第31話 白蛇
「兄ちゃん、助けてくれ!」
お屋敷の玄関の中で、体を起こした詐欺師の少年が呟く。
「兄ちゃん?」とムーンが首を傾げる間に、少年は右手の薬指を立て、空気を叩いた。少年の指先から灰色の小槌が落ちるのを視認したフブキは、咄嗟に左手の薬指を立て、宙に魔法陣を記し、落ちていく小槌をそれで弾き飛ばす。
だが、フブキの背後にある玄関の扉が勢いよく開き、黒い長刀を構えた黒いローブの男が玄関に飛び込んできた。突然乱入してきた男は、フブキの背中へ向け、刀を振り下ろすが、その剣は空気を切るだけで、ヘルメス族の少女の背中に切り傷を刻まない。
「兄弟そろってバカなんですね?」
フードをかぶり顔を隠した黒いローブの剣士は、背後から聞こえる少女の声に反応し、振り返った。その視線の先には、フブキ・リベアートが佇んでいる。
「その声、聞き覚えがある。お前だな。俺が仕掛けた盗聴術式を解除したのは!」
「本当にバカですね。あそこまで高度な術式を記せるのに、こんな悪事に手を染めるなんて。ウチのマスターの方が賢いです」
「くそっ、俺たちの借金返済計画を潰しやがって!」
激昂した黒いローブの男が、長刀の柄を強く握り、間合いを詰める。それでもフブキは一歩も動かず、瞳を閉じた。
その剣先が彼女の体を狙い、振り下ろされようとした瞬間、白い雪が黒衣の剣士の体を包み込んだ。
「なっ」と驚く間に、男は強烈な寒気に襲われた。全身の筋肉が震えだし、男は手にしていた剣を床に落とす。
膝から崩れ落ちた男は、歯を食いしばり、前方にいる冷酷な目をした少女を睨みつける。
「全く、バカですね。素直に錬金術で戦えば、こんな想いをしなくて済んだのに……」
ピンと立てた左手の薬指を下唇に触れさせたフブキが、体を小刻みに震わせている黒いローブの男を冷たい目で見下ろす。
「まさか、お前、あの一瞬で術式を……」
「正解です。白紋の討伐者相手に歯が立たなかった相手なら、あの術式を使うだけで戦闘不能に陥ると思いました」
「まっ……まだ……だ!」
瞳に希望を宿した黒騎士が右手の薬指を立てる。だが、その動きをフブキは見逃さない。
一瞬で震える男の眼前に飛んだフブキは、男の右手薬指を自分の左手の薬指で叩いた。
すると、男の指先に冷たい水滴が浮かび上がった。濡れた男の指から熱が奪われ、男の体が小刻みに揺れる。
「炎で体温低下を防ごうとしたようですが、無駄です。それを見逃すほどお人よしではありませんから。それにしても、格上相手に無謀な戦いに挑むなんて……その頭には何が詰まっているんですか? さて、次は弟くんにも……」
冷たい目をしたフブキが、立てた左手の薬指を少年に向ける。だが、クラリスに成り済ましてお屋敷に乗り込んできた少年は、ムーンの目の前で立ち上がった。
その右手には、オレンジの炎が宿った銀の短刀が握られている。
「兄ちゃん!」と叫び、間合いを詰める少年を認識したフブキは、ため息を吐き出し、左手薬指を地面に向け、くるくるとかき混ぜた。
床の上に落ちた白い結晶が風に乗り、ジグザグと地面を這うように動き出す。
それが、一瞬で兄を助けようとする弟の太ももに巻き付く。
少年の右足に巻き付いた冷たい風は、体温を吸収し、白い蛇のような見た目に変化する。
「クソ野郎!」と目の前にいる少女を睨みつけた少年が、手にしている炎の小刀を自分の右太ももに振り下ろした。だが、それでも冷たい白蛇は溶けず、少年の足に焦げた刺し傷が刻まれる。
「無駄です。その程度の炎では、私が生成した白雪蛇は倒せません。さて、次は……」
悪魔のような目をした少女が頬を緩めた瞬間、少年の足に絡まった白蛇の口が開く。氷柱のような牙を光らせた白蛇が、少年の右太ももに噛みつく。
「ぐはっ」と少年は悲鳴を挙げた。全身の鳥肌が立ち、その身を小刻みに震わせた少年の体が動かなくなる。
その間に、少年の左足にも同じ見た目の白蛇が纏わりついた。
「安心してください。毒はありませんから。ただし、適切な処置をしなければ、十五分以内に凍死します。たとえ、ここが温暖な地でも」
そう言いながら、フブキは詐欺師の少年に背を向けた。一方で、黒いローブの男が凍えるような寒さに身を震わせながら、目の前にいる少女に向け右腕を伸ばす。
