第25話 痕跡
「早速ですが、こちらをご覧ください」
豪華な美術品が四隅に並ぶ応接室にある黒い椅子に腰かけたフブキが、机を挟んで向かい合う依頼人のカルトの前で、右手の薬指を立て、空気を叩いた。
すると、彼女の指先から一枚の紙が召喚される。
「これは……」と差し出された紙を手にしたカルトが眉を潜める。その後で、フブキは首を縦に動かした。
「はい。ご存じ、エメトプロジェクト実証実験参加者名簿の一部です。フェジアール機関に所属する錬金術師から早急に入手しました。調べたところ、ここにクラリス・ペランシュタインの名前が掲載されています。右隣に掲載されている現住所もここと同じなので、本人で間違いないでしょう」
そう言いながら、フブキは自信満々な表情で名簿の文字を右手の人差し指で叩く。
「知りませんでした。まさか、クラリスお嬢様が、あの実証実験に参加していたなんて……」
驚き目を見開くカルトの前で、フブキは首を捻った。
「それは妙な話ですね。一般家庭ならともかく、こういう資産家なら郵便物を全て把握するはずです。例えば、常温で発火する危険な素材が送ることで、簡単に暗殺できますから」
「いや、それはおかしい話なんかじゃないぞ」
フブキの右隣に並び椅子に座っているムーンが右手を挙げ、異議を唱えた。それに対して、フブキは視線を右に向け、首を傾げる。
「それはどういうことですか?」
「俺も同じ実証実験の対象者として選ばれたんだ。だから、それは違うって分かる。能力を付与するために必要なチップは、郵便じゃなくて、魔法陣に直接送られてきた。俺の時はそうだったから間違いない」
話を聞いていたムーンの説明に対して、納得の表情を浮かべたフブキが頷く。
「なるほど。そうでしたか」
「そうでしたかって、フブキ、お前知らなかったのかよ。フェジアール機関に知り合いがいるのに」
「はい。チップの配送方法は把握していませんでした」と認めた直後、カルトが腕を組む。
「しかし、お嬢様の所在を示す手がかりがないかと思い、お嬢様の部屋を調べてみましたが、魔法陣のようなものはありませんでした」
「そういうことなら、私が直接確かめる必要がありそうです。その前に、カルトに三つの質問です。失踪現場から発見された衣服に変わった点はありませんでしたか? 例えば、上着が破れていたとか?」
右手の指を三本立てたフブキがカルトに尋ねる。それに対して、カルトは首を横に振った。
「いいや、特に変わったことはなかったですね」
「なるほど。ということは、捜索対象は小動物ってことになりますね」
「ん? なんでそうなるんだ?」とフブキの隣でムーンが首を傾げた。その疑問に対して、フブキは淡々と答えた。
「例えば、クラリスがシステムの影響で、マスターと同じ獣人になったと仮定します。そうなった場合、普通は衣服を纏って行動するでしょう。好き好んで全裸で動きまわるヘンタイじゃない限りは。しかし、裏路地からは彼女の衣服が見つかりました。しかも、目立った破れもなかったそうです。ということは、大柄な人種や動物になった可能性も低くなります。つまり、クラリスは、システムの影響で、人間よりも小さな動物の姿になって、生きている可能性が高いです」
納得できる説明を聞いたカルトが勢いよく席から立ち上がり、机の上に手を付いて身を乗り出す。
「それが本当なら教えてください。クラリスお嬢様は何の動物になっているのかを!」
「落ち着いてください。まだ質問が二つも残っています。その答えによって、結論が変わります」
冷静な態度で依頼人と接するフブキの前で、カルトは気を落ち着かせるため深く息を吐き出した。
「それなら、早く次の質問をお願いします」
「では、この洋館に使い魔はいますか?」と尋ねながら、フブキは右手の指を二本立てた。
「いいえ。そのようなモノは飼っておりません」
再び首を横に振ったカルトの前で、フブキが右手の人差し指を立て、最後の質問を口にした。
「最後に、クラリスは動物が好きで、よく庭で動物と戯れていましたか?」
「そうですね。どちらかと言えば好きです。そういえば、一週間ほど前、庭に迷い込んだ小鳥に語り掛けておりました。もうすぐ自分も変われるんだと」
「ん? 変われるってどういう意味だ?」
フブキの隣で話を黙って聞いていたムーンが疑問を口にする。それに対し、カルトは同意を示した。
「はい。それは私にもわかりませんが、もしもお嬢様があの実証実験に参加しておられたのであれば、異能力を得ることによって自分を変えたかったのかもしれません。お嬢様は表情が暗く、お友達もいませんでしたから。それで、これまでの質問で何が分かったのですか?」
カルトに続きを促され、フブキは首を縦に動かす。
「はい。実は、ここに来る前にクラリスの衣服が見つかったという裏路地へ足を運び、環境遺伝子術式を試みました。その結果、あの場所から三種類の動物の遺伝子が検出されました。おそらく、クラリスはそのどれかの姿になった可能性が高いと考えられます」
「環境遺伝子術式?」とカルトが聞き慣れない言葉を聞き返す。その後で、フブキの隣に座るムーンも首を傾げ、フブキの横顔を見つめた。
「ああ、そういえば、なんか疲れる術式を使ったって言ってたな。それで、何なんだ? 環境遺伝子術式って……」
