第35話
【17・勝敗】
広大な公園の中にある中央美術館へ向かって、ぼくと未来は歩いていた。
めでたく、ぼくも彼女も入賞を果たすことができた。にもかかわらずふたりの足どりが重いのは、受賞した賞の順位に不満があったわけでも、まして、公園内に積る落ち葉のせいでもなかった。
未だに由実が戻ってきていなかったから―――。
宇津先生が囁いてくれたところによると―――、
石井家とは依然連絡はとれず、非常連絡先も由実に関する資料には記載されていなかったので、親戚縁者ともやはり接触を持ててはいないという。
もちろん学園サイドは警察と連携して、由実及び彼女の母の行方を捜しているが、上記の理由に加え、近所づき合いもほとんどなかった事実から、捜索はなかなか進捗を見せていないらしい。
そんな状況下でも、同好会のない日には、未来と連れだって由実の家を訪れるのがぼくの習慣になっていた。
しかし、門前から眺める光景にかわったところを見つけることは、案の定できなかった。
郵便受けに新聞があふれているということもなかったので、毎度一応呼び鈴を押してはみたが、誰かの顔が覗くということはなかった。―――もともととってはいなかったのかもしれない。
きっとよんどころのない事情で、親戚の家か、どこかに出かけてるんですよ。などといった未来の推測も、日を追うごとにその語勢をなくしていった。
それでも、結果通知の届く日が近づいてくると、
「由実さん、絶対受賞してますよね!」
未来は張った声で何度もくり返した。
通知はそれぞれの家に送られてくる。ゆえに、石井家の郵便受けなど覗けるはずもないぼくたちは、未だ知ることができないでいた。
従って彼女の受賞いかんが確認できるのは、目の前に迫っている美術館の展示室に足を踏み入れてからになる。
*
平日の開催初日ではあったが、会場は盛況だった。学生だけではなく、来場者はいろいろな年齢層に及んでいる。
飾られている作品の下には、作者の氏名と学校名、そして受賞した賞の名称が、リボンでつくった花とともに添えられている。
未来の作品はすぐに見つかった。一番下位の『入選』に選ばれた絵は、ロビーに展示されていた。
美術館に飾られ、しかもたくさんの人の目に触れるとなれば、いくら一番下の賞とはいえ、感激はひとしおだ。しかも未来にとってははじめての賞。彼女はしばらく自分の作品を見つめたまま、動かなかった。横から覗ける彼女の輝く瞳を見て、同好会を発足してよかった―――との思いが、改めて込みあげてきた。
ぼくの絵は一階の展示室だった。
上から三番目の『奨励賞』―――去年と同じ。
違うのは、
「カイチョ~、やっぱりすごい!」
と、隣で手を叩き、喜んでくれる仲間がいること。受賞したことよりも、そっちの事実のほうが、より嬉しかった。
並んで教室の椅子に座る、制服姿の男女の高校生。その先にあるはずの黒板は、広い海原に変わっている―――とういう構図の絵を、改めてしみじみ見つめる。同好会が始まってはじめての、ぼくの作品。
海原は厳しくも輝かしい未来を象徴した。そしてそれに向かっていくぼくたち。
背を向けている男女は、ぼくと由実をイメージした。
だが今となっては、この絵に彼女を閉じ込めてしまったような……そんな気がしてならなかった。
それから未来とふたりで広い展示室の中をまわった。さすがどれも力作ぞろいで、つい目を奪われた作品も少なくなかった。ただ、ぼくの目を一番惹くはずの絵―――由実の作品は、なかなか見つけられなかった。ロビーに展示されているものもすべて確認したのだが……。
由実のだけ配送ミス……なんてことはないだろうが……。
仮にもしそんなアクシデントで、締め切り期日後の到着になってしまったとしていたら……エントリー不可で、事務局内に保管されているのかも……。
もしくは、返送されたが、それが由実の家に誰もいなくなってからのことで、現在、運送業者の倉庫に眠っているとか……。
負の推測がぼくをいたたまれなくさせた。だから両眼は直ちに、事務局関係者を探し始めた。問い合わせてみるのが一番の解決策と判断したから。
が、その矢先―――、
「あった!」
いきなり未来がぼくの腕を痛いほどつかんだ。そしてそれを引っ張って駆けだした。
「えっ!?」
転びそうになりながら連れていかれたのは、展示室の一番隅。
「会長! こんなところに隠れてました~!」
自分の絵を見つけたとき以上に目を輝かせた未来の前には―――、
あった!
