第15話
*
「庸くん、いいかな~」
襖の外から弾んだ義兄さんの声がした。
「あ、もうお茶の時間ですか?」
同じように弾んでいった隣の未来を気にしないで、
「はい、どうぞ」
筆をとめてふり返った。
襖が開くと、ニコニコした義兄さんの顔が現れた。
そして、
「さ、どうぞ、こちら」
彼はそう階段のほうにいうと、アトリエ内へ手を差しだした。
「……?」
「失礼します」
といって、躰を引いた義兄さんにかわり、姿を現したのは―――。
「えっ!?」
「え?」
ぼくと未来の声がシンクロした。ただ、ぼくのは驚きの音で、彼女のは怪訝といった音。
「……石井」
スケッチ箱とキャンバスバッグを肩にかけた制服姿の由実が、廊下に立っていた。ついでに携行用イーゼルも、その手にはあった。
「さ、さ、どうぞ中へ」
ニコニコしている義兄さんに、もう一度「失礼します」と軽く頭をさげ、音もなく彼女は入ってきた。
「よかったよ~、すぐにこの場所わかたって」
相変わらず弾んだ口調の義兄さんは、「お茶、すぐ持ってくるからね」と、リズミカルな足どりで階下へおりていった。
「あ……あれ……」
由実を誘った日から週が開け、月曜日―――彼女からの返事はなく、火曜日の今日も同じだった。
久しぶりの会話を交わしたことすら忘れているのでは……と思うような彼女の態度が、NGという答えだと受けとっていた。だから、油彩道具を持って目の前に立つ彼女に、驚いたとともに戸惑った。
「ちょうど描いていた絵が仕上がって、いいタイミングだと思ったから」
それが前触れもなく、いきなり登場した理由?
でも、
「あ、そうなの」
歓喜で小躍りしたい気持ちをぐっと抑えて、とりあえず頷いた。
「あの人も……喜んでた」
「あ……そうなの……よかった」
由実の参加が叶ったことを祝すように、窓から涼やかな風が流れ込んできた。それにつられるように、つと彼女は外の景色に目を向けた。
「あ、隣神社なんだ。猫野神社。いったことある?」
彼女はぼくに視線を戻し、
「ない」
「あ……そう……」
「で」
「へ?」
「私、どこで描けば」
道具を持ったまま襖の前に立っている由実は、いつもの無表情で尋ねた。
「……あ、ごめん」
部屋の隅から急いで丸椅子を持ってくると、未来の横へ置いた。本当は彼女のおしゃべりを阻止するべく、彼女とぼくの間に配置したかったのだけど、ぼくの道具をどかして隙間を開けるのは、いくらなんでも不自然だったから。
「イーゼルは、いいよね」
黙って頷くと、由実は用意した椅子に座り、持参したイーゼルのセッティングを始めた。未来と違い、アトリエ内見学、窓外確認、無駄話などの類は一切ない。
「あの」
今まで黙ってぼくたちのやりとりを見ていた未来が、由実に向かって口を開いた。
「あ、ごめん。こちら石井由実さん。ぼくと同じクラスの」
「はあ……」
きみの脱線を防止するために呼びました。といえるはずもないので、
「彼女も絵が好きなこと最近知って、だったら一緒にどう? って、誘ったんだ」
「はあ……」
いきなり登場した入会者に、見るからに疎ましげな視線を未来は送っている。
「あ、石井、こちらはね―――」
今度は未来のことを紹介しようとすると、
「はじめまして、一年F組の覚野未来です。会長と一緒にこの同好会始めた創設者のひとりです。よろしくど~ぞ」
笑顔一つ見せず「創設者」を強調した彼女は、学年は下だが、この会では先輩だといいたいのか……。
「石井です。よろしく」
チラッと未来を一瞥しただけで、由実は準備を続けた。
無愛想な上級生に送る未来の目が、一瞬「それだけ~!?」と驚き、そして、ひときわ険しくなった。
やばい……殺伐とした雰囲気になりそうな気配。
「あっ、石井もF8でやるの~!?」
だからぼくは、由実のイーゼルに載せられた真っ白なキャンバスを見て、努めて明るい声を出した。
「前のが20号だったから、今度は小さめで描こうと思って」
無感情で返す彼女に、
「あ、そ~。ぼくと同じだ~。ハハハ……」
笑ってみた。
「あたしだけ、いきなり、突然、思いっきり、仲間外れになっちゃったみた~い!」
嫌味たっぷりの声を張った未来は、険しい眼光を今度はぼくにまでぶつけてきた。
作戦失敗……ど~しよ~。
でもそのとき、
「みんさんいいかな~、お茶持ってきました~」
襖の外に本日二回目の弾んだ声。それは救世主の声にほかならなかった 。
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