第14話
【8・八人目】
「というわけで……どうかな?」
翌日の土曜日。いつも通りひとり下校する由実に校門で追いついたぼくは、恐る恐るといった感じで、同好会へ彼女を誘った。教室内で話すのはなんだか憚られたので、放課後まで待ったのだった。
石井家での約束通り、今週頭から彼女は登校してきた。しかし秘密を告白したにもかかわらず、ぼくに対する態度は以前と変わることなく、一言も言葉をかけてくることはなかった。そんな彼女のようすだったから、こっちからもかけづらく、結局今が、家庭訪問以来の会話になった。
「同好会?」
渡した『創作・静』の名刺へ視線を落とした由実に、
「うん」頷いた。
ただし、未来の脱線を食いとめるのが勧誘理由だとはいえなかったので、ただ単に、絵が好きな者同士だから―――とした。
「アトリエっていっても、単に古い家の二階なんだけど……一階が姉夫婦の店で。……石井の家からも近いんだ」
「……」
「どう……でしょう?」
「あの人の話は気にしなくていいわよ」
無表情のままの由実は、ぼくと目を合わさずいった。
「いや、そういうことじゃないんだ。あくまでこっちの考えで……」
未来の問題もさることながら、
“同級生と心置きなく話す場がほしい……”
今考えると、それも誘う決心を固めた理由だったのかも。
「……」
「それに、放課後ずっと家にいるよりも、少しでもお母さんと距離を置いた時間を持ったほうが、息抜きできるんじゃない?」
なかなか答えを出さない彼女に、プライベートな部分に入り込むようなことを思わずいってしまった。いってしまってから、
気を悪くさせちゃった……?
と後悔したが、
「……考えておくわ」
怒るでも反発するでもなく、ただ一言感情のない声でいうと、彼女はやはり目を合わさず去っていった。
気のなさそうなその態度に、断られることをはっきり覚悟した。
みるみる遠ざかっていく由実の後ろ姿をその場に立ち尽くし見送っているのは、「落胆」からなのだろうか……。
一気に力が抜けきった双肩の空虚感から見て、おそらくその言葉はあたっている。
可能性が少ないことは重々予期していたはず……。
ではどうして……。
未来の脱線防止のため。自分の絵画制作をもとの調子に戻すため。―――そんな身勝手な計画が泡となってしまったからか……。
彼女の母、そして彼女自身のためにという偽りなき配慮が、受け入れられなかったからか……。
いや―――、
その両者ではないことは、義兄が提案してくれたときに感じた、驚きに引きずられるようにしてわいた心のざわめきが、今、自ずと伝えた。
そしてその伝達は、未だ視界の中心を占める、スレンダーな後ろ姿がなしえたものかも……。
生まれてはじめて覚えたあの心の振幅―――あれは面映ゆくはあるが、「ときめき」といってもいい感情だった、と思う。
その証拠に今、「同級生と心置きなく話す場がほしい……」という勧誘理由の「同級生」に、由実以外の名をあてはめようとしても、ぼくの思考はまったく動かない。
彼女に抱いていた深い親近感。―――それは知らず、限り無く「恋心」というものに近い感情だったのか……。
もしくは親近感が、いつしかそんな心情に昇華していたのか……。
いずれにしろそうであれば、「落胆」の意味は、非常に明確になる。
そして今、正直に自分を見つめ返す―――。
登校後すぐ誘いの言葉をかけられなかったのは、結局のところ、生まれていたそんな感情が、「否」の返事を怖れていたからだったのだ。教室内での会話はなんだか憚られる、という理由をつけて、結果を少しでも先延ばしにしようとしていたのだ。
彼女に対してそんな感情を抱いていなければ、いくら向うの態度が以前とまったく変わらないそっけないものでも、勧誘の口はすぐ開けたはず。
しかし、その怖れは今、現実となってしまった……。
ぼくの想いが報われることは、もう、ないのか……。
地面に貼りつくようにあった足に、意図せず視線が落ちた。
と、
「かいちょ~!」
背後から声がした。
ふり返ると、未来が校庭を駆けてくる。そしてぼくのもとまでたどり着くと、わざとか勢い余ってか、躰ごとドンッとぶつかってきた。―――痛いです。
「も~、かいちょ~の教室の前で待合わせって、約束したじゃないですか~」
胸を上下に揺らしながら、未来はぼくを見あげた。
「あ……ごめん」
「まあいいです」
瞬く間に呼吸を整えた彼女は、ぼくの腕をつかむと引っ張った。
「早くいきましょ~、さもないとランチタイム終わっちゃいます!」
今日は一緒にアトリエへ向かうことになっていた。そしてその前に、やっていなかった発足式を執り行うという約束もさせられていた。例の、税込九八〇円の食べ放題の店で。
しかも本来の予定日だった先週は、こっちの用事でキャンセルしてしまったので、ぼくが奢ることも、悲しいかな、決められていた 。
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