第44話 来訪
マルディアの朝、ギルドハウスの居間の中で、ムーン・ディライトは楽しそうに笑った。
「楽しみだな。深緑の夜明けの新人研究員だっけ? どんな子が来るんだ?」
動きやすい服装をした獣人の少年の傍にいるフブキ・リベアートがため息を吐き出す。
「はぁ。相変わらずですね。遊びに行くわけではないんですよ。我々とチカラを合わせて、レッドグリフォンを討伐する研修です。事前資料を読んだ限りでは、私が後方支援に回っても五分以内に討伐可能なようですが……」
「事前資料って……フブキ、お前、どんなヤツが来るのか知ってるのかよ! 教えろよ。俺はギルドマスターだ!」
興味津々な表情のムーンの隣で、フブキが目を伏せる。
「根拠がよく分かりません」
ちょうどその時、扉が開き、黄緑のローブのフードを目深にかぶり顔を隠したホレイシア・ダイソンが姿を現す。
「はぁ。その人、初めて会う人なんだよね? 錬金術の研究者だから、すごくマジメそう」
「ホレイシア。お前、今からそうやって顔隠してるのかよ」とムーンが幼馴染の彼女に視線を向けた。
「このクエストの間は、こうするつもり」
「そうか」と短く答えたその時、呼び鈴が鳴り響く。
「来たようですね」
瞳を開けたフブキが扉を開け、玄関へ向かう。そんな彼女の後姿をムーンとホレイシアは追いかけた。
「フブキ。待ってくれ。俺が開ける」
小走りでフブキに追いついたムーンに呼び止められ、ヘルメス族の少女が足を止める。
「どうぞ」と彼女が答えると、ムーンは顔を明るくして、目の前に見えた玄関の扉の前に立った。その間に、ホレイシアがフブキの右隣に並ぶ。
「待ってたぞ。俺はギルドマスターの……」
ゆっくりと扉を開けながら、その先で佇む人物に声をかけたムーンの顔色が青く染まった。
そこにいたのは、あの広場で出会った黒衣の少女。灰色の後ろ髪を左右二つに分けて結んだ彼女の側頭部には、半円を描くように曲がった山羊のツノが生えている。
上げた前髪を黒猫のカチューシャで止めた彼女は、出迎えた獣人の少年の顔をボーっと見つめていた。
「こっ、コイツは……」と怯えるムーンの背後で、ホレイシアが首を傾げる。
「ムーン。どうかした?」
「ホレイシア、フブキ。どうしたらいいんだ? この前、第六地区の広場で会った幽霊の姉ちゃんが、今ここに……」
顔を後ろに向けたムーンの口から語られた事実に、ホレイシアの体が小刻みに揺れる。
「ウソだよね?」
「間違いない。こいつはこの前、第六地区の広場で歌ってたミカだ!」
再び顔を前に向け、目の前にいる少女に対し右手の人差し指をビシっと立てる。そんな獣人の少年の前で、訪問者が首を横に振り、両手を合わせた。
「驚かせてしまい、申し訳ございません。錬金術研究機関、深緑の夜明け新人研究員、アストラル・ガスティールです」
「アレ? その声、この前聞いたのと違うぞ。ってことは別人か?」
ムーンが目をパチクリと動かし、アストラルが彼と視線を合わせる。
「いいえ。違います。あの時は私にしか救えない者の願いを叶えるため、この体を貸していました」
「体を貸す? もしかして、この子……」
玄関先でアストラルの話を聞いていたホレイシアが駆け足でムーンの傍に寄り、訪問者の姿をジッと観察した。数秒ほどで何かに気づいたホレイシアが両手を叩く。
「特徴的なツノと黒衣。やっぱり、この子、ハーデス族だ。特徴とか聞かなかった私も悪いけど、ムーン、そういうことは早く言ってよ。無駄に怖がっちゃったじゃない!」
「なんか悪いことしたっぽいけど、ハーデス族ってなんだっけ?」
体を後方に向けたムーンの頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。すると、フブキが深く息を吐き出しながら、ムーンの元へ歩み寄った。
「冥界からやってきたとされる異種族です。黒い衣装に身を纏い、特徴的なツノを持つその種族は、死者の魂を冥界へと誘う異能力者として世間では知られています。それだけを聞けば、恐ろしい存在に見えますが、霊と深い関係を築き、未練を果たした状態で魂を冥界に導く手伝いができる。簡単に言えば、そんな種族です」
「つまり、この子は、第六地区の広場で最後に歌いたいっていうミカの願いを叶えるために、体を貸したんだよ」
