一点の賭け

tonop

第1話

     【プロローグ】


 とりとめもない会話をゆったり続けていた空間に、しばしの間が生まれたあと―――。

「お姉ちゃん……友だち、いっぱいつくってね」

 窓からそそぎ込む早春の陽射し。それを眩しげに眺めていた彼女の視線は、その微かな声で落ちた。

「ん?」

 横たわった細い躰に訊き返す。

「友だち、いっぱいつくってね」

 精一杯笑顔をつくっているのがわかる。

「うん」

 柔らかく返し、いつの間にかさがっていたタオルケットを、彼女はかけ直してやった。 

 なぜいきなりそんなことを……。

 微細な不審が彼女の頭に浮いた。が、意に反し素直にそう答えたのは、力ない声に感じた寂寥からだった。

 再びパイプ椅子に座り直した彼女の目に、ふいに、ハンガーラックにかけられた真新しい制服が入る。

 この子の制服。まだ一度も袖を通したことのない―――。

 その事実が、今まで幾度も彼女の脳裏に浮かんだ言葉をくり返させた。

 どうして……。

 なぜ……。

 私だけ……。

 そのつぶやきは同時に、なんの罪もない彼女に懺悔の思いも抱かせる。

 私だけ……ごめん……。

 だが、

「でも、あんただってさっ!」

 空気を変えるように、力任せに彼女はいった。―――この子にそんな心情を読みとらせてはいけない。

 けれども、いってから後悔した。それに続く言葉を用意していなかった。

 あんただって……どうなるというのだ―――。

 惰性で口をついた自分に、彼女は情けなさよりも怒りを覚えていた。

 そんな姉に向ける笑顔からの反応はしかし―――。

 五感が異変を感じとったのか、後続の言葉が見つからないまま、

「あんただってさ!」

 彼女は一層語調に力を込め、顔に顔を寄せた。

 反応はやはり―――。

 眠った、だけよね……。

 でも、こんなに早く……。

 推測が彼女の中でぶつかった。

 それに構うことなく、笑みはそのままで枕の上にあった。微動することもせず。

「うそよね……」

 出た声は、自分のものには感じられず、それ以前に、出した意識も彼女にありはしなかった。

 凝視する先の表情は、やはり動く気配を微塵も見せない。

 彼女はベッド上の痩身を揺すった。

 医療器具がまとわりついている躰にしてはいけない。―――そんな頭は、激しい焦燥が吹き飛ばしていた。

 が、応答はやはり……。

 揺する手に意図せず力が込められて……。

「やめてよ……やめてよ……やめてよぉーっ!」

 絶叫した彼女は、枕もとのナースコールボタンを狂ったように押した。

《はい。どうしました?》

 応答した飾り気のない事務的な声が、映画やドラマ―――虚構の世界の出来事でないことを、無慈悲にも彼女に突きつけた。

 真っ白な室内に順応するように、彼女の思考も、瞬く間に色を失っていった。

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