第28話
【13・確信】
「これ、見て」
鞄からノートをとりだすと、由実はレースのクロスがかかったテーブルに置いた。
同好会が休みの木曜日。石井家の応接間。
「今日、放課後、うちにきてくれない」
「え……」
「重要な話があるの」
わけを尋ねることも許さぬような、重々しい彼女の言葉だった。
肌寒さも感じるようになった一一月初頭の街を一緒に帰宅する由実は、終始無言だった。
久しぶりに逢うであろう彼女の母親に多少緊張したが、
「今日、あの人いないから。帰りは遅くなるらしい」
ドアの鍵を開けながら彼女はいった。だから亜実に変身する由実も、見なくて済みそうだった。
まだ外は明るいとはいえ、一つ屋根の下、そして一つの空間にふたりきり。そして親の帰りは遅い……らしい。
しまい、するまいと念じても、変な想像が次々噴出してしまうのは、健全な男子高校生としてはやむを得ないよな~―――という自己弁護は、ノートが開かれたと同時に吹き飛んだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[三年F組]
一・
漫画研究部。成績~中の中。ニ年時A組。
生年月日~199*・4・4
メアド~moemoe naninani@soft****ne.jp
電話~090―2098―****
二・
写真部。成績~上。二年時C組。
生年月日~199*・8・18
住所~大田区洗足**―*―***
メアド~Picture love***@ez***ne.jp
電話~080―6609―****
三・
野球部。成績~下。二年時E組。
一〇月一五日、死亡確認。
生年月日~199*・10・10
メアド~major league***@soft****ne.jp
電話~080―2276―****
四・
クラス委員長。成績~上。二年時F組。
出身中学~田園女子中。
住所~大田区田園本町*―**
生年月日~199*・12・1
メアド~seiko dream**@doco**ne.jp
電話~090―5466―****
[ニ年F組]
一・
美術部。成績~中の上(当時)
生年月日~199*・2・22
メアド~oekaki club***@doco**ne.jp
電話~080―9297―****
二・
美術部。成績~中(当時)
生年月日~199*・11・8
メアド~m tree under@soft****ne.jp
電話~090―8648―****
三・
演劇部。成績~中の上(当時)
生年月日~199*・6・5
メアド~actress yone@doco**ne.jp
電話~090―4459―****
四・
音楽部。成績~中(当時)
生年月日~199*・3・18
メアド~music master **@ez***ne.jp
電話~080―2632―****
五・
帰宅部。成績~上(当時)
生年月日・メアド・電話~ともに不明。
六・
当時、失踪者の中で唯一の一年生。
茶道部。成績~上(当時)
メアド~cherry mai**@doco**ne.jp
電話~090―5917―****
七・
体操部。成績~中の上。
生年月日~199*・9・25
メアド~danzen norinori@doco**ne.jp
電話~090―3386―****
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「これ……石井が全部自分で調べたの」
ノートからあげたぼくの顔は、「驚」の形になっていたに違いない。
「夏休みの終わりごろから……」
由実はノートを見つめながら、私も気になったから、とつけ足した。
