第8話 初陣
ギルド受付センターから東に五分ほど歩いた先にある地下へと続く石畳の階段を、三人が降りていく。
床に並べられた等間隔の蝋燭の炎が、石畳の一本道を明るく照らす。そんな地下道を、ムーンたちはまとまって歩いていた。
そんな中、周囲を警戒していたフブキは、左方で這うように動く黒い影を視認し、立ち止まった。
左手を斜め下に伸ばした薄着のフブキが、先へ行こうとする白いローブを身に纏った獣人の少年を止める。
五十メートル続くまっすぐな地下道の横をもう一つの道が交錯する十字路に向けて、彼女は右手の薬指を立てる。
そうして、白い円が描かれた水色の槌を地面に落とすと、フブキの体が白い鎧を纏う。
「標的認識。マスター、戦闘開始です」
静かな地下道でフブキの声が響き、彼女の前を歩いていた獣人の少年が右手の薬指を立て、銀色の小槌を召喚する。
地面に叩き込み、召喚された銀色の輝く太刀を両手で握ったムーン・ディライトはジッと前方を見つめた。
黄緑色のローブを着ているホレイシアの右隣に立ったフブキが、腰の白い鞘から細身の剣を抜き取り、構える。
そんな彼らの前で、紫色の大蛇は逃げるように素早く動いた。
「マジか! 早すぎて見えねー!」
驚き、目を見開くムーンの背後から、フブキが少年の右肩に触れた。
「マスター。挟み撃ちです」
「おう」と答えた後で、ムーン・ディライトは目をパチクリとさせた。気がつくと、五十メートル先にある十字路の中心に佇んでいて、紫色の大蛇が前方から迫っている。
その一方で、鎧姿のフブキは前へ飛び出した。左手の薬指を立て、素早く魔法陣を記すと同時に、床に沿わせるように、右手の剣を振り下ろす。
「マスター、行きます」と地下で声を響かせたフブキが、前方に向けて、指先の魔法陣を飛ばす。
地面から伝わってくる斬撃で、素早く動く大蛇が飛び跳ね、魔法陣が当たった。
すると、大蛇の色が薄紫色の変化していき、素早い動きも徐々に遅くなっていく。
「ちょっと、置いてかないで!」とホレイシアがフブキに駆け寄り、彼女の右隣に立った。
「そういえば、バイオレットスネークに何したの?」
右隣に並んだホレイシアからの疑問に、フブキは数十メートル先にいる大蛇から目を離すことなく答える。
「バイオレットスネークは、体温が低下すると動きが鈍くなると聞きましたので、私の術式で一時的に体を冷やしました。斬撃で体を上に飛ばして、魔法陣を当てやすくして。あっ、マスター。そろそろ……」
「ああ、分かった!」
くねくねとした動きを視認できたムーンが、バイオレットスネークの尻尾に向けて、太刀を振り下ろそうとする。その瞬間、大蛇の喉が動き、横道から四歳くらいな黒髪の子どもが飛び出す。
その直後、小さな男の子が、大声を出し、バイオレットスネークの真横を通り過ぎた。四歳くらいの幼い男の子は、尖った木の枝の先端に小さな炎を宿した灯りを右手で握っている。
「おーい。みんな! どこだ?」
それを見たホレイシアは、ハッとする。いやな予感がハーフエルフの少女の脳裏に浮かぶと、彼女は叫び声を地下道に響かせた。
「ムーン、ダメ!」
ホレイシアの叫び声を聞き、ムーンが動きを止めると、紫色の大蛇の口から紫色のガスが噴き出した。
それよりも早く、フブキは左手の薬指を立て、魔法陣を宙に記した。
東に土の紋章。
西に風の紋章。
南に蒸留を意味する乙女座の紋章。
北に昇華を意味する天秤座の紋章。
中央に固定を意味する双子座の紋章。
それらで構成された魔法陣を左手の指先に浮かべたフブキが指を真下に向ける。
