第22話

     【11・一〇人目】


 二学期が始まった。

 ぼくのクラスは陽に焼けている者も少なく、気のせいか、げっそりしたような顔がほとんどのように思えた。それは、まだまだ続いている蒸し暑さのせいだけではあるまい。

 教壇に立ち、本日の行事事項を話す宇津先生のようすも、ご多分に洩れず―――。

 そんな彼女の顔を斜め先に眺めながら、ぼくの頭はさっきから、アトリエでの打ち上げ(?)のシーンをフラッシュバックさせていた。


     *


 宇津素和うつすわ

 スケッチブックにしっかりと書かれたその名前を凝視しながら、

「たしかに、一緒だけど……でも、担任がどうして……」

「ああ、会長のクラスの先生ですか~」

 ひょうひょうと未来が口を挟んだ。

「彼女が居海くんに恨みを抱いているんじゃないかってことは、充分想像できる。だって、恋人が考えられない死に方したんだから」

 宇津先生と口ひげの美術部顧問ができていたらしいこと、そして口ひげ先生が死亡したのは、ぼくが彼の肖像画を描いたからという噂は、孤立している由実でも知っていた。

 ただ、一年生の未来の耳には未だ届いていなかったので、ここで由実の口から詳細が語られた。

「でも宇津先生がぼくに恨みを抱いていることと失踪と、どういう関係が……」

「要はこの失踪事件、居海くんを苦しめるためにやっていることなんじゃないかしら」

「苦しめる?」―――そんなこと、にわかには信じられない。

「復讐といっても、いいかも」

「仮にそうだとしても……だったら直接ぼくに復讐すればいいんじゃ……」

「やだ~、そんなの~」

 未来が顔をしかめた。

「それに、生徒を犠牲にしてまでやる?」

 ぼくはつけ加えた。

「直接居海くんを消したら、すぐ自分が疑われると考えたんじゃないかしら。彼女と美術部顧問が恋人同士だったのは、ほとんど公然の事実だったんだから」

 それにしても……。

「そこで、居海くんが不思議な能力を持っているって噂を利用して、居海くんを苦しめようっていう、まわりくどいやり方を採ったんじゃ……」

 そうだろうか……。

「生徒の犠牲なんて、女の執念の中では顧みるに値しない微々たるもの。彼女だって教師の前に、女なんだから」

 そういった由実に、なんだか近寄りがたい大人びた横顔を見た。

 でも―――考えすぎのような、こじつけのような……そんな気がする。しかし、それにかわる推理などぼくには持ち合わせがなかった。なので、黙っているしかない。

「でも、その先生が犯人だったとして、どんな特殊能力使って失踪させたんですか~? 

 だいたい先生なんかがそんな力持ってるんですかね~。持ってたら教師なんて仕事就かないで、もっとイリュージョニスト的なことやったほうが儲かるだろうし、楽しそうなのに~」

 偏見と職業蔑視に満ち溢れていても、意見は意見で尊重する。ただ、イリュージョニスト的なことって……マジックってこと?

「それかもしかしたら、会長を苦しませるために―――そんなの許せないけど―――当分の間いなくなっててって、みんなに頼んだか」

 由実とぼくと義兄さんから、思わず笑いが洩れた。

「おかしいですか~」

 ちょっと頬を膨らますと、未来は新たなオードブルをつまんだ。

「そんなことないよ。そういう柔軟な発想、僕は好きだな」

 優しく同調した義兄さんに乗って、ぼくも答えた。

「そうだな~、そういった願い、駒尾だったら聞くかな~……」

「コマオ?」

「ほら、夏休みに入ってすぐ失踪した子」

「ああ。……でも、なんでコマオさんだったら、なんですか?」

 彼女が写真部部長で、クラブでは宇津先生の右腕的な存在、並びに、大のお気に入りだったことなど、未来は当然知らない。だから簡単に説明した。

「ふ~ん。……でも、それだったら変な話。お気に入りの右腕消しちゃうなんて。いくら執念だっていっても」

 そういわれれば―――。

「逆にお気に入りだったからこそ、先生の意にそぐわない態度を彼女が示したりしたら、ほかの生徒よりも怒りが倍増するんじゃない」

 由実は冷静に続ける。

「もしくはカモフラージュって考え方もできる。仲のよい生徒を消せば、自分に対する疑いは一層薄れるもの」

 しかし―――果たして先生は、そこまで自分に疑いの目を向けてくる人間がいると思っているのか……?