「それってやっぱり、同好会のメンバーと別れたくないっていう、ぼくと同じ気持から?」―――と、訊きたかったけど訊けなかった。
「でもどうやってこんな情報……」
「うちのクラスで、二年生のときも一緒だった人たちに訊いた。みんなが思ってるように私、居海くんの愛人みたいな立場だから、知ってる情報すべて教えてくれれば、あなただけは助けるよう取り計らってあげるっていって」
「……」
「みんなすらすら教えてくれた。わからない部分は、ほかのクラスになった子たちに訊いて。彼女たちには愛人云々はいわなかったけど。どうせ被害に遭うなんて思ってないだろうから。それでも不明な部分はあるけど」
「それより……愛人なんていって、いいの?」
それには答えず、
「私、馬鹿だった」
サッとあげた彼女の目は、少し充血していた。
「えっ……」
「行方不明の原因、悪魔払いや宇津先生の復讐なんかじゃなかった」
「……」
「生年月日もメアドも電話番号も、成績の良し悪しも、失踪にはなんの関係もない。原因はもっと……」
「……」
「もっと近くにあった。……もっと早くに気づくべきだった」
「……どういうこと?」
私、馬鹿だった。と、またくり返すと、彼女は立ちあがり、壁に歩み寄った。そこには立てかけられた三枚の絵が並べられている。一枚は見たことのないものだったが、残りの二枚は同好会で描いた『出逢い』と『陽射し』だった。ただ、壊された『陽射し』は、裏側からテープかなにかで補修したのか、キャンバスのめくれだけは直してある。
「わかる?」
三枚の絵に並ぶようにして由実はふり向いた。
「……同好会で描いた作品……でしょ? 端のははじめて見るけど」
「三枚とも三年になってから私が描きあげた作品」
「あ、はじめて見るのは、同好会にくる前に描いた一枚か」
「ここ見て」
同好会前の絵の右下部分を、彼女は指した。座っている位置からは見えづらいので、ぼくも絵に近寄った。そこには由実がサインがわりに記してある―――、
「日付でしょ? 完成日の」
「五月二〇日」
「うん」
次いで彼女は、『出逢い』の右下を指した。
「七月二〇日。ちょうど夏休み前だったね。石井の同好会での、記念すべき一作目」
そんな軽口に応ずることなく、『陽射し』の日付も指す。
「八月二九日……これが、どうしたの?」
「そして美術展に出した作品は、先月の二五日に仕上がった」
「石井と未来ちゃんはね。でもそれが―――」
「わからない?」
少しいら立ったように訊いた由実は、テーブルからノートをとってきた。
「奈荷さん、駒尾さん、堀田くんの消えた日、この三枚の絵が仕上がった日と同じなのよ。そして田倉見さんの消えた日が先月の二五日―――美術展出品作の完成日」
ほとんど怒鳴るように説明した彼女の持つノートは、微細に震えていた。
「そんな……そんなの偶然だよ」
充血度を増した真剣な視線に負け、ぼくは目をそらした。そらしたその先には、間違いなく、
「20**・5・20」
「20**・7・20」
「20**・8・29」
の―――サイン。
「……偶然じゃないわ」
彼女の声は落ち着きをとり戻していた。いや、とり戻そうと懸命に努めているようだった。
「彼女たちが選ばれた理由も、ちゃんとある」
「選ばれた理由?」
「この世界から消えるべく……選ばれた理由」
抑揚をなくした声が、一瞬、背筋を冷やした。
「20**・5・20」のキャンバスを、彼女はゆっくり裏返した。木枠が露わになる。
「……わかった?」
再び試すような彼女の言葉と表情に、楽しげな趣は一切ない。
わかるわけがない。わかるとすれば、このキャンバスのサイズぐらい……。
ん?
彼女の手にあるノートに目をやった。
―――んっ!?
