第40話 歌声
一年中温暖な気候が続く大都市、サンヒートジェルマン。その街の第七地区にある赤い屋根の住宅の居間に、ムーンたちは一瞬で戻ってきた。
木目調の床の上で、ムーンが両手を天井に伸ばす。
「うーん。無事に終わったな。これでクエスト完了だ」
「いいえ。マスター。まだ終わりではありません。これからホレイシアが採取した素材をクエスト受付センターに提出したら終わりです。全く、まだ流れを理解していないんですか?」
フブキが冷たい視線をムーンにぶつけると、ムーンは笑みを浮かべる。
「いや、終わっただろ? 俺の仕事はな。ってことで、ホレイシア。後のことは頼んだ!」
「うん。任せて。すぐに行ってくるから!」
ムーンの隣で微笑んだホレイシアが、彼に背を向け、一歩を踏み出す。その後ろ姿を、フブキが呼び止めた。
「ホレイシア。ちょっと待ってください。私も一緒に行きます。少し相談したいこともありますし……」
「えっ。フブキも来るの? でも、これから本職の仕事があるんじゃなかったっけ?」
驚いたホレイシアが足を止め、視線を背後にいるフブキに向ける。それに対して、フブキは首を縦に動かす。
「大丈夫です。瞬間移動を使えば、一瞬で出勤できますから」
「そういえば、そうだったね」と呟くホレイシアの近くで、ムーンが元気よく右手を挙げる。
「おーい、フブキ。俺も一緒に……」
「もちろんダメです」
フブキがムーンの声を遮る。拒絶され、ショックを受けたムーンの体が膝から崩れ落ちる。
「おいおい。そこは一緒に行く流れだろ? どうしてだよ。まさか、フブキは俺のことが嫌いなのか? フブキは俺と一緒に出掛けてくれないし、名前も呼んでくれない。俺だってホレイシアみたいにフブキと仲良くなりたいぞ!」
頭を抱える幼馴染をジッと見ていたホレイシアが、フブキに声をかける。
「ねぇ、フブキ。やっぱり三人で出かけない? 何の相談かは知らないけど、ムーンと話したら、いい解決方法が見つかるかもしれないよ?」
優しいホレイシアの声を聴いたムーンの表情が明るくなる。それと同時に、フブキは溜息を吐き出した。
「はぁ。言い方が悪かったようです。マスターに頼みたいことがあります。第六地区の鉱石店でコレを買ってきてください」
フブキが右手の薬指を立て、空気を二回叩く。指先から一枚の紙と水色の小銭入れが飛び出し、それを掴んだフブキがムーンに差し出す。
「こちらが買い物メモです。お金はこちらをお使いください。ただし、無駄にお金を消費したら、どうなるか分かっていますね?」
フブキがムーンに怖い顔を向けると、彼は元気よく立ち上がった。
「おお、フブキが俺を頼ってくれた! すごく嬉しいぞ! よーし。待ってろ。フブキ。頼れる男だってとこ見せてやるからな!」
財布と買い物メモを握りしめ、元気よくギルドハウスから出て行くバカな少年の後姿を、フブキはジッと見つめていた。
ギルドハウスを出発してから数十分、歩道を前進し、目的地へと急ぐムーンは熱い息を吐き出した。
「やっぱり、暑いなぁ」と呟く彼が、首を覆う汗で湿った獣の毛を掻く。そんな獣人の少年を黒衣の少女が追い越した。
「天から授かりしこの能力を使い、私は私にしか救えない人たちを救います!」
「ん? なんだ?」
右方から聞こえてきた少女の声を、ムーン・ディライトは聞き逃さなかった。ボソっと呟いた灰色の髪の少女が、黒く縦に長い長方形のケースを背負い、歩道の傍にある広場の中心に立つ。そのまま慣れた手付きでケースを開け、中に入ったギターを取り出し、ピンク色のピックで弦を弾く。
「この風はどこから吹くんだろう? この音は誰に届くのだろう? 未知のセカイで――生きている――」と歌い始めた瞬間、ムーンの足が止まった。優しい歌声が広場に響き、通りすがる人々が導かれるように少女の元へ集まっていく。
「この歌声、懐かしい」
「帰ってきたんだ」
「もう一度、この歌が聴けるなんて……」
様々な声が交錯する群衆の中で、少女の歌を聴いていたムーンは、人々の隙間から歌い手の彼女の顔を見た。
側頭部に半円を描くように曲がった山羊のツノを生やし、上げた前髪は黒猫のカチューシャで止まっている。
灰色の後ろ髪を左右二つに分けて結んだ髪型の彼女は、楽しそうな表情で歌っていた。
弾き語りは一曲だけ。三分ほどで終わり、歌い手の少女が観客たちに一礼する。
「本日はありがとうございました!」と頭を下げた少女が、ギターをケースに仕舞うと、群衆の中で少年の声が響く。
「ちょっと待った」の声で彼女が動きを止めた直後、涙を流す観客たちを掻き分け、ムーンが顔を出す。
