第20話 冷感

 ホレイシアと交差点で別れてから二十分ほど歩いた先にある建物の前で、ムーン・ディライトは立ち止まった。

 それから、彼は背後にいる異種族の少女に視線を向ける。

「ここが俺が働いてる刀鍛冶工房だ。目の前に見える狭い建物が事務所で、隣に工房がある」

 簡単に説明したムーンが、右手で目の前にある建物を示した。

 左右の壁に埋め込まれた丸い窓が特徴的な狭い建物の右隣には、レンガ造りの工房がある。


「ここが刀鍛冶工房ですか」

「ああ、そこに見える工房で汗を流しながら、剣を研いでいるんだ」

 フブキと顔を合わせたムーンが明るく答える。その後でフブキが周囲を見渡すように首を動かす。

「ところで、工房主は……」

「多分、事務所にいると思うぞ」と答えたムーンが目の前に見える事務所に向かって一歩を踏み出した。

 そんな獣人の少年の後ろ姿をフブキが追いかける。


「おはようございます」と挨拶したムーンが事務所のドアを開け、中に足を踏み入れる。それに続けて、フブキも室内に入りこんだ。

 すると、奥に置かれた机の前に座っていた中年男性が顔を上げる。

「おはよう、ムーン。ホントに獣人になったんだな」


 薄手の紺色ローブで身を纏う男が席から立ち上がり、出入口のドアの前で佇む獣人の少年の元へ近寄る。

 薄い緑色の髪を短く生やし、両眉毛の間を覆うように前髪を伸ばしたその男と顔を合わせたムーンの右隣にフブキが並ぶ。目の前に現れた見慣れない男の顔をジッと見つめるフブキの隣で、ムーンは首を縦に動かした。


