第5話
小学校高学年になると、図工の時間は二時限続けて行われ、教室も専用の部屋に移動した。
その日は水彩画の授業だった。
「好きな人とペアになって、お互いの顔を描いてみよう」
という図工の先生の言葉に、クラスはわいた。
すっかり異性を意識し始めているぼくらは、本意に反し、男子は男子、女子は女子とペアを組んだ。例外になるようなませたクラスメイトはいなかった。
クラちゃんを、ぼくは誘った。
本名を
うつむきがちに頷いた彼の指には、いつもいろいろな色の塗料の欠片がついていた。それが模型用のものだと、ぼくは知っていた。プラモデル制作こそが、彼の唯一の趣味だったのだ。
一緒につくらないかと、はじめて彼の部屋へ招かれたとき、ぼくはびっくりした。模型店のショーウィンドーに飾られていてもおかしくはない見事な作品が、ところ狭しと並べられていたから。
ただ、そのテクニックが絵を描くことに生かされるわけでないことは、彼の描いたぼくの肖像画が如実に物語っていた。―――彼にはいわなかったが、誰だかわからなかった。
逆にぼくの描いたクラちゃんの顔は、感激した先生のはからいで、図工室前の壁に当分の間飾られることとなった。
自分が褒められたわけでもないのに、クラちゃんは顔を真っ赤にして盛んに恥ずかしがっていた。そして、普段の教室へ帰る廊下を並んで歩いているとき、彼は小声でいった。
「ヨウちゃんが気に入ってたあの戦闘ヘリ、ウェザリング終わったらあげるよ」
それは彼の部屋にある模型の中で、一番ぼくの目を引いたものだった。
しっかりと塗装がほどこされ、完成しているように見えたが、まだ“汚しがけ”が残っていると彼はいっていた。
肖像画のお礼のつもりだと、すぐに察せられた。授業の中で描いたものなのだから、本来そんなことは、してもされてもいけない。でも、そのときのクラちゃんの嬉しそうな横顔を見たら、
「ほんと!?」
思わずそういってしまった。
だが―――その約束が果たされることはなかった。
クラちゃんの家が火事に見舞われたのは、その夜のことだった。
家族全員が就寝している中起こったその奇禍で命を落としたのは、なぜか彼だけだった。
謎は出火原因にも及んだ。
おそらく模型の塗料や溶剤に引火したのではないかと、彼の趣味を知るクラスメイトは噂し合った。
しかし、季節柄彼の部屋にストーブなどの暖房器具が出されていたとは思えず、また、ほかの火の気などあるはずもなかったのでは……。
第一、模型作品のできを見てもわかるように、道具類の使い方も熟知していた彼が、それらの危険性を知らなかったとは考えられないし、加えて几帳面な性格が、いい加減な保管をするとも、ぼくには思えなかった。
だが結局、真相は不明に終わった。
クラちゃんの肖像画を彼に渡すつもりでいたぼくは、手もとに戻ってきたそれを彼の家族へ託すべきか悩んだ。が、そうしている間に、彼の一家は引っ越してしまった。
倉井家の新たな所在がわからなかったため、はにかんだ顔のクラちゃんは、今も押し入れの中で眠っている。
中学へあがると、ぼくは油絵を始めた。入学祝に祖父母から贈られた油彩道具一式がきかっけだった。
水彩とは勝手が違い、めんどうなこともずいぶんあって、はじめのうちはちっとも思うように仕上げられなかった。でも慣れてくるに従い、水彩より遥かにやりがいと面白さが感じられ、すっかりのめり込んだ。それからのぼくは、油彩一辺倒になった。
ある程度思い通りいくようになったころ、入学祝のお礼として、祖父の肖像画を描いて贈ることにした。
祖父母一緒の絵にするつもりだったが、自分の顔など恥ずかしいから勘弁してくれと、祖母が強硬に辞退したので、祖父単身となった。
描いている間、老人をじっとさせておくのはさすがに無理だと思ったので、アルバムの写真を利用することにした。心ばかりのサービスとして、祖父の少し若いときのものを選んだ。
油彩でのはじめての肖像画だったが、思った以上によくできた。
中学に入ってローマ字に変化したサインを入れ、キャンバスを祖父に渡すと、大喜びして飾ってくれた。その飾られた場所が仏壇のすぐ真上というのはどうかと思ったが、祖父は満足そうに眺めていたので、まあよかった。
ところが、その満足そうな表情が、実は肖像画を通して見た、今までの人生に向けられていたかのように―――プレゼントした翌朝、祖父は息を引きとった。
なんの前触れもなかったその死の原因は、脳溢血。
もともと高血圧だったから仕方がないと、家族や親戚たちは涙を拭った。
少し若い祖父は、今でも仏壇の真上で、まじめくさった顔を見せている。
水彩に比べると制作速度は落ちたが、風景画や静物画、ときには抽象画にもトライし、油絵の具の乗ったキャンバスは枚数を増やしていった。
《女性アイドル自殺!》
ある朝、登校前に見ていたワイドショーから、そんなショッキングなニュースが飛び込んできた。彼女は何曲ものヒットソングを持ち、ドラマやCM、映画にもよく顔を出していた。
ぼくが驚いたのは、「そんな人気絶頂の人がなぜ?」ということではなかった。
彼女こそ、久しぶりに肖像画を描きたくなったぼくが選んだモデルで、雑誌のグラビアを見ながら筆を走らせ、ちょうど昨日完成させたところだったのだ。
なんなんだ、この偶然!
