第6章
第32話 月光
「はぁ。何してるんだろう? どうして、あの叫びが胸に響くの?」
そう呟いたヘルメス族の少女が、彷徨い歩く。そこは人通りが多い街中のはずなのに、フブキ・リベアートは灯りの見えない暗い洞窟の中を歩いているような気がしていた。
フブキ・リベアートにとって、それは日常だった。
未知の物質を生成できるという実験器具を求めて迷宮にやってきた人々に、フブキは絶望を与え続ける。
ある時は、冒険者を遭遇したら即死するほど強いモンスターの眼前に飛ばす。
またある時は、通信機器を破壊して、相対する人々を巨大国家と呼ばれるアルケアのどこかに飛ばし、バラバラにする。
いくら相手が助けを求めてきても、フブキ・リベアートはその手を止めない。
自身が放つ術式の効果で震える挑戦者たちを見ても、フブキ・リベアートは何も思わなかった。
そのはずなのに、体の震えは治まらず、これまで日常的に聞いてきた悲痛な叫びも忘れられない。
奇妙な感覚を胸に抱えたフブキは俯きながら、歩みを進める。
「大丈夫。少し疲れてるだけだから。トドメを刺さなかったのは、マスターが止めたからで……」
フブキは、頭の上にギルドマスターの少年の姿を浮かべた。
その瞬間、不意にどこかで聞いた本職の同僚の声が、冷たい少女の頭に響く。
「……おめぇは優しすぎる」
「そんなことない」とフブキは首を左右に振り、同僚の声を否定した。
フブキ・リベアートは、未知の物質を求めてやってきた人々を絶望させてきた。そんな人が優しいわけがない。
そう考えたその時、彼女は前方から少年の声を聴いた。
真っ暗だった視界が開け、あの時、少年に掴まれた少女の左手の甲が熱を帯びる。
そうして、彼女は明るい街中で足を止めた。
「おーい! フブキ、どこだ?」
前方でムーンが青い円筒状のゴミカゴの蓋を開け、仲間の名前を叫んでいる。その姿に思わずクスっと笑ったフブキは、ムーンの元に歩み寄った。
「私のことをネコか何かと勘違いしているようですね?」
「おお、フブキだ。探したぞ!」
ゴミカゴの上に蓋を置いた獣人の少年が仲間と向き合うように立つ。
「マスター、人探しクエストの後処理は?」
「ごめん。フブキ。せっかく頼ってくれたのに、ホレイシアに任せてお前を追いかけた。お前が心配だったからな」
突然、頭を下げたムーンからフブキが無表情で視線を反らす。
「……心配されるほど私は弱くありませんから」
「フブキ、お前、強がりなんだな。バカな俺でも分かる。お前、錬金術を失敗して落ち込んでるんだろ? お前を止めた時、お前の体が震えてたから間違いない!」
自信満々に答えるギルドマスターの少年の声を聴いた瞬間、少女が抱えていたイヤな感覚が吹き飛んでいく。それから彼女は、再びクスっと笑った。
「マスター、半分正解です。もしかしたら、強がっているだけなのかもしれません」
「やった! 五十点だ!」と喜ぶムーンをフブキが冷たい目で見つめる。
「マスター、他に言うことは?」
「フブキ、ありがとう。俺、学校の試験でも五十点取ったことないから嬉しいんだ」
「はぁ。あんなことで悩むなんて、バカバカしい……です」
「ああ、そっちかぁ。もうちょっとで百点取れたんだ。悔しいぞ!」
フブキの声を遮ったムーンが頭を抱える。その姿を見たフブキは首を傾げた。
「マスター?」
「フブキ、ほんとごめん。様子がおかしいところまでは分かってたけど、なんか悩みがあるなんて考えてなかった。そこで五十点も減点されたんだなぁ。すごく悔しいぞ!」
両手を合わせて謝るムーンと顔を合わせたフブキはため息を吐き出した。
「マスター、試験から離れてください」
「まあ、とりあえず、これだけは言わせてくれ。なんか悩みがあるんなら俺に相談しろ。百点満点の答えは分からないけど、一緒に考えてやる。バカな俺だけじゃ不安なら、ホレイシアとも一緒に考えればいい」