ぼくは残り二枚の作品を裏返した。『陽射し』はやはり、ガムテープで裏張りしてあった。
「これ……」
「そうなの」
彼女が三年になってはじめての作品は、二〇号サイズのキャンバスに描かれている。次いで、同好会デビュー作が八号サイズ。壊された『陽射し』が三〇号の大作。そして美術展に出展したのが……一五号。
「一緒なの……彼女たちの出席番号と」
「―――でも、でもだったら……」
なんでぼくのクラスの生徒が選ばれるんだ? ほかのクラスの二〇番でも八番でも三〇番でもいいじゃないか。
と、続けようとした台詞は、木枠の印字に再び目をやった瞬間、ぼくの鈍い頭でもキャンセルすることができた。
「全部―――フィギュアだから……」
真っ直ぐ由実を見たぼくに、やはり真っ直ぐぼくを見つめていた彼女は、頷いた。
裏返されたキャンバスの木枠には、すべてフィギュアサイズである『F』の刻印。
『F』―――それは、二年、三年と―――ぼく、そして由実が所属していたクラス。
それでもまだ―――信じられない。いや、信じたくない。だって信じてしまうと犯人は……由実。―――そういうことになってしまう。
ぼくのそんな思いを気取ってか、
「こっちは二年生のときに描いた絵」
ソファー後方の壁に、やはり立てかけられ並べられている作品群に、由実は移動した。それらはすべて、後ろ向きに木枠を見せて置かれていた。応接間に入ってきたとき、変に思ったのだが―――。
「これが一作目」
小ぶりのキャンバスを彼女は指差した。
「そして描きあげた順に並べてある」
彼女が指すキャンバスに近寄る。腰をかがめて見ると、木枠には『F5』の印字。
片手で彼女は、そのF5をひっくり返した。果たしてキャンバス表面の右下には「20**・5・13」
二枚目はF6。表に返す。「20**・6・16」
三枚目、F8。表には「20**・7・18」
四枚目、F25―――なにかに憑かれたように、彼女はキャンバスを返していった。
ノートを、ぼくはもう見なかった。すべて由実の推理を裏付ける結果になっていることは間違いない。何度もくり返し、彼女はノートとキャンバスを照らし合わせたのだろうから。
七枚目のF二〇号をめくり返し、
「ね……二年生のときも」
その台詞が、「信じたくない」というぼくの願いを完全に打ち砕いた。四枚なら偶然の範疇に入れることができるかもしれない。しかし、一一枚となれば―――。
とすれば、由実にも常識では考えられない力が備わっていたということか―――自分では今まで気づかずに。
「ただ五枚目と六枚目は―――」
と、彼女はその二枚を再び裏返した。
「両方ともF10」
ぼくは頷いた。たしかに二枚は同じ大きさで、木枠にはF10の印字。
「あたりまえだけど、二年F組に一〇番はひとりしかいない。だから、サイズがかぶったら、ほかの学年を狙うことにしていたのよ」
狙うことに……していた?
「友人は同学年だけじゃなくてもいい。そう考えたんだと思う。そして、つき合いやすいのは、先輩よりも後輩って―――」
その解説の意味がわからず、
「え?」
「いつか、宇津先生が怪しいんじゃないかって話していたとき、居海くんのお義兄さんが、『人をとり込んでしまう能力』っていったの。その言葉が、今回の原因を思いつくきっかけになった」
ぼくの疑問を気にせず、彼女は続けた。
「居海くんがここへはじめてきたとき、『描いてるときだけ自分に戻れる。亜実を演じるために描いてるのに、変な話だけど』って、私いったでしょ」
「うん」頷いた。微かな自嘲をこぼした彼女の顔を、はっきり覚えている。
「本当は、自分に戻れていたんじゃない……完全に亜実が乗り移っていたのよ。違和感なく操られていたから、自分に戻ったなんていうふうに感じていたのよ……きっと」
「そんな―――」
「『なにかにとり憑かれてるみたい』っていった、あのときの未来ちゃん……正解だった」
「そんな―――」
「そうとしか考えられない! だって、他人を消そうなんて一度も思ったことないもん、私!」
叫ぶようにいってぼくに向けた目は、今にも滴がこぼれ落ちそうなほど潤んでいた。
“ボ~ン……”
壁掛け時計が時を打った。鳴り終わるまで、ぼくたちは無言だった。
彼女はハンカチで目頭を拭うと、
「亜実、ちゃんと実在する友だちと、一緒にいたかったんだと思う。そのステージが……絵の中」
思わずぼくは、並べられた絵画に視線を向けた。
「でも、高校にいけなかった亜実は、自分が所属するであったろうクラスに、どんな生徒がいるかなんてわからない。当然よね」
絵を見つめたまま、ぼくは頷く。
「だから仕方なく亜実、私が使うキャンバスの種類と号数を、クラスと出席番号に見立て、それに該当した人を友だちに決めて……」
絵の中に連れていった―――。
「その特殊能力こそ……慈悲だったのよ。最後まで生を望んだ亜実に与えられた……。逆にいえば、死んだからこそ得られた力。……きっと」
死者に与えられた能力……。死んだから得ることができた力……。それって―――生き続けることが叶わなかった……怨念?
