第35話 稽古

 休日出勤で仕事を終わらせたムーン・ディライトは事務所の椅子に腰かけた。その近くで頬から汗を流すペイドンがコップに注がれた冷たい水を飲む。


「ぷはぁ、仕事終わりの水は最高に旨いな!」

「ああ、そうだな」と同意を示すムーンとの距離をペイドンが詰める。

「ムーン、今日はありがとう。もうあがっていいぞ。おかげで仕事が納期までに片付きそうだ」

「うーん。別に残業してもいいんだが……」とムーンが眉を顰めると、事務所のドアが開き、フブキ・リベアートが顔を覗かせた。


「失礼します」とフブキが挨拶をしてから事務所内に足を踏み入れる。そんな彼女と顔を合わせたムーンが目を丸くする。


「フブキ、お前、俺を迎えに来たのか?」

「はい。午後から休みの短時間勤務だとお聞きしましたので」

「ほら、フブキが来てくれたんだから、今日は帰ってもいいぞ。後のことは俺に任せてくれ」

 ムーンの右隣に立ったペイドンが彼の肩を優しく叩く。

「うーん。だったら、そうさせてもらうけど……フブキ、お前に聞きたいことがある。午前中、ホレイシアと何してた?」

 納得したムーンが視線をフブキに向け、首を傾げる。

「そうですね。クエスト受付センターで次のクエストを探した後、お買い物を楽しみました」

 フブキが隠し事をせず素直に答えた。その一方で、ムーンは目を見開き、椅子から勢いよく立ち上がる。


「ふっ、ふたりだけで買い物だと! フブキ、お前、いつの間にホレイシアとそんなに仲良くなったんだ?」

「……別に仲良くなったつもりはありません。ただ一緒に錬金術の素材を買いに行っただけです」

「ああ、いいなぁ。休日出勤じゃなかったら、俺もフブキと一緒に遊べたんだ。羨ましいぞ」

 肩を落とした獣人の少年が、自分の両頬を叩く。

「よし、分かった。フブキ、今から俺と買い物しねぇか? ホレイシアと一緒にできたんだから、俺ともできるはずだ!」


 明るさを取り戻したムーンがフブキに向けて右手を差し出す。だが、フブキはその手を取らず、首を横に振った。


「お断りします。買いたい素材は全て手に入ったので、今日は買い物をする必要はありません。貴重なお金を無駄遣いする強欲な人間のようにはなりたくありませんから」

「あっ、そうだ。そういえば、第七地区に新しい武器屋が開店したんだ。そこに行ってみたいぞ!」

「……私がここに来た理由も聞かないで、勝手に話を進めないでください」

 ため息を吐き出すフブキの前で、ムーンは目を丸くした。

「えっ、俺を迎えに来たんじゃなかったのか?」

「はい。今日はマスターと剣の稽古をしようと思います」

「マジかよ!」とムーンが目を大きく見開く。


「はい。ペイドンさん、一時間だけ場所を貸してください」

 頷いたフブキがムーンの近くにいるペイドンに視線を向ける。

「ああ、分かった。剣の試し斬りを行う場所がある。あそこでやるといい。ムーン、案内しろ」

 ペイドンが首を縦に動かした後で、ムーンは嬉しそうな表情で胸を張った。

「案内なら任せてくれ! フブキ、こっちだ」

 そうして、ムーンはフブキと共に、事務所から退室した。


 事務所と工房の間にある開けた空間の中心に、ふたりが向き合うように立った。

 茶色い土埃が舞う殺風景な場所で、ムーン・ディライトは顔を上げる。


「フブキ、ありがとな。剣の稽古に誘ってくれて。俺、すごく嬉しいぞ! えっと、ルールはどうするんだっけ?」

「一対一の試合形式。制限時間は四十分。異能力の使用無制限。錬金術で召喚できるのは剣と鎧、防具のみ。そして、もしも私に勝つことができれば、ご褒美として買い物に付き合う。これでどうですか?」

「ああ、でも、いいのか? このルール、フブキが勝ってもいいことねぇだろ?」

 フブキが首を傾げるムーンから目を離すことなく、右手の薬指を立てる。

「私には叶えたい願いもありませんから」

 続けて空気を叩き、指先から小槌を召喚した。それが地面に叩きつけられるのと同時に浮かび上がった魔法陣の上に、白熊の騎士が飛び乗る。

 

