第16話
*
「じっくり時間をかけて一つの作品をつくっていくっていうやり方もあるけど、ぼくとしては、数を描いたほうがスキルアップになると思うんだ。それに個人出展になる文化祭と、秋の中高協会美術展のためにも、ストックがあったほうがいいと思うし」
義兄さんの淹れてきてくれたアイスティーでのおかげか、もしくは由実が持参した、彼女の母の手づくりクッキーが非常に美味しかったからかわからないが、どちらにしろ、めでたく未来のご機嫌が治まってきたので提案した。
これは由実の参加が見込めないと考えていたぼくが、自ら練った、未来の脱線防止案だった。締め切り期日を決めれば、彼女もあせって、勝手に中断することも、無駄話をしかけてくることも少なくなるだろう、と踏んだから。結果的に由実の参加が叶い、不要かと思ったが、保険のため出した。
「いいんじゃない」
黙っている由実と未来を見て、義兄さんが加勢してくれた。
少し早目のお茶休憩の時間。輪になって座っているぼくたちの中に、義兄さんも加わっていた。
いつもだったらお茶を持ってきて、すぐ引っ込んでしまうのだが、今日はぼくが遠まわしに引きとめたのだ。―――悪いが、殺伐とした空気を和ませる役割として。
そんなぼくの狙いを義兄さんは瞬時に察知したらしく、躊躇せず腰を据えてくれた。
「どうだろう?」
由実に尋ねた。―――同好会活動で、文化祭や美術展への出品作を制作するなどとはいっていなかったので。
「それでいいと思う。べつに、出す出さないは個人の自由なんでしょ?」
クールに返してきた。
「もちろん。でも、石井の力だったら、出せば、いい結果につながると思うけど」
しかし彼女はその意見には無反応。
かわりに、
「あ、これ、レモンパーム。……美味しい」
アイスティーを一口飲んだあと、つぶやいた。本心からのように聞こえた。
「あ、わかった!?」
義兄さんが顔をほころばせた。
「うちでもあの人が……母が、たまに淹れるんで。でも、こんなに美味しくは……」
「あ、そうなの~。僕もこれ、大好きなんだ。気分リフレッシュには―――」
「ど~して、石井さんだけに訊くんですか?」
義兄さんをさえぎって、未来がぼくに向かってぬ~っと首を突きだしてきた。
「いや、未来ちゃんにはこれから訊くつもりで―――」
「あたしもべつに。出す出さないは個人の自由なんでしょ?」
真似した。
「まあ、そうだけど……」―――子どもかよ。
「なので、同好会初作品は、夏休み前を締め切りにしようと思います」
「夏休み前? っていうと……」
未来は指折り数えた。
「え~っ! あと約二か月じゃないですか~!」
ぼくはすましてレモンパームを含んだ。爽やかな香りが鼻から抜ける。
「え~、できるかな~あたし、そんなんで~」
情けない声でいった未来に、
「頑張れば大丈夫」
大きく頷きながらぼくは答えた。
それでも、
「会長は自分のアトリエだから、いつでも描けていいけど……」
不平口調の彼女に、
「いや、同好会活動規定にはぼくも絶対従う。約束する」
力強く重ねた。
実際、今までも制作はこんなペースだった。好き勝手いつまでもやっていると、さすがに親や姉に怒られたから。
「僕も保障するよ。しっかり監視してるから」
このときばかりは義兄さんも、真剣な顔で請け負ってくれた。
「でも~……」
と、まだ不服そうな未来だったが、
「石井さんは、どーですか?」
いきなり挑むような口調に変化させると、正面に座っていた由実に鋭い眼光を向けた。
「べつに。家にいるとき、私もそんなペースだったから。それに、時間に制限があったほうが集中できるし」
こともなげに答えた。―――い~ぞ、石井~!