「簡単に説明すると、空間内に放出された遺伝子情報を採取及び分析する術式です。目に見えない人類を含む動物の汗や抜け落ちた体毛や皮膚などを対象に、その場に蓄積された遺伝子情報を採取しました。そして、人類の遺伝子を除外した結果、あの日、あの時間帯に二種類の動物がいたことが判明しました」
「それはスゴイです!」とカルトが大きく目を見開く。だが、フブキは自分の評価を認めず、ため息を吐き出した。
「この程度のことで驚くなんて、あなたの頭の中はお花畑のようですね。残念ながら、私が使用した術式では、その動物がその場にいた正確な時間や遺伝子情報を元にした個体の特定ができません」
「私が使用した術式では……って、もしかして、他の術式ならそれができたのか?」
ムーンからの問いかけに、フブキが頷く。
「はい。しかし、私にはそれを使いこなすことができません。知識として術式は覚えていますが、使用する素材が貴重なうえ、大量のエーテルを消費します。そのため、最低九人の高位錬金術師を集めての術式使用が推奨されています。さて、話を戻しますと、環境遺伝子術式を使用して、検出された動物はこの三種です。ムーンライトスパイダー、メタルマウス、ミニマムキメラ」
「あれ、それって……」とボソと呟き考え込むムーンの隣で、フブキが両手を合わせる。
「ここでカルトにお願いがあります。裏路地から見つかったという衣服を見せてもらえませんか? そこから痕跡が見つかる可能性があります」
「はい。分かりました。今から準備してまいります」と席から立ち上がったカルトがふたりにお辞儀をしてから応接室を出て行った。
「おい、フブキ、どういうことだ? さっきお前が言ったモンスター、全部、お前が持ってきたクエストに出てきたヤツだ」
ふたり残された応接室の中で、顔を真横に向けたムーンが尋ねる。それに対して、フブキは頬を緩めた。
「流石にここまで言えば分かりますね。あの場にいたとされる三種類の動物の調査、それが今回の目的です。いずれも夜に活動が活発になる種で、この第五地区に生息しています。獣人になったマスターなら彼らの言葉が分かるでしょう」
「なるほどな。要するに、人間じゃなくて動物の目撃者を探せということだな! よし、分かった。頼りになるってところを見せてやる!」
ムーンが瞳を燃やした後で、フブキは腑に落ちないような表情を浮かべた。そんな彼女の横顔を見たムーンが目をパチクリとさせる。
「おい、フブキ、大丈夫か?」
「はい。大丈夫ですが、気になっていることがあります。実は環境遺伝子術式で気になる遺伝子が検出……」と浮かび上がる謎をフブキが口にした直後、応接室の扉が叩かれ、黒いカゴを抱えたカルトが戻ってきた。
「お待たせしました。これが裏路地から見つかったクラリスお嬢様の衣服です。もちろん、見つかった当時のまま、何も手を加えていません」
簡単に説明したカルトが椅子の上にカゴを置く。それから彼はカゴから黒いワンピースを取り出し、机の上に並べた。
「それでは、失礼します」と頭を下げたフブキが右手の薬指を立て、二回ほど空気を叩く。そうして白い手袋を召喚した彼女は、それを手に嵌め、薄汚れたワンピースを裏返した。その机の上には、フブキが手袋と同時に召喚した白い正方形の箱が置かれている。
衣服を観察していた天才少女は頬を緩める。
「実に興味深いです。ここ、黒い動物の体毛が付着しています。これは重要な手掛かりになりそうです。採取して、何の動物なのか調べてみます」
そう説明しながら、フブキは発見された体毛を持ち上げ、机の上に置いた箱の一面にそれを触れさせた。すると、それがムーンたちの前から一瞬で消え去る。
それから、一通り調べたフブキは、カルトに礼を言い、ムーンと共にお屋敷から去った。
お屋敷の門扉に背を向け、真っすぐ歩き出すムーンが隣にいるはずの天才少女に視線を向ける。
「おい、フブキ。これからどうするんだっけ?」
だが、そこにはフブキの姿はなかった。慌てて周囲を見渡す彼の背後で、フブキは立ち止まり、何かを書き留めている。
「フブキ、何やってんだ?」
歩みを止めたフブキと向き合うように立ったムーンが首を傾げる。すると、フブキは顔を上げ、目の前にいるギルドマスターの少年に視線を向けた。
「はい。ここでホレイシアに宛てた手紙を書いていました。とは言っても、ここまでに書き溜めておいた文章に一言添えるだけなので、すぐに終わります」
そう言っている間に、最後の文字を記したフブキは、右手の薬指を立て、封筒を召喚し、その手紙をその中に仕舞った。
「はい。マスター。この手紙をホレイシアに渡してください。特に急いでいるわけではないので、ギルドハウスに帰ってきてからで構いません」
フブキがムーンに手紙を差し出す。それを受け取ったムーンは首を縦に動かした。
「分かった。ホレイシアがギルドハウスに帰ってきたら、これを渡せばいいんだな?」
「はい。お願いします。それでは、私はここで失礼します。今から本職のお仕事がありますから」
雲一つない青空を見上げたフブキがムーンに伝える。それに対してムーンは思い出したように呟いた。
「ああ、そういえば、これから遅番だっけ? がんばれよ!」
親指を立てたムーンの前から、フブキは一瞬で姿を消した。
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