「フブキ、お前は難しく考えすぎだ。俺と一緒に何かやってみたいことがあったら、それがお前の叶えたい願いなんだ!」


 白い光に包まれたフブキ・リベアートにムーン・ディライトが声をかける。その直後、消え失せた光から、全身を白で統一した鎧姿の白熊の騎士が顔を出す。


「……それでも、私には叶えたい願いがありません」

「まあ、いいや。じゃあ、始めようぜ!」と笑顔で仲間と接するギルドマスターの少年は、右手の薬指を立て、空気を叩いた。その手で召喚された銀色の小槌を地面に叩き込み、魔法陣の上で浮かび上がった銀色の輝く太刀の柄を両手で持ち上げる。


「……白熊の騎士、フブキ・リベアート。参ります」

「セレーネ・ステップ、ギルドマスター、ムーン・ディライト。行くぜ!」


 互いに名を明かし、目を反らすことなく後退する。

 太刀を構えるムーンに対して、フブキは鞘に納められた剣を抜くことなく、右手の薬指を立てている。そのことに気が付いたムーンが首を傾げる。


「フブキ、どうした? 剣、抜かねぇのか?」

「……真剣勝負なのに、他人の心配するなんて、相変わらずですね。どこからでもいいので、かかってきていいですよ?」

「ああ」と短く答えたムーンが、太刀にチカラを込める。


 剣先にオレンジ色の炎が宿ると、ムーンは太刀を斜めに構えながら、間合いを詰める。


 それでもフブキは一歩も動こうとしなかった。ムーンが一歩を踏み込み、眼前に飛び込んできた鎧姿の少女に向け、太刀を斜めに振り下ろす。

 その一瞬でフブキは右手の薬指を立て、空気を叩きながら、相対する剣士の前から姿を消した。炎を灯した太刀が空気を切り裂く。生じた熱が周囲の空気を温かくし、ムーンの顎から汗が落ちた。

 その直後、ムーンの眼前に、白い長刀を握ったフブキの姿が飛び込んでくる。

 片手で振り下ろされる長刀を獣人の少年は太刀を真横に構え受け止めた。

 

 ムーンが横に構えた太刀を前に押し出す。

 その刃が白熊の騎士の腹に食い込むよりも先に、フブキは体を後方に飛ばし、白剣を前後左右に素早く振り下ろし、間合いを取った。

 放たれた斬撃がムーン・ディライトの衣服を切り裂く。同時に彼の右手の甲にじんわりと痛みが広がった。


「この程度のチカラしかないんですか?」


 顔を上空に向けたムーンは大きく目を見開いた。その視線の先には、剣先を白い曇り空に向けて、宙に浮かぶ白熊の騎士の姿がある。


「吹雪乱舞」と唱えた白熊の騎士の周囲を白い結晶が覆いつくす。それと同時に、フブキは柄を握ったままで、体を縦に回転させた。

 そして、ムーン・ディライトの眼前に落下したフブキが、間髪入れずに剣を縦横無尽に振る。

 落下の衝撃で熱せられた空気が冷されていく。


「くっ」と声を漏らしたムーンは放たれる連撃を太刀で振り払うため、再び柄にチカラを込めた。

 すると、太刀の剣先に灯ったオレンジ色の炎が閃光を放つ。


「この一撃で決める!」

 チカラ強い声を響かせたムーンが、太刀を斜めに構え、右斜めに振り下ろす。オレンジ色の斬撃が、フブキの瞳に映り、彼女は咄嗟に体をムーンの後方に飛ばし、彼の背中を斬りつけた。


「凄まじい火力ですが……隙だらけです」


 後方から声をかけられた獣人の少年の背中に衝撃が走り、彼は膝から崩れ落ちた。

 長刀を鞘に納めたフブキが、白い息を吐き出し、武装を解除する。

 その後で、ムーンは笑いながら、体を起こした。


「やっぱり、フブキは強いな。勝てる気がしねぇぞ!」

「まあ、あの一撃が当たっていたら、負けていたかもしれません」

「ああ、楽しかったな。剣を交えて見て、フブキのことが分かった気がするぞ!」

 獣人の少年の声に対して、フブキは瞳を閉じながら彼に背を向けた。

「……全く、この程度のことで私のことを理解できるなんて、頭の中がお花畑のようですね? さて、マスター。次はクエスト受付センターでやってみたいクエストを選らんできてください。今夜、会議を行います!」


 突然のことにムーンは驚き、頭を抱えた。


「マジかよ! 堅苦しい会議、苦手なんだよなぁ」

「来週行うクエストを様々な観点からみんなで考える。簡単な内容です」

 その捕捉説明を聞いたムーンは表情を明るくさせた。

「ああ、それなら大丈夫そうだ!」

「相変わらず、単純ですね」とフブキは苦笑いを浮かべた。

 その横顔は、どこか楽しそうだとムーンは思った。

 


 

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