「……じゃあ、石井の使うキャンバスが『F』じゃなかったら、ほかのクラスの生徒が?」
「それはない。だってうちの学校どの学年も、F組まででしょ。キャンバスの種類は、F型、P型、M型、S型だけ」
「……あ、そっか」
P、M、Sはアルファベット順でF以降。F以外のキャンバスで描いたら、友人該当者は存在しない。
―――待てよ、だとすると、
「石井、わざとフィギュアばっかりで描いたの?」
「ううん。ただこの形が好きだったから」
即答だった。
たしかに一番使われている形だ。でも、一一作品中、一枚もF型以外のキャンバスを使わなかったというのは……。
「それも亜実がとり憑いていた証拠、かもね」
ぼくの疑惑を見抜いたような冷静な答えは、改めて背筋を凍らせた。
「中学時代の亜実の友だち、みんなそれぞれの高校へあがると、お見舞いにきてくれることもなくなった。……それはそうよね、みんな忙しいんだから」
「……」
「それわかっているから亜実、病床で文句なんて一度も口にしたことなかった。でも本当は、友だちと一緒にいたかった。男子でも女子でも」
まるで自分のことを話しているような彼女の口ぶりだった。
「だから亜実の描く絵は風景画ばかり。で、その世界には必ず、ふたり以上の人間が描き込まれていた。その中のひとりは……亜実だったんだと思う」
「……」
「あっ……そうか!」
なにもない中空に向けて、思いついたように由実は目を見開いた。
「だからあのメッセージだったの……」
「え?」
「―――お姉ちゃん……友だち、いっぱいつくってね」
機械仕掛けの人形のように、彼女は無機質な口調でいった。
「……え?」
「病室での、亜実の言葉」
彼女はぼくに向いた。
「『お姉ちゃん、友だち、いっぱいつくってね』―――結局それが、亜実の最期の言葉になった。……私、自分がこんな性格だから、亜実が心配してかけてくれたとばっかり思ってた。でも……あれ違ったんだ」
恐怖を孕んでいるような彼女の瞳だった。
「『お姉ちゃん、友だち、いっぱいつくってね』……それ、私にたくさんの友人ができることを望んだんじゃなくて、私のためにお姉ちゃん、友だちをいっぱいつくってね……という願いだったのよ」
「……」
「そうだったんだ……。そんなことも気づかずに私、亜実の気持ちを受け継いだ気持ちで……」
風景画ばかり描いた。―――と、彼女は自分が
たしかにすべて風景画。そしてその中に必ず、大なり小なり、ふたり以上の人物。
「そしておそらく……」
続けた彼女は一呼吸置くと、
「キャンバスが壊されれば、閉じ込められた人も、死んでしまう」
「……堀田!」
意図せず声をあげたぼくに、彼女が深く頷いた。
そして、
「居海くんが彼の肖像画、描いたはずないんだから」
真っ直ぐぼくの目を見て、いった。
*
「もう絵を描くことやめる。描けば自然と、人物を入れちゃうだろうから」
うつむいたままそういってソファーに座り込む彼女を、全力でなだめた。そして、しばらくようすを見る、という約束をとりつけた。
由実の描いた絵が100パーセント原因と決まったわけじゃないと、ぼくは主張した。しかし心の内では、彼女の推測を100パーセント以上信じている。
矛盾がぼくをも、うつむきがちにした。
ただ、同好会には当分の間(ずっとになるかもしれないけど、と彼女はいったが)参加を見合わせることになった。きてしまえば、描きたいという衝動がわきあがってしまう。それが理由。
それは寂しすぎるよ。―――そう訴えようとしたが、強く結ばれた唇が、どんな意見をも受けつけないことを物語っていた。やむなくぼくは承諾した。
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