フブキの説明を引き継ぐようにホレイシアが真実を解き明かす。その真相を聞いたムーンは感動して目を輝かせた。
「マジかぁ。アストラル、お前、いいヤツなんだな!」
「私は、天から授かりしこの能力を使い、私にしか救えない人たちを救っただけです」
褒められても、アストラルは全く照れた素振りを見せない。
「えっと、俺はムーン・ディライト。セレーネ・ステップのギルドマスターだ! よろしくな!」
仕切りなおしたムーンがアストラルに笑顔を向け、名を明かす。
ムーンに続けて、ホレイシアがローブのフードで顔を隠した状態で頭を下げる。
「ホレイシア・ダイソンです。よろしくお願いします」
「フブキ・リベアートです。それにしても、人の縁というモノは興味深いものですね。まさか、こういう形であの人の娘に会えるとは思いませんでした」
アストラルの顔をジッと見つめていたフブキの隣でホレイシアが首を傾げる。
「その言葉、この前も言ってたよね? もしかして、アストラルの両親と知り合いなの?」
「アストラルのお父さんと何度かお会いしたことがあります。今週のルナディアの朝、応接室で書類に目を通した私は懐かしいガスティールという名字を見つけ、微笑んでいたんです。何度か大会で剣を交えたことがあるあの人の口から彼女の名前を聞きましたし、間違いないと思いました。アストラルはあの人の娘なのだと」
「ウソ。お父さんの……知り合い?」
近くでフブキの話を耳にしたアストラルは表情を強張らせた。怯えるように身を小刻みに震わせた彼女の右肩を、ムーンが優しく叩く。
「アストラル、大丈夫か?」
「その反応、どうやら私のことをお父さんから聞いていなかったようですね? 安心してください。あの人の連絡先を私は知りません」
ハーデス族の少女に対して、フブキが優しく微笑む。
「……ホントに知らないんですか? お父さんの連絡先」
「もちろん」とフブキが答えると、アストラルはホッとしたような表情をみせた。
「良かった。大嫌いなお父さんに私の近況を報告するような人だったら、どうしようって思っていました」
「アストラル、お前、父ちゃんのこと嫌いなのか?」
不意に浮かんだ疑問をムーンが口にすると、ホレイシアが慌てて両手を左右に振った。
「ちょっと、ムーン。あんまりプライベートなことに首を突っ込まない方が……」
そんな助言を遮るように、アストラルはハッキリと答えた。
「大嫌いですよ。お父さんは私の夢を応援してくれなかったから。錬金術研究の仕事だって、お父さんが勝手に決めたんです。確かに研究は楽しいけれど、私はまだ夢を諦めたくない。娘のことなんかどうでもいいって考えてる最低な父親にだけは負けたくありません」
本音を曝け出すアストラルにムーンとホレイシアは言葉を失った。不穏な空気を掻き消すように、フブキが両手を叩く。
「話はここまでにして、アストラル。早く中に入ってください」
フブキに促されたアストラルが、玄関の中へと足を踏み入れる。玄関先にクエストの参加者たちが集まると、フブキは体を玄関の扉の前へ飛ばし、鍵をかけた。その扉に背を向けたヘルメス族の少女が、ムーンたちに語り掛ける。
「さて、本日の研修内容は、レッドグリフォン討伐クエストです。このままテツノオ村へ転移して、我々とチカラを合わせて、レッドグリフォンを倒しましょう。尚、私はホレイシアと共に戦闘をサポートしますので、倒すのはマスターとアストラルに任せます」
「マジかぁ。フブキも一緒に戦うのかと思ったぞ!」と呟くムーンの近くで、アストラルが体を小刻みに揺らす。
「えっ、私が攻撃担当? ホレイシアと一緒にサポート役に徹したらダメ?」
「ダメです。研究者には、自らの手で素材を採取できるような戦闘力も必要です。今回の研修はそういう経験を積むために行います」
「……ってことだ。アストラル。よろしくな!」
明るく笑うムーンがアストラルに右手を差し出す。その手を優しく掴んだアストラルは溜息を吐き出した。
「はぁ。分かりました」とハーデス族の少女は覚悟を決めたように強く頷いた。
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