「あ、そ~ですか!」
再び未来のご機嫌が傾き始めたところに、
「大丈夫だよ未来ちゃんなら~! だって、先週までの進行状況見させてもらったけど、びっくりするほど速いじゃない。しかもなんだか、素敵な作品ができそうな予感もするし~!」
絶妙なタイミングで、義兄さんのフォローが入った。
「……そ~ですか?」
まんざらではないような未来。
「うん! なんだか色使いがポップで、アンディー・ウォーホール的っていうのかな、詳しくはないけど。でも、将来的には新たな油彩のジャンル、築けそうな気がしたな~。素人目線だけど」
「そ~ですか~!?」
斜めなご機嫌が、真っ直ぐに戻った。
「会長! あたし、頑張ります!」
「あ、うん。……がんばろ~!」
突如やる気満々になったキラキラおめめに気押されつつ、同調した。
しかしすぐ、
「あ、でも……」
思いだしたようにいった未来は、その目を天井に向けて―――、
「いくら頑張っても、消えちゃったら元も子もないですよね~」
「え?」
「あの噂って本当だったんですね」
視線をぼくに戻した。
「うわさ?」
「この学校、次々行方不明者が出るって」
こともなげな口調だった。
「今日、担任の先生から伝達があって、あ、本当なんだ~って思って」
視野の隅にあった義兄さんのにこやかな表情が、消えた。
「ああ……」
その連絡は、当然ぼくたちにもあった。
新たな失踪者は、
先週の土曜日の夜、彼女は自分の部屋から忽然と姿を消したらしい。
そして二か月前に消えた戸隠乃里をはじめ、昨年度中にいなくなった六名についても、戻ってきたという報告は、まだひとりとしてない。
「悩み事やつらいことがあったら、すぐに自分かカウンセラーにいいなさいって先生いってましたけど、本当なんですかね~? みんな自分からいなくなってるって」
「うん……」
「学校側はそう考えてるみたいじゃないですか」
「そうみたいだね……」
「でもあたしはそうは思わないんですよね。だったらすぐ見つかると思うんです。だって狭い日本だし、高校生の行動力や経済力じゃ、隠れるにも限界ありますもん」
「うん、まあ……」
「だとしたら、なんらかの外的要因が作用してるって考えたほうが自然ですよ」
名探偵よろしく、未来は頭をかいた。
「ということは、いつ自分が失踪するかわからな~い」
でもやはり、たいしたことでもないような口ぶり。
「ま、あたしは大丈夫ですけど。まわりに対する注意力と観察力には自信ありますから。それに足も結構速いし」
「……」
「でも、なんでこんなこと起こるのかな~」
大げさに首をひねりながら、未来は手づくりクッキーをかじった。
「ごちそうさまでした」
まだ氷が解け残っているグラスを、由実は静かにトレーに置いた。そして、
「次回からは飲み物、自分で用意しますから、くれぐれもお気遣いなく」
義兄さんに小さく頭をさげた。
そういった彼女はおそらく今日も、持参した手提げバッグの中にポットを忍ばせていたに違いない。
「いや、そんなこと気にしないでよ」
「でも、制作場所までお借りして、その上お茶までいただいちゃ、申し訳ありませんから」
「あ、いや、そんなことないんだ。
実はお茶持ってくることにつけ込んで、僕が息抜きしてるんだ。なにしろずっと妻と一緒の仕事だから。ね」
と、義兄さんはぼくに向かって笑った。
「それに、将来有望なアーティストになるであろうみなさんの役にも立ちたいし。もちろん邪魔はしないから」
「はあ……」
無表情で軽く頷くと、由実はキャンバスに向かった。
が、
「石井さんはどう思います?」
まだまだ休憩時間は終わらせない! というつもりなのか、未来は由実の背中に向かって上半身を近づけた。
「え?」
「どうして失踪事件が起こるのか?」
「さあ」
「そうですよね~、わかりませんよね~」
「でももしかしたら……」
キャンバスに向かったまま、由実は言葉を切った。
「え? なんですか?」
「犠牲かもね」
「……ギセイ?」
ぼくが尋ねると、彼女はふり返った。
「悪魔払いとか、加持祈祷とかやると、見返りとしてそういうのが出るんじゃない? 『エクソシスト』っていう映画でもあったわ。祓った神父が結局は死んじゃう」
「カジキトウ?……なんですか、それ」
「はっきりとはわからない。けど、そんなようなことやってるみたい。うちのクラスの人が、輪になって何人かで」