「フブキ、紹介するよ。ペイドンさんだ。この人は、俺が働いてる刀鍛冶工房主で、ホレイシアの父ちゃんなんだ。それで、俺の隣にいるのが……」

「フブキだな。アグネから話は聞いているよ。ヘルメス族の女の子がムーンとホレイシアのギルドの仲間になったってな」

 紹介する前に口ひげに触れながら答えたペイドンの前で、ムーンは拳を握った。

「ペイドンさん。俺に紹介させてくれ!」

「ふふふ、先にフブキを紹介しなかったムーンが悪いんだぜ」

 豪快に笑うペイドンの顔をジッと見ていたフブキが、会釈する。

「初めまして。フブキ・リベアートです」


「改めて、ペイドン・ダイソンだ。娘がお世話になっているようだな」

 フブキと向き合ったペイドンが右手を差し出す。だが、フブキはその手を取らなかった。

「……はい。そうですね」と短く答えたフブキの右肩をムーンが優しく叩く。

「おい、フブキ、大丈夫か? もしかして、緊張してるのか?」

「……ただの人間相手に緊張するわけがありません」

「でも、いつもより口数が少ないような気がするぞ。それと、さっきから気になってるんだが、どうしてペイドンさんの顔から目を反らさないんだ?」

 不思議そうな顔をするムーンの隣で、フブキはペイドンから視線を反らすことなく答える。

「吟味しているところです。信頼できる相手かどうかを」


 そんなふたりのやりとりを見ていたペイドンが笑みを浮かべる。

「フブキは面白い子みたいだな。ところで、ムーンに聞きたいんだが、どうしてフブキをウチの刀鍛冶工房に連れてきた?」

「今後のギルド活動のために、俺が働いている刀鍛冶工房の場所を覚えたいらしいんだ」

「ああ、聞いたことがあるよ。ヘルメス族は一度訪れたことがある場所に瞬間移動できるって。つまり、フブキに頼めば、寝坊しても瞬間移動で遅刻回避できるって寸法だな!」

「だから、そんなことするわけないだろ!」とムーンが腹を立てると、突然フブキがクスっと笑った。

「ふふっ、ホレイシアと同じ発想ですね」

「おお、フブキが久しぶりに笑った。やっぱり、笑った顔もかわいいぞ」

 感動したムーンが瞳を輝かせる。そんな獣人の少年の顔を、フブキは冷めた目で見ていた。

 その後でペイドンが思い出したように両手を叩く。


「そういえば、ホレイシアから聞いたんだが、フブキも剣士らしいな。だったら、ウチの刀鍛冶工房見学しないか? 」

 叩いた両手を合わせたペイドンの提案に対し、フブキは首を左右に振る。

「これから用事がありますので、ご遠慮します。それでは、マスター。時間になったらこの刀鍛冶工房まで迎えに行きます」

「ああ、午後からふたりでクエストやるんだったな。それまで頑張って働くぜ!」

 首を縦に動かしたムーンが、視線と右隣にいるフブキに向ける。

「はい、それでは失礼します」と無表情で返したフブキは、ムーンたちの視界から一瞬で姿を消した。


 

 数日前まで人間だったムーン・ディライトが獣人の姿になって初めて出勤する日。それは彼にとって過酷な日常の始まりだった。

 熱気が籠る刀鍛冶工房の中で、彼は一人で熱い鉄の棒の上に置かれた小刀と向き合い、研いでいく。

 

 いつもと同じ仕事を始めて数分後、彼の右頬から汗が熱せられた鉄の棒に落ちた。

 その直後、全身から汗が噴き出し、少年の首元を覆う獣の毛が汗で湿り始めた。


「はぁ。キツイな。やっぱり、ここはホレイシアがくれたヤツを使うしかないらしい」

 喉もカラカラに乾いていく中で、獣人の少年は右手の薬指を立て、空気を叩く。

 すると、猛暑が襲う刀鍛冶工房の床の上に、水色の小槌が召喚された。

 それに向けて、手を伸ばそうとした瞬間、工房の扉が開き、ペイドンが中に入ってくる。

「ムーン。獣人の姿になって、暑いの苦手になったらしいな。まだ仕事を始めて数分ほどしか経過していないが、適度に休憩しながら仕事しろ」

「ああ、ペイドンさん。大丈夫だ。ホレイシアから小槌を受け取ったからな。相変わらず、気が利くぜ」

 顔を上げ、ペイドンと顔を合わせたムーンが、右手で握った小槌を床の上に振り下ろす。

 その直後、床の上に白い線の魔法陣が刻まれた。


 東に融解を意味する蟹座の紋章。


 西に土の紋章。


 南に水の紋章。


 北に蒸留を意味する乙女座の紋章。


 中央に錫を意味する木星の紋章。


 それらの紋章で構成された魔法陣が白く光り、白いお札が召喚される。

 それを見たムーンが目を丸くした。


「えっと、これなんだ?」

 ムーンが疑問に思いながら、召喚されたお札を手にする。それに触れると、ぐっしょりと濡れた彼の右掌が一瞬で冷やされていく。

「まさか、自分の手でコレを生成するなんて、恐ろしい子だな」

 口ひげを右手で触ったペイドンがムーンが握っている札に視線を向け、感心を示す。

「いや、フブキとの共作らしいぞ」

「ほぅ。あのヘルメス族の子がホレイシアとこれを……」

「ああ。とは言っても、フブキは術式の見直しや素材を分け与えることしかしてないみたいだけどな。ところで、これ、どうやって使うんだ?」

 獣人の少年の一言に対し、ペイドンがため息を吐き出す。

「これはフレオタリスだな。体のどこかに張ることで、全身を冷やす効果がある。ところで、ムーン。確かめたいことがあるんだが、その札の触り心地はどうだ?」

「ああ、なんかつるつるしてて、触っただけで冷たいぞ」

「やっぱり、素材はグラスペーパーか。どこでそんな素材を手に入れたのかは知らないが、流石、私の娘だ」


「だから、何だ? グラスペーパーって」

「中々手に入らない素材だ。とにかく、それは小槌ごと冷たい水に漬けておけば、何度でも使える」 

「おお、それは便利だな。これなら仕事の邪魔にならないぜ! あとでホレイシアとフブキにお礼を言わないといけないなぁ!」

 明るい表情で首を縦に振ったムーンが、冷たいお札を左肩の上に張る。

 

 そして、獣人になった少年は、暑さを忘れ、刀鍛冶職人として目の前にある小刀と向き合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る