「や……やめて……くれ……」
救いを求める男の声を耳にしたフブキは身を震わせた。
「助けて!」
「死にたくない」
「いやぁぁ!」
「やめてぇ!」
今まで日常的に聞いてきた言葉が、なぜか頭から離れない。
悲痛な叫びで埋め尽くされた胸が痛む。
それと同時に、体が小刻みに震え始める。
そんな奇妙な感覚に襲われた少女の元へ、獣人の少年が静かに歩み寄る。
それから彼は、震える彼女の右肩を優しく掴む。
「おい、フブキ」
少年の声を耳にしたフブキが「はっ」と息を飲みこんだ。
「その辺にしとけ。やりすぎだ。あとはこいつらを警察に突き出せば終わりだろ?」
少女とは対照的な明るい目をした獣人の少年の声に反応したフブキが、動きを止め、表情を暗くした。
「……私は強欲な人間を許すつもりはありませんから。マスター。あとのことは任せました」
ギルドマスターの少年に伝えたヘルメス族の少女は、一瞬で彼らの前から姿を消した。
「おい、フブキ。どこ行ったんだ?」
お屋敷の玄関の近くで、ムーン・ディライトが周囲を見渡す。だが、どこにもフブキ・リベアートの姿はなかった。そんな彼の元に、玄関の中で一部始終を見ていたホレイシア・ダイソンが歩み寄る。
「ムーン。あとのことは私に任せて! 早くフブキを追いかけた方がいいと思う」
ホレイシアがムーンの右肩を優しく叩く。
「ああ、分かった」と首を縦に振ったムーンが、お屋敷を飛び出した。
その場に残ったホレイシアは、深く息を吐き出し、体を震わせて座り込む少年との距離を詰めた。
「さむ……い……た……た……すけて……」
近くで震える少年の声を聴いたホレイシアは、冷たくなった彼の左手を優しく掴んだ。
「大丈夫」と元気づけるハーフエルフの少女は、少年から手を離し、自分の右手の薬指を立てた。
「まずは、両足首に纏わりついてる白蛇を駆除しないと……」
黄緑色のローブを目深に被り、顔を隠す少女が、彼が握っている銀の小刀に視線を向ける。その小刀の先端には、小さくなったオレンジ色の炎が宿っていた。
「ごめん。その小刀、ちょっと見せて!」
冷たい少年の右手首を優しく掴んだホレイシアが、左手で小刀の刀身に触れる。それから、オレンジの炎に左手をかざした彼女は、頬を緩めた。
「やっぱり、この小刀、ロイドンが塗られてる。だから、常温で発火したんだ。炎の温度は大体五十度くらい。それで溶けないってことは、もっと温度が必要。だったら……」
ボソっと呟くハーフエルフの少女が、右手の薬指を立て、二回空気を叩く。そうして、彼女は、指先か五十センチほどの細長い黄緑色の葉っぱを二枚召喚した。
「もうちょっとだから、頑張って!」と明るい声を少年に聞かせた後で、彼女は召喚した薬草を包帯のように、詐欺師の両膝に巻き付ける。
そうして準備が整うと、ホレイシアは左手の薬指を立て、両膝を立てた状態で身を縮ませている少年の目の前に腰を落とした。
それから彼女は、少年の右膝に巻かれた薬草に、自身の左手薬指を触れさせ、魔法陣を記す。
東に太陽の紋章
西に地球の紋章
南に蟹座の紋章
北に牡牛座の紋章
中央に炎の紋章
それと同じ魔法陣を少年の左膝にも記す。その瞬間、少年の両足に纏わりついていた白蛇が、一瞬で溶け、地面が水で濡れた。
少しずつ全身の震えも治まると、少年はその場から立ち上がる。
「ありがとう」と口にした少年の兄が、身を震わせながら、黄緑色のローブを着た少女に近づく。
「何を……した?」
「もちろん、人助けです。あの術式を直接使ったら、大火傷を負い、両足を失ってしまうので、熱に強いフレイルボードを両膝に巻き付けてから、術式を施しました。これで凍死は免れたので、安心してください。後は、温かいところでゆっくりと休めば、すぐに体温は戻るでしょう」
そう伝えながら、ホレイシアは視線を後ろにいるお屋敷の使用人に向けた。その目から何かを察したカルトは首を縦に動かす。
「分かりました。すぐに温かい部屋へご案内します」
カルト・バイアーは、詐欺師兄弟をお屋敷に招き入れた。
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