「姉ちゃんの歌、すごく良かったぞ。もしかして、この広場でよく歌ってたのか?」
獣人の少年が笑顔で問いかけると、歌い手の彼女が頷く。
「……ここは私の思い出の広場です。あなたが言うように、二週間前まで毎日のようにここで歌っていました」
「おお、そうだったんだな。えっと、名前なんだっけ?」
「ミカです」と少女が名を明かすと、獣人の少年は目を輝かせた。
「いい名前だ。俺はムーン・ディライトだ。今度、ホレイシアやフブキも連れてくるからさ。また歌ってくれよ」
その要望を聞いた瞬間、オーキドは表情を曇らせた。
「……申し訳ないけれど、あれが私の最後の曲です」
「えっと、最後の曲ってどういう意味だっけ?」
理解できずにとぼけるムーンに対して、彼女が静かに首を縦に動かした。
「そのままの意味ですよ。今日、私は最後の曲を歌いに来ました。明日になったら、遠くの国へ旅立たないといけないので」
「ああ、アレか。海外でプロデビューするんだ。歌、すごく上手いもんなぁ。納得だ」
腕を組み納得の表情を浮かべる少年の顔を、少女は悲しそうな顔で見つめていた。
「そうだったら良かったんだけど、あの国へ行ったら、今日みたいに歌えるかどうかも分からないらしいんですよ。でも、絶対に行かないといけなくて……」
「ごめん、全然分かんねぇ」
涙を流す少女の前で、ムーンが両手を合わせる。その直後、彼女は目を丸くした。
「俺、バカだから、どうすればいいのか分かんねぇ。でもなぁ。また歌えばいいんじゃないか? 歌はいつでもどこでも歌えるものだろ?」
獣人の少年の声に、少女の顔が一瞬明るくなる。そうして、一筋の涙を流した少女は、ギターケースを背負い、立ち上がった。
「もう少し早く、キミと出会いたかった」と呟いた彼女は、ムーンに背を向け、一歩を踏み出す。そんな歌い手の彼女の後姿を見送ったムーンの左方から黄緑のローブ姿の少女が近づき、彼の左肩を軽く叩く。
「ねぇ、ムーン。こんなとこで何してるの?」
幼馴染の声に反応したムーンが顔を上げ、視線を左に向ける。その先には、黄緑のローブのフードを目深に被り、顔を隠したホレイシアがいた。
「ホレイシア、なんでここにいるんだ?」
「フブキの相談事やクエストの後処理が終わったからね。フブキに言われて様子を見にきたんだよ」
「そうだったんだな」と口にしたムーンの隣で、ホレイシアが首を左右に動かし、涙を流しながら広場から去っていく人々を認識する。そんな彼らのことが気になったホレイシアは首を捻った。
「ムーン。この広場で何かあった?」
「ああ、ちょっと前まで姉ちゃんが弾き語りしてたんだ。すごく優しい歌だったぞ。でも、ここで歌ってた姉ちゃんは、明日になったら遠くの国に行くらしいんだ。だから、明日、ここに来てもミカの歌は聞けねぇ。ホレイシアやフブキにも聞かせてやりたかった」
「えっ、ミカ?」
寂しい顔をしたムーンの隣で、ホレイシアが表情を曇らせた。
「ホレイシア、どうかしたか?」とムーンが彼女の顔を覗き込む。
「……ムーン。落ち着いて聞いて。その人は、一週間前に亡くなったんだよ。放火事件でね」
獣人の少年の両肩をホレイシアが優しく掴む。向き合うように立ったムーンは、目を見開いた。
「マジかよ!」
「うん。この第六地区の広場で、毎日のように歌い、歌手を夢見ていたあの子は、一週間前、放火事件に巻き込まれて、命を落としたんだ。まあ、その事件の犯人は捕まったみたいだけどね」
「でも、俺は確かに聞いたんだ」と慌てるムーンの隣で、ホレイシアが体を小刻みに揺らす。
「怖い幽霊のことは忘れて、早く買い物行こうよ。どうせ、まだ買ってないんでしょ?」
「ああ、そうだな」と元気よく答えたムーンは、怯えて彼のシャツの裾を掴んだホレイシアと共に、商店へ向かい歩き始めた。
その日の夜、月明りが窓から差し込む部屋の中で、黒衣の少女は机の上の白紙と向き合った。
側頭部に半円を描くように曲がった山羊のツノを生やした彼女の手には黒い鉛筆が握られている。
嬉しそうに鼻唄を歌う彼女が、白紙に広場で出会った獣人の少年の顔を描く。数分で写真のような人物画を描くと、彼女の頬が緩む。
「ムーン・ディライト。あなたが欲しいです。三日後の新人研修で、あなたを奪ってみせます」
密に宣言した黒衣の少女、アストラル・ガスティールの机の上にあるムーンの人物画の隣には、三日後に行われる深緑の夜明け新人研修の資料が並んでいた。
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