その瞬間、魔法陣がフブキが立っている地面の上に浮かび上がり、直径二メートルの大きさまで広がった。
「これで大丈夫です」と安堵の表情を浮かべていたフブキの隣で、ホレイシアは、表情を強張らせた。
ムーンの目の前で毒ガスが漂い始め、半そで短パンの男の子がせき込み始める。右手で握っていた木の枝を石畳の床に落とした男の子の体が膝から崩れる。
そんな様子を目の当たりにしたホレイシアは、震える心を抑えて、前を向いた。
「フブキ、私、あの子を助けに行くから!」
安全な場所から危険な毒が充満する地下道へ向けて、ハーフエルフの少女が駆け出す。
ローブの右袖で口元を隠すホレイシアが、苦しそうな顔をしている男の子たちとの距離を一歩ずつ詰めていく。
「うううううっ、たっ……たすけ…て……くっ、くるし……い……」
苦しそうに身をよじる男の子が、ムーンの近くで倒れていく。
その間に、バイオレットスネークは、ムーンの前から通り過ぎていった。
遠ざかっていく大蛇の姿を視認したホレイシアは、近くにいるムーンの右手を引っ張った。
「ムーン。早く、追いかけて! この子……ごほっ……私が……」
せき込み額から冷や汗を流したホレイシアと顔を合わせたムーンが太刀を構えながら頷く。
「ああ、分かった。無理だけはダメだからな」
「うん」とホレイシアが答えるとすぐに、ムーンが前進する。
一瞬で標的との距離を縮めると、少年は異能力を使うという意思を込め、太刀を両手で握りしめた。
その瞬間、銀色だった太刀が黒く染まり、炎を吐き出したそれが半円を描く。
一瞬にして、大蛇の尻尾が宙を舞い、薄暗い地下道が明るくなる。
その間に、尻尾を切られた大蛇がものすごい速さで逃げていった。
「ふぅ」と息を吐き出すムーンが、地下道の床に落ちている尻尾を拾い上げた頃、ホレイシアは瞳を閉じた。
彼女の足元には、苦しそうな表情を浮かべている男の子がうつ伏せに倒れている。
「はぁ、はぁ、大丈夫……だから……」
安心させるように呟くホレイシアが、右手の薬指で空気を二回叩く。
緑色の小槌と紫色の小槌が地面に落ちると同時に、床に二つの魔法陣が並んで浮かび上がぶ。
その中心に、小さな円筒状のガラス瓶に入れられた緑の薬草と、紫色に輝くひし形の鉱物が召喚されると、ホレイシアは、左手の薬指を立て、宙に魔法陣を記す。
東に融解を意味する蟹座の紋章。
西に昇華を意味する双子座の紋章。
南に蝋膏化を意味する射手座の紋章。
北に投入を意味する魚座の紋章。
中央に風の紋章を記し、真下に向けると、ホレイシアが立っている石畳の床の上に、魔法陣が浮かび上がった。
そのあとすぐに、ホレイシアはその場に座り、風の紋章の上に、先程召喚した円筒状の薬草を蓋を開けた状態で置いた。
ガラス瓶が倒れないように、右手で支えたハーフエルフの少女が、左手を伸ばし、召喚した紫色に輝くひし形の鉱物を掴む。
それをガラス瓶の中に入れたあと、ホレイシアは瓶の中に左手の人差し指を突っ込み、中をかき混ぜるようにして動かした。
すると、真下の魔法陣が白く光り、ガラス瓶の中で、滑らかな緑色の塗り薬が完成する。
「はぁ、はぁ、大……丈夫……」
塗り薬を左手の人差し指に付着させたホレイシアが、男の子の右手の甲に解毒薬を塗る。
緑色のクリームが男の子の右手の肌に広がると、男の子の顔から苦痛が消える。
「はぁ」と息を吐き出す男の子が起き上がると、ホレイシアは体を後方に向け、左手の人差し指でフブキを指さした。
「早く、あの……白髪の……お姉ちゃん……ところまで……」
「あっ、ありがとう」と伝えた男の子がフブキの元へと走る。