アトリエでさんざん眺めた、美術展用の由実の絵が……あった!
柱の陰に隠れた位置にあったその作品は、上から四番目の賞『特選』―――リボンの花が称えていた。
思わず両手でガッツポーズ! ただ片方はまだ、未来に強く握られたまま。
「やっぱり賞とってた、会長!」
張った未来のその声には、微かな潤みが感じられた。
「……うん」
ぼくの返答も、同様だったかも……。
描き始めから完成まで見届けた、大切な仲間のつくったその作品を、ふたりでじっと見つめた。
同好会のメンバーすべてがここに、賞をつかんだ。
賞など時の運。でも―――一生懸命キャンバスに向かった姿勢が今、目に見える形で実った。それは誰に遠慮せずとも、諸手を挙げて喜んでいいはず。
《こんな私の絵でも、もらえた。……賞》
冷静な、それでいてどこか、はにかむような由実の言葉が、脳の後ろのほうから聞こえてきた。
『うん』
言葉にせず、彼女の作品を見つめながら、ぼくは頷いた。
《同好会、加えてくれたおかげ》
由実のメッセージは続く。
『そんなことない。由実の実力だよ。ぼくが審査員だったら、一等の会長賞つけるね!』
脳内で明るく答える。
腕をつかむ未来の手に、一層の力が加わった。爪が肉に食い込みそうなほど。
『そうか、未来ちゃんにも彼女の声が聞こえてるのか……。そうだよね。決して長くはなかったけど、今まで一緒に頑張ってきた仲間だもんね』
やはり意思で返した。
その刹那、
「会長……」
未来のか細い声。
『うん、わかってる。でも仕方ない。三人で一緒に喜びたいけど、由実はもう―――』
「会長……」
『だからわかってるって。由実の受賞が、かえってぼくたちに寂しさをもたらしたかもしれない。でも、由実のためにも、ここは喜ぶべき―――』
「かいちょ~っ!」
怒鳴られた。
「えっ!?」
由実の絵から未来に目を移した。その間に、驚いたようなギャラリーの顔が、チラッと視界に入った。
「ど~したの~? そんな大声出しちゃ近所迷惑だから……」
躰ごと後ろを向いていた未来を、声をひそめてたしなめた。が、そんなことに構うそぶりも見せず、
「い、いた……ゆ……由実さん……」
前に突きだした人差し指を、彼女は小刻みに震わせた。
「えっ!」
その人差し指の先を追う。
そこに―――。
「あっ!」
といおうとした口から瞬時に力が抜け、
「へゃっ!」
になってしまった。
それだけのショックを与える人物―――それは今のぼくにとって、死んでしまったとあきらめていた―――由実以外にない。
「居海くんも未来ちゃんも、おめでとう。……私、ふたりは絶対もらえるって思ってた」
明るい音色が、脳内に響いていた声の調子と寸分
「……ゆみ……」
そこにはあの、口づけを交わしたときと変わらぬ―――といっても、今はずいぶん血色がよかったが―――の由実が、たたずんでいた。
嬉しそうな笑みを浮かべた彼女の顔が、途端にぼくの全身から力を奪った。
だが、二の腕を力強くつかみ続けていた未来の手が、その場に崩れ落ちそうになったぼくを救った 。
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