ムーン・ディライトがフブキ・リベアートの右肩を優しく叩く。すると、フブキは重たくなった肩をストンと落とした。
「……例えば、ホレイシアが敵の罠に嵌って、遭遇したら即死するくらい強力なモンスターの前に飛ばされたらどうしますか?」
「もちろん助けに行くに決まってるだろ?」
獣人の少年に即答されても、フブキは問い続ける。
「ホレイシアがアルケアのどこかに飛ばされて、連絡が取れなくなっても?」
「当たり前だ。今日だって、どこにいるのか分からないフブキを見つけられたんだ。俺、勘が良いみたいだからさ。ホレイシアがどこにいるのか分からなくても、また会える気がするんだ! まあ、あのホレイシアなら自力でなんとかして、サンヒートジェルマンまで帰ってくると思うけどな」
「……それがマスターの答えなんですね。だったら、目の前にそんなことをしてきた人がいたら、マスターはどうしますか?」
「えっ? そんなヤツがいるのか? どこだ?」
キョロキョロと獣人の少年が周囲を見渡す。そんな姿をフブキは冷めた目で見ていた。
「マスター、ふざけないでください」
「ふざけてないぞ。俺が知ってるフブキはすごく賢くて優しいヤツだ。そんなヤツが、酷いことできるわけねぇだろ?」
「もうお忘れですか? 私はあの強欲な詐欺師たちをこの手で……」
表情を暗くしたヘルメス族の少女の右肩を、獣人の少年が優しく叩く。
「そうだな。流石にアレは、やりすぎだと思うぞ。でもな。フブキ、お前は俺がやめろって言ったら、手を止めただろ? ホントに悪いヤツなら、俺の手を振り解いて、アイツらを殺してたはずだ!」
少年の明るい声を聴いた瞬間、少女が抱える冷たい胸が温かくなっていった。
頭に刻まれた悲痛な叫びも消えていき、フブキ・リベアートがボソっと呟く。
「全く、私はバカですね」
「フブキ、何、言ってんだ?」と仲間の声を聞き逃さなかったムーンが困惑の表情を見せる。その後でフブキはギルドマスターの少年に頭を下げた。
「マスター、ありがとうございました」
「なんかよくわかんないけど、フブキ、安心しろ。今頃、ホレイシアがあの詐欺師たちを手当してるはずだ。お前は誰も殺してない!」
「……バカですか? 情けをかけたら、殺されるかもしれないのに……」
フブキがムーンから視線を反らす。その一方でムーンは首を傾げた。
「何、言ってんだ? 友達を人殺しにしたくないっていうのも理由のひとつだけど、目の前で苦しんでるヤツがいたら見殺しにせず、手を差し伸べる。ホレイシアはそういうヤツだ」
「……それでも、私は友達になるつもりはありません」
冷たい態度を示すフブキの前で、ムーンがため息を吐き出す。
「フブキ、お前、素直じゃないな。ところで、もう一つ伝えたいことがあるんだ」
「伝えたいこと?」とフブキが首を傾げる。それに対して、ムーンは首を縦に動かした。
「ああ、ホレイシアから伝言だ。二時間後、クエスト受付センターに集合だってさ。もちろん、お前と一緒に行ったあそこな」
「了解しました。ところで、マスター。いつまでここにいるんですか? 確か、今日は休日出勤でしたよね? そろそろ行かないと遅刻ですよ?」
安堵したのも束の間、ムーン・ディライトは目を見開き、大声を出した。
「ああ、すっかり忘れてたぞ! フブキ、瞬間移動で刀鍛冶工房まで送ってくれ!」
「くだらないことで私を頼るなんて、百年早いわ」とフブキが冷たい視線をギルドマスターの少年にぶつける。
「やった! いつものフブキに戻ったぞ!」
「まあ、そういう約束だったので……」と口にしたフブキが、ムーンの右肩を右手で触る。
その瞬間、ムーンの体は一瞬にして、本職の刀鍛冶工房に送り込まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます