている母をみるのが何よりも辛かった。
私の家はもとの華族で長年事業をやっていた。私の曽祖父が起こした貿易会社が成功し軽井沢に大きな屋敷をたてそこに住んでいた。
しかし、私の祖父母が若くして病死し、その後長年会社を守ってきた曽祖父が病死した。
その後、母が会社を継いだ。
父は、曽祖父の右腕として会社を取り仕切っていたため、父が生きていたころは会社順調だったが、父が交通事故死してから会社はじょじょに傾いていた。
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