第2話
【1・七人目】
「えっと、まずはじめに……前年度、二年F組に在籍していた
張りがあるとはとてもいえない声に、教室内の空気が微妙に揺れた。でも、驚きの音を発する者はいない。
「冬休み中にも、みんなのもとにメール配信されたとは思うけど、改めて、戸隠さんの姿を見かけた人は―――もちろん、彼女の顔や背かっこうを知らない人もいるとは思うけど、すぐ学校に連絡してください。また、この中で悩み事があったり、体調不良を覚える人は、遠慮しないで、すみやかに保健室に併設されているカウンセリングコーナーにいくこと。無論、プライバシーは完全重視されているし―――」
穏やかな春の日には似つかわしくない担任の伝達事項で、三年の新学期は始まった。
去年からさんざん聞かされ続けているその同じ内容。ただ変わるのは、生徒の名だけ。教室内に新鮮な驚きがわかないのは当然。そして担任の声も、どこか無機質で機械的であることは否めない。
戸隠乃里。―――二年のとき同じクラスだった彼女は、三学期の終わりごろから姿を消した。細身で明るい感じ。たしか体操部……。
七人目か……。
伝え終えた担任の、生気が薄いという表現しか見あたらない表情には、そう書かれているように思えた。そしてそこにつく二つの目が、ぼくを一瞥したようにも……。
入学した当時、彼女のようすは今とは真逆だった。
担任ではなかったものの、彼女はぼくのクラスの《現国》を担当していた。血色のいい肌と溌剌とした大きな声、それに加えた軽い身のこなしが、優に三〇すぎであろう彼女を大学出たての二〇代に見せていた。決して美人ではないが、笑いのセンスがあり、生徒と友人のように接する彼女に、女性としての魅力を感じない者は少なかったはずだ。
そんな魅力が彼女から消え去っていったのは、それから一年も経たずしてだった。そしてぼくのクラスの担任になった昨年度からは、ますますのくすみを全身にまとわせていった。そのくすみは、いくら化粧をほどこし、着飾ったとしても、覆い隠せる程度のものではなかった。
無理もない。
なにしろ、自分の大切な人を失い、さらには、はじめて担任を持ったクラスから次々と行方不明者を出しているのだ。しかも、それらの事件の原因と目されている人間―――「ぼく」がいるクラスを、前年度に引き続き、また担任することになったのでもある。
*
この連続失踪事件が始まったのは、去年の五月からだった。
あとあとわかったことだが、当初、失踪生徒の家族と学校、そして警察は、誘拐事件と考えたらしい。しかし、身代金の要求や、犯人からの犯行声明などはいつまで経ってもなく、失踪生徒の亡骸なども発見にはいたらなかった。
そんな中、六月にひとり、七月にまたひとりと行方不明者が続き、とうとう四人目が出た時点で、学校側はぼくたちにこの事件を公表した。
それというのも―――、
実は彼らは、自らの意思で姿を隠しているのではないか?
一種の集団失踪なのではないか?
果ては、集団自殺の危険性を孕んでいるのではないか!?
―――という疑いにいきあたったからのようだ。
とすれば、これ以上の失踪者を出さないためにも、学校側は生徒たちにこの考えを知らせた上で、それまでは設置されていなかったカウンセリングコーナーを開き、専門のカウンセラーも招聘し、事態の終息を願うことにしたのだった。
ところがそんな努力もむなしく、失踪者は続き、今度の戸隠乃里で七名を数えた。
しかも不思議と、その中の六名がぼくと同じクラスの生徒だった。その事実が、ぼく「
残るひとりは当時の一年生だったが、失踪した六名とのつながりはわかっていないようだ。
*
「居海と同じクラスになるとやばい」
そんな噂は、学校が失踪者公表に踏みきる前からすでにあった。
なるべく顔は見せまい!
そう誓ったように、ぼくの前でだけ、クラスのみんなの顔はいつも伏せられていた。たまになにかの拍子で目が合ってしまうと、すぐそらし、一層うつむきを深くした。
こちらから話しかければ、一応の答えは誰からも返ってきた。しかしその声には、不安や怯えの色をなんとか隠そうとする努力がありありと見えた。もちろん、視線はぼくに向けられることはなく、うつむいた顔もそのまま。そして会話を続かせようという意欲は、誰からも感じることはなかった。
ぼくを避けていることは明らかだった。
その要因は、ぼくの存在が―――不気味だから。
そんなぼくが、強いて彼らと交流を持とうとすれば、向うははなはだ迷惑だろう。そして、迷惑がられていることを知りながら近寄っていくほど、ぼくは無神経ではない。第一こっちの気持ちだってよくはない。だいたいそんな状態で、交流など持てるはずがない。
ぼくはクラスで孤立を余儀なくされた。……当然のことながら。
それは三年生になった今年度も続くはずだ。今日、ぼくが教室に入ってきたときに見せたみんなの驚愕の顔、そしてそれが一瞬後、そろって伏せられたことを考えれば、たやすく想像がつく。
*
黒板に板書された時間割を生徒手帳の最終ページに写し終わると、窓から流れ込んできた暖かく柔らかな微風が頬をなでた。その心地よさに誘われ窓外に目を向けた。
誰も出てきてはいない校庭の隅に、八分咲きを披露している数本の桜。
桜って……花開いたときのほうが寂しく感じるよな。……けど、咲かなかったら咲かなかったで……寂しいよな。
とりとめもなく、ぼんやりとそんなことを考えていたら、
「じゃあ、最前列の六人、新しい教科書の運搬頼むわ」
覇気のない担任の指示が割り込んできた。
教壇に戻した視界の隅に、緊張の走った数名の顔が飛び込んだ。当然の反応。ぼくの席は校庭側の一番前なのだから。
教室には六列の机が並び、二列ごと、ほとんどくっつくように配置されている。
この学校は男女の別なく、名前順に出席番号がふられる。そしてその番号が席順になり、一番の隣が二番、一番の後ろが三番、そのまた隣が四番と続いていく。だから隣が同性になることも異性になることもある。
意外と珍しい決まりかもしれないが、これは男女の差別化をなくす、という目的からと聞いたような記憶があった。べつに男女別々の並びでも、差別だなどと思う人はいないと思うのだが……。
とにかく、みんな隣が異性で、しかもカッコいい男子、可愛い女子になることを願っているのはいうまでもない。が、出席番号が早い者のたちの一番の願いは、隣にぼくがこないことだろう。
一年間隣席にいれば、そうでない席にいるより、遥かにぼくと接触してしまう確率は高まる。その接触が、たとえ些細なことでも、ぼくの機嫌を損ねるようなことにつながったとしたら……。そんな恐れを抱く毎日が続けば、その生徒の精神は瞬く間に疲弊し、まともな学園生活はおろか、正常な社会生活を送ることも危うくなってくるのでは……。
こっちには関係ないことだったが、多少心配した。
しかし幸いなことに、それは杞憂に終わった。
今、無表情で隣の席から立ちあがったのは、二年生のときも同じクラス、しかもその一年間も隣席ですごした、
このクラスには「あ」から始まる苗字の者がいなかったので、一番になったぼくが、校庭に面する窓側の最前になった。そしてぼくの次だった彼女が横に。
彼女だけがクラスで唯一、ぼくの前でうつむくことなどはせず、偶然目が合ったとしても、すぐにそらすというようなこともしない生徒だった。逆に「なに見てるの?」と挑むような眼差しを感じることもあり、そんなときはこっちからそらしてしまうほどだった。
ぼくに対して、怯えの色や怖れを抱いているような素ぶりをまったく見せない彼女は、ほかの生徒たちと態度を異にするためか、ぼく同様、クラスでは孤立していた。
クラブに入っているようすもない彼女は、授業が終わると、ひとりですぐ帰っていった。昼休みなども、まず教室にいることはなく、屋上、校舎の裏の花壇、図書室の隅……決まって人気の少ないところにいた。やはりひとりきりだった。同じく友人と呼べるものがいないぼくも、似たような時間潰しをしていたので知っている。
そんな彼女の行動はもしかすると、自ら孤立するために張った、他者に対するバリアーなのかも……。
その孤立願望が、いかなる理由からきているものなのかは想像もつかなかったが、そう思えて仕方なかった。
同時にそこからは、
“学園生活はおろか、人生などになんの楽しみも見出すつもりはない”
―――そんな印象を受けもした。
それゆえに、孤立している者同士の連帯感を覚えたこともあったが、話しかけるようなことは今まで一度もなかった。もちろん彼女のほうからも。
それでも、密かに彼女が気になっていた。
それは、彼女がまずまずの容姿だったからでも、ほかの生徒とは異質の態度をとる存在だったからでもない。
二年生になってはじめて知った彼女の名前が、
「石井由実」
だったから。―――ただそれだけが理由。
あのユミちゃんが、今横にいるクラスメイトだったら……。
おそらくぼくの初恋の相手であるあのユミちゃんが、クラス内で孤立しているこの石井由実だったら……。
彼女が横の席で小さなため息をついたり、長い髪の毛をかきあげたりするのを感じるたび、ぼくはそう願っていた。その願いは、限りなく祈りに近いものでもあった。
しかしそうであることは、一パーセント、いや、万に一つもない。
幼稚園のころ、同じ組にいたユミちゃん。
運動がよくできたユミちゃん。
園の中で一番可愛かったユミちゃん。
そして、今横にいる女子生徒と同姓同名のユミちゃん。
―――彼女はもう、この世にはいないのだから。
―――死んでしまったのだから。
―――ぼくが殺してしまったのだから……。
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