 そんな疑問は、自信に満ちたような落ち着きを見せている由実に、やはり投げかけることはできなかった。

「じゃあやっぱり、その宇津先生か~」

 未来の中でも決定されたらしい。

「ともかく失踪を防ぐには、彼女がいかなる方法で能力を発揮しているのか、知ることだと思う」

「いかなる方法? いなくなれ~って念じてるんじゃないんですか?」

「もしそうだったら、彼女自身を消すしか道はないわね」

 怖ろしいことを、由実は軽くいった。

「なにか儀式的なことを行ってるかも……ってこと?」

 恐る恐る聞いたぼくを真正面に捉えると、彼女は頷いた。

 小さく、しかしはっきりとしたその首の動きは、

「居海くんが肖像画を描いて、相手をすようにね」

 そういっているように思えて仕方なかった。

「カメラが……僕は気になるんだ」

 義兄さんが遠慮がちに割って入った。

 ぼくたちの視線が彼に集まる。

 ぼくの身のまわりで起こった出来事については、ほとんど話して知っている義兄さんは、エプロンの裾を弄びながら続けた。

「写真は昔、人の魂を抜きとるとか、真ん中に写った人は死ぬなんて迷信があったよね。もちろん迷信だよ。でも、現代でも実際、心霊写真をはじめとして、人の目には見えない不思議な現象を記録する能力があるのは、疑うべきところではないと思うんだ。そういう観点に立てば、宇津先生の愛用するカメラに、人をとり込んでしまう能力があると想像してもいいんじゃないかって。もしくは彼女そのものにそんな力があって、それがカメラに伝染された……そう考えても」

「え~、そんなこと~!?」

 素っ頓狂な声をあげた未来に、

「いや、可能性の一つとしてね。ちょっとオカルトチックすぎるかな~」

 頭をかきながら、義兄さんは照れ笑いを浮かべた。

 その間に、

「……とり込む」

 やっと聞きとれるほどのつぶやきが由実の口からこぼれたのを、ぼくの耳は逃さなかった。

「……なに?」

 由実に顔を寄せ、未来と義兄さんに気づかれないよう素早く囁いた。

「え……べつに」

 囁き返すとともに、彼女は小さく首をふった。そして、

「充分あり得ることだと思います」

 さっと顔をあげた。

「写真部は各部活の活動風景や、諸々の学校行事の撮影をいつも担当しています。そして宇津先生はいつも付き添っている。顧問だし、彼女自身、写真が好きなんだろうから」

 誰にともなく説明しているような由実の表情だった。

「だから、うちの学校の生徒ひとりひとりを写すことなど、彼女にとってはたやすいこと。だから……」

 そこでなにか考え込むように、彼女は口を閉ざしてしまった。

「だから、その宇津先生のカメラには、撮られないように気をつけましょ~!」

 なぜか我が意を得たりとばかりに、未来があとをとった。

「特に会長は、いわれのない恨みを抱かれてるんですから!」


     *


“キ~ンコ~ンカ~ンコ~~~ン……”

 チャイムの音で我に返った。

「―――ですので、通常授業は明後日から。明日はホームルームと、そのあとの時間は、夏休みの宿題を提出できなかった人の指導にあてますから」

 やる気のない、と見られても仕方がない覇気の失せた物言いで、宇津先生は締めくくった。

 クラス委員の「起立、礼」のあとのざわめきや、帰り支度の雑音も、一学期とは変わり、にぎやかとはほど遠いものになっていた。

「なにやってるの?」

 再び物思いにふけりそうになっていたぼくの頭上から、由実の声。

「あ、うん」

 それで筆記用具を鞄にしまう動作を速めた。

 今日は由実、未来と画材屋へ、新たなキャンバスと絵の具を買いにいく約束をしていたのだ。―――一学期と変わった情景がここにも一つ、あった 。

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