第8話
【5・欠席】
「居海くん。ちょっと」
帰りのホームルームが終わると、教壇に残る宇津先生に呼ばれた。何人かの視線がこっちに向けられたのを感じたが、ほとんどは放課後の雑談に興じている。
「悪いんだけど、石井さんに居海くんのノートのコピー、届けてあげてくれないかしら」
教卓を挟んで向い合った先生は、かわらず覇気の感じられないようすでいった。
「え?」
「居海くんなら、毎授業の、ちゃんととってるでしょ?」
「え……ええ、まあ……」
先生は小さな吐息を一つつくと、
「実は彼女、お母さんの体調が思わしくなくて休んでるのよ」
「はあ……」
たしかにゴールデンウィークが明けた今週の月曜から、由実は学校を休んでいた。
「今度は石井か!?」
そんな声がクラスのところどころから聞こえたが、先生から失踪者としての伝達はなかなかなかった。それに、クラスに溶け込むことのない彼女ゆえ、失踪かと噂はされても、心配するような生徒は見あたらない。
「週明けに彼女から連絡があってね。……彼女のお家、お母さんとふたり暮らしなのよ」
「はあ……」
「で、二、三日してこっちからも電話してみたんだけど、まだよくないらしくって……」
「ああ……」
「近くに親戚もいないっていうし……。
心配だからお見舞いにいきたいっていったんだけどね、先生にきてもらったら、余計お母さんに心労かけてしまうかもしれないからって……断られちゃってね」
教卓の端に視線を定めたまま、先生は続けた。
「決して登校拒否じゃないから、心配しないでくださいって……」
そんな会話の内容までぼくに話すべきことなのか?
でも、
「そうですか……」
ただそう答えておいた。
「彼女、自分のせいで休んでるわけじゃないし、それで勉強遅れちゃったら可愛そうだし、それに……」
そこで先生は一旦言葉を切った。
おそらくそのあとに続くのは、
「……彼女、ノート見せてくれる友だちもいないだろうし、見せてともいわないでしょうから」―――だったのではないか?
しかし、そんなことを担任教師が口にするはずもなく、
「クラスメイトだったら、教師より気が楽だろうから……」
と、視線の位置はそのままに、いった。
そしてぼくを選んだのは、席も隣同士で、二年のときも彼女と同じクラスだったから、ということと、教職員専用の生徒住所録を調べていたら、由実の家が姉の店(ぼくのアトリエ)の意外と近くなのを発見したから―――だと話した。(姉の店の所在地は、非常連絡時の電話番号とともに学校側に知らせてあった)。
だけど実際、そんな諸条件は建て前で、ほかの生徒に頼めば、断られたり、嫌な顔をされたりする恐れがあったからではないのか……。その点ぼくであれば、孤立している者同士でもあり、それに、恋人を殺された恨みもあり……。
だが、一瞬でもそんなうがった考え方をしてしまった自分を、途端に恥じた。―――いつの間にかぼくに向けられていた哀願にも似た視線に気づき、かつそこには、邪気の包含など微塵も感じられなかったから。
ぼくは先生の依頼に頷いた。
「コピーは職員室でとっていいから。あ、あと、彼女のお家の住所も教えるから、すぐきて」
声に少しばかり張りをとり戻した先生は、出席簿と数冊の書類を小脇に抱えるとドアへ向かった。
「あ、あの……いつ届ければ?」
「それは居海くんの都合に任せるけど……」
立ちどまった先生はふり向いていった。
「石井さんも早くノート見られたほうがいいんじゃないかしら。彼女、意外と勉強家だから。成績もトップクラスなのよ」
へ~、彼女頭よかったんだ~……。
いや、そんなことよりも、「善は急げ」先生は暗にそう告げている。それぐらいは、中の中ほどの成績のぼくでもわかった。
「あ、じゃあ、今日……さっそく?」
「そうね。そうしてもらえれば彼女も喜ぶわよ」
先生自身も喜んだような声だった。
由実の家へ寄っても、土曜日の今日は午後いっぱい時間が使える。それだけあればなんとか間に合うだろう。―――そう瞬時にぼくは考えたのだった。
そうなのだ。現在制作中の作品は、結局未だ、完成にいたっていなかったのだ。―――未来と同好会を発足すると約束した、今日になっても。
完成不可能が確実となった昨夜、どうすべきか筆を持ちながら悩んだぼくは、結局、明日未来に謝り、発足を一日だけ延期させてもらう―――という決断をくだしていた。それ以外の方法があるはずもなかったから。
自分の机に戻って、途中だった帰り支度をした。ノートはルーズリーフでとっているので、一冊のファイルに収まった全教科ぶんは、いつでも鞄に入っている 。
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