「なに、それ」
今度はぼくが訊いた。
「昼休み、たまに見かける。屋上や校舎の裏なんかで。二年のときも私たちのクラスの人がやってた。二学期ごろから見かけるようになったから、失踪事件を防ぐためか、自分を守るためのお祈りなんじゃない」
手をとり合って上空を見あげ、呪文のようなものを唱えたり、地べたにひれ伏して、なにかを崇め奉るように躰を波打たせたりと、奇妙な動きをくり返しているのでそう思っている。―――由実はそう話した。
そして、
「中心になってるのは、いつも
「田倉見……」
彼女も由実と同様、二年のときから同じクラス。
そして思えば、彼女も由実と同じく、ぼくに対して怯えや怖れの素ぶりを見せない生徒だった。ただ、蔑みや怒りの色を露骨に表すその視線だけは、由実とは違っていた。
「そんなの、一度も見たことないよ。休み時間、同じようなところにいってるのに」
「見張りつけてるのよ。居海くんがきたらすぐ散っていくわ」
「どうして会長がきたら散るんです?」
未来に尋ねられた由実は、そこで黙ってしまった。
「悪魔や災いのもとと思われている居海くんに見つかれば、効果が薄れたり、なくなったりする。そう思ってるからじゃない?」
とは、さすがの由実でも本人を目の前にしてはいえないみたい。
また、入学してまだ一か月半ほどの未来は、美術部内で起こった二件の死亡事故に関し、ぼくが犯人として疑われていることはすでに知っているが、その件によって、失踪事件のホシもぼくと目されるようになっていることは、知らないようだ。しかし、知るのも時間の問題だと思ったので、ぼくからその理由を発表した。
「え~! そんなバカな話ありますか~!?」
予想通り憤慨した未来の小さな口から、クッキーの欠片が勢いよく飛んだ。
ぼくは苦笑い。義兄さんもうつむきながら口角をあげている。
「アホらし~! 会長がそんなことするわけないじゃないですか! ねえ!」
憤った顔をこっちに向けた彼女に、
「もちろん」
ぼくは胸を張った。
「そもそも一介の高校生の会長に、他人を無理矢理失踪させるなんていう、そんなオカルト的な力なんて、ありゃ~しませんよ!」
ありがたく断言された。
他人を死亡させる力は、一介の高校生のぼくでも、なぜか持ってるんだけどね。
「そ~ですよね!」
掴みかからんばかりの勢いで、未来は由実にも同意を求めた。
由実は一つ頷くと、
「たしかに悪魔祓いとか祈祷なんかしても、意味ないわね。どこに本当の原因があるかなんてわからないんだから」
「そ~ですよ、会長じゃないんだから!」
由実は―――ぼくが失踪事件の実行者だとは考えてないみたい。
「でも間違っていても、それが原因だとみんなが思い込んでいるうちは、祈祷なりお祓いなりによる犠牲は、出てしまうのかも……想像だけど」
「そうなんですか?」
由実に対する敵対心は、未来からすっかり消え失せているようだった。
「だから、勝手な私の想像」
さあ、もうこれで終わり。というように、由実は木炭で下書きを始めた。
「じゃあ、がんばって」
小声でいった義兄さんは、空のグラスの載ったトレーを持ち、アトリエを出ていった。ボリュームは違ったが、「ごちそうさまでした」と、未来と由実の声が合った。
失踪者は犠牲者―――。
実際この説に、ぼくも頷けはしなかった。あまりに突飛だし、犠牲にしろ、生け贄にしろ、そういう類のものは、供されてからはじめて祈願が叶う……普通そのような気がする。なのに、失踪事件の根本が解明されてもいないうちに、次から次へと犠牲者が出るのは、理に適っていないのでは……。
しかも、悪魔祓いや祈祷というものが始まる前に失踪した者は、ではなぜなんだ?―――というのも、この説に頷けない大きな理由だ。
『いつ自分が失踪するかわからな~い』
ふいに未来の言葉が甦った。
そうだ。犠牲は果たして、祈祷グループ内から出ているのだろうか……?
もしそうでないなら、参加していない者にとっては迷惑この上ない話になる。
渦巻く思考のまま横を見ると、由実だけでなく未来も、すっかりキャンバスに向かって筆を動かしていた。
―――ぼくひとり、出遅れた。
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