といった驚きはすぐに消え去り、かわって、彼女の肖像画制作は、祖父のそれ以来―――。という記憶が頭をもたげた。
肖像画と、死。
この二つがいかなる関係性を持っているのかは、女性アイドルと祖父の件に加え、次々と脳裡に甦ってきた、クラちゃんの事件、由実ちゃんの事故―――それら過去の悲劇が、自ずと答えを導きだした。
ぼくが肖像画(似顔絵)を描くと、モデルになったその人は、ほどなくして―――死ぬ。
そんな能力がぼくに備わっているはずなどないっ!
しかもそんな非現実的なっ!
自分をそう納得させるため、「まさか!」を脳内で反芻しつつ、新たな肖像画にとりかかった。
モデルに決めたのは、
無作為に……と思いながらも、柔道部に所属し、がさつで暴力的で、ぼくのみならず、クラス中から嫌われている彼を選んだのは、どこかで「非現実の力」を信じていたからか……。
彼をキャンバス越しにじっと座らせて、などということは到底不可能だったので、林間学校へいったときのスナップ写真を利用した。不幸にも一緒のオリエンテーリンググループになってしまい、その道中に撮影された一枚だ。
絵を描くことは好きだが、その対象が嫌いなものや不愉快な人物であったりすると、楽しさは死滅してしまう……。そんなあたり前のことに、このときぼくは気づいた。
検証結果は、完成した翌日、
《柔道部の中学生、電車に飛び込み死亡》
という、朝刊の小さな見出しでもたらされた。
自殺理由は不明。友人関係に悩んでいるようすや、家族間のトラブルなどは一切なかった模様。―――記事はそう簡潔に結ばれていた。
家族間のトラブルは知らない。が、友人関係にしろクラブの上下関係にしろ、彼がそんなことによって自殺の道を選ぶほど悩む人間には、少なくとも思えなかった。
自分が採ってしまった行為に、後悔の念がわいた。しかしそれ以上にわいたのは―――自分に対する怖ろしさ。
非現実的な力は、限りなく100パーセントに近い確率でぼくに存在する。
でもそんな悪魔が持つような能力、ほしくはないっ!
だから残りのわずか0・数パーセントに賭けたい思いは、捨てきれなかった。
―――祈るような気持ちで、近所で飼われているインコを描いた。
飼い主のおばさんには非常に申し訳ないが、もしものときは人間よりいいか、と考えたからだった。(その考え自体が、すでに悪魔のものかもしれない……)
『動物の姿を描く』という課題が出されたという嘘を、おばさんは疑いもせず、長年大切に飼っているセキセイインコの写真を撮らせてくれた。おばさんの手に乗ったインコの、鮮やかな黄色の頭部と薄緑の胴体を見て、パステル画にしようと決めた。
完成した翌日、ぼくはインコのもとへ走った。縁側の軒にいつもぶらさがっている籠の中に、鮮やかな姿態はなかった。
夕べ、籠を室内へしまおうとしたところ、必ず閉めているはずの籠のとびらが開いており、庭の土の上にインコの死骸を発見した―――。
憔悴しきった顔のおばさんは、そう話した。
死骸の状態から、カラスか野良猫に襲われたんじゃないか……。
とても聞きとりづらいか細い声で、そうもつけ加えた。
「とびらが開いてるなんて、今まで一度もなかったのに……一度だってなかったの……」
焦点の定まらない目でくり返すかすれた声が、ぼくの能力を確固たるものとした。
人間や動物にかかわらず、また男女の別なく、ぼくが描いた肖像画のモデルは―――必ず死ぬ。
それはクレパス画であっても、水彩画、油彩画、鉛筆画、パステル画……なんであっても。
見送りに門まで出てくれたおばさんの、生きがいを失ってしまった沈んだ表情が、
「今後一切、肖像画は描かない!」
そうぼくに決心させた。
しかし ―――。
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