その後ろ姿を見た瞬間、ホレイシアの視界が歪み始めた。
ハーフエルフの体は脱力し、背中から倒れていく。
「無理だけはダメだって、言っただろ!」
ホレイシアの後方でムーンの声が響き、その背中が獣人の少年の胸に触れる。
朦朧とする意識の中で、ホレイシアが顔を上げると、心配するムーンの顔が飛び込んでくる。
「ムーン……」
「歩けるか? 早くフブキのとこまで戻った方がいい」
「……うん……あり……がとう……」と短く答えたホレイシアが瞳を閉じる。
ホレイシアは獣人になった少年の背中に身を預け、意識を手放した。彼女の右手の中にあったガラス瓶が石畳の床に落ち、欠片が散乱する。
「ホレイシア!」
突然のことに、ムーンは目を見開き、地下道で叫び声を響かせた。
だが、ホレイシアはムーンの胸の中でぐったりとして、動こうとしない。
汗でびっしょりになったハーフエルフの体を支えたムーンは、前方にいるフブキに頭を下げる。
「フブキ、助けてくれ。ホレイシアが……」
「無理です。医療都市、ムクトラッシュに緊急搬送できたら良いのですが、私はあの街を訪れたことがありません」
「だったら、ムクトラッシュの近くまででいい! そこから走って、病院まで連れていく。今の俺はスゴク速く走れるんだ!」
「マスター。それは不可能です。私が訪れたことのある場所の中で、ムクトラッシュに一番近い所に瞬間移動したとしても、百キロ以上離れています。その体になって速く走れるようになったとしても、今のあなたの走る速さは、時速五十キロ程度です。単純計算で二時間以上かかります。その間にホレイシアは……」
「なんか、他に方法ないのか?」
焦る獣人の少年にフブキは冷たい視線を向ける。
「……不可能です」
「イヤだ!」
フブキの冷静な意見を跳ね除けたムーンはマジメな顔つきになった。顔から焦りが消した少年が、苦痛で表情を歪ませたハーフエルフの少女を支えて、一歩を踏み出す。
一方でフブキは自分の元へ近づこうとするギルドマスターに向けて右手を伸ばし、呼び止めた。
「マスター。気をつけてください。ガラス片が散乱しています」
「ああ、わかってる」と答えたムーンが視線を斜め下に向ける。そこには、男の子が落とした灯りがあった。
「ホレイシア、大丈夫だ。異能力を使ってでも、お前を助ける」
苦しむホレイシアを安心させるように語りかけたムーンが、左腕だけで彼女を支えて、腰を落とす。
そうして、右手で木の枝の先端に小さな炎が宿った灯りを掴み上げた瞬間、なぜか炎が燃え上がり、オレンジ色の炎が薄紫色に変化する。
そんな現象を目の当たりにしたフブキの顔が青くなる。
「あの炎、まさか……はっ!」
直後、ゾクっとした寒気と気配を感じ取ったフブキが振り返った。だが、その先には戦闘に巻き込まれ、涙を浮かべている男の子しかいない。
それから再び視線を前に向けたフブキは、ムーンが手にしている灯りを指差す。
「マスター、その灯りでホレイシアの顔を照らしてください!」
「ああ。なんかよく分からないけど、やってみる!」
言われるまま従い、薄暗い地下道の中で、フードで隠した彼女の顔に火花が当たる。
その瞬間、苦しみに歪む彼女の顔は、和やかになり、汗も消えた。
「フブキ……」と名を呼ぶムーンの前でフブキが微笑む。
「大丈夫です。毒素が消失しました。少しの間、安静にすれば目を覚ますでしょう」
「良かった」と安堵したムーンは、ホレイシアの体を支えて、フブキの元へ向かい歩き始めた。
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