第4話 交渉

 ハクシャウの泉の傍で、五十人の黒いローブを着た男たちが倒れている。体を小刻みに震わせ、立ち上がることすらできない人々を、フブキ・リベアートは「無様ですね」と嘲笑った。

 剣を鞘に納め、武装も解除したフブキの右隣で、ムーン・ディライトは首を捻る。

「ところで、こいつらどうするんだ?」

「本来なら、どこか遠くの街へバラバラに飛ばしてもいいのですが、体力的にキツイので、無視です」

 その場に横たわる人々を冷めた目で見ているフブキの隣で、ムーンが引き顔になった。

 すると、黄緑色のローブのフードで顔を隠しているホレイシア・ダイソンが、ムーンの背後で右手を大きく上げた。 


「大丈夫? さっきの戦いで幻のコケが全滅したんじゃ……」

 ホレイシアが心配そうにコケの生えた岩に視線を向ける。そんな彼女と向き合ったフブキは、肩を落として、右手をホレイシアに差し出す。

「素材採取用の道具持ってたら、貸してください」

「はい」と頷くホレイシアが地面に置かれていたカゴから小さなナイフを取り出し、それをフブキに手渡す。

 それから、フブキは自らの足で近くにある岩へ目指し歩き、受け取ったナイフで、コケを剝ぎ取ってみせた。

 そして、粉末化したコケを右手で持ち、ジッと見つめる。


「成分上、特に問題なさそうですね」

 結論付けたフブキがホレイシアにナイフを返す。

「はぁ。良かった。じゃあ、ムーン!」

 安心したホレイシアが近くにいるムーンに視線を送った。

 だが、ムーンはフブキの顔をジッと見つめ、右手を彼女の前に差し出した。


「フブキ。良かったら、俺の仲間にならないか? 実は、ギルドを結成しようと思って、絶賛仲間募集中だったんだ」

「ちょっと、ムーン。勧誘してる場合じゃないでしょ? それに、フブキは、何かの仕事をしてるかもよ」

 呆れるホレイシアの前で、ムーンが胸を張る。

「大丈夫だ。俺のギルドは副業可だからな。現に俺とホレイシアも本業があるわけだし!」

「だから、そういう問題じゃないって……」


 その直後、ホレイシアは目を見開いた。フブキがムーンの右手を掴み、彼と顔を合わせている。


「……はい、お願いいたします!」


 フブキの答えを耳にしたムーンは、うれしさのあまり目を輝かせて、飛び上がった。


「マジか! ホントに仲間になってくれるのかよ!」

「はい」とマジメにフブキが答えると、ムーンは近くにいるホレイシアに笑顔を向けた。

「やったな。ホレイシア。強いヤツが仲間になった!」

「うん。特に反対する理由も見つからないから……いいと思う。よろしくね。フブキ!」

 ムーンの近くで首を縦に動かしたホレイシアが、フブキに頭を下げた。

 すると、フブキもホレイシアも同じ仕草をした。

「はい。よろしくお願いします」


「よし。じゃあ、明日の朝、ギルド受付センターで手続きするから、時計台の前で待ち合わせだ!」

 ホレイシアの了承を受けたムーンが両手を叩く。それに対して、フブキは首を縦に動かした。

「分かりました。それでは、失礼……」とフブキがふたりに背を向け、泉に向かって歩き出す。


 そんな彼女の後姿を見送ったムーンは心を躍らせた。

「明日が楽しみだ」

 そう呟くムーンの右肩をホレイシアが掴んだ。

「そうだろうけどさ。早く手伝ってよ。無駄話してる暇なんてないんだからね!」

 頬を膨らませたホレイシアが右手に持っていたナイフをムーンに差し出す。

 それを受け取ったムーンは、深く息を吐き出して、目の前に見えた岩に向かって、一歩を踏み出した。



「ムーン。必要な量は集まったから、帰ろうよ」


 五分ほどで手早くコケの採取を終わらせたホレイシアが、隣にいるムーンに視線を向ける。

 そんなふたりの近くに置かれたカゴの中には、緑色のコケが詰まっていた。


「ああ、そうだな」と獣人の少年が答えた後で、ホレイシアが右手の薬指を立て、カゴを一回叩く。


 その瞬間、コケが敷き詰められたカゴがふたりの視界から消えた。


「じゃあ、急いで帰らないとな。どうだ? さっきみたいに……」


「あっ、ムーン。歩いて帰ろうよ」


 両腕を上に伸ばし、走る気満々な顔の少年の声をホレイシアが遮った。


「うーん。まあ、いっか」と呟いた彼は、ハーフエルフの少女の隣に並び、一歩を踏み出した


 草の生えた緑の地面を踏みしめ、一分ほど歩くと、多くのビルが立ち並ぶ街中に出る。

 その瞬間、ムーンは石畳の地面から強烈な熱を感じ取った。同時に、彼の額から透明感のある汗が溢れるように流れていく。

 すると、隣を歩いている幼馴染の異変に気が付いたホレイシアは、その場に立ち止まって、獣人になった少年の顔を覗き込んだ。


「ムーン、大丈夫?」

「多分、大丈夫だと思うが、サンヒートジェルマンってこんなに暑かったっけ?」

「うーん。いつも通りだと思うけど……」

「なんか、暑いのが苦手になってる気がするぞ!」

「もしかしたら、その首元が原因かもね。ほら、首元が獣の毛で覆われてるから、暑苦しく感じるんだよ」

「ああ、こいつか」と汗を掻いたムーンが自分の首に触れる。

 それから、ムーンは自分の首から右手を放し、丸見えになっている額を掻いた。


「ああ、まさか、獣人の体にこんな弱点があったなんてな。知らなかった。俺、スゴク強くなった気がしたんだ。剣だって、人間だった頃の十倍くらい力強く振り下ろせたし、速く走れるようにもなった」

 

 すると、ムーンの目の前にいたホレイシアがクスっと笑う。そんな彼女の仕草を見て、ムーンは首を捻った。


「ホレイシア。なんかあったか?」

「ああ、ごめん。だって、いつもみたいに額を掻いてたから。獣人になって前髪がなくなったのにさ」

「そういえば、そうだったな。人間だった頃のクセが出たらしい」

「まあ、三十分くらい前まで人間だったもん。仕方ないよ。それにしても、変わらないよね。ムーンって」


「ん? それって、どういう意味だ?」とムーンが目を丸くする。

 その直後、人気のない静かな歩道の上で、ホレイシアはクマのような獣人になってしまった少年と右手を繋ぐ。それから、隣にいる幼馴染から視線を反らし、少年の右手を引っ張った。

「さあ、走るよ」

「あっ、ああ、分かった」と短く答えたムーンはホレイシアと手を繋ぎながら、彼女と同じペースで街中を駆け出した。


 五分ほど密集するビルの谷間を駆けると、ふたりは荒い息を整えながら、立ち止まった。

 ふたりの視線の先には、二階建ての正方形の建物がある。白い壁に等間隔に赤い横線が引かれ、ふたりの目の前にある出入口らしい黄緑色の扉の近くの先端の尖った柱には、『薬の館』と縦長に書かれている。


 ホレイシアは息を吐き出し、目の前にある扉に向かい歩き出した。ムーンも少し離れて歩みを進めると、ホレイシアはいつも通りにドアノブを掴み、扉を開けた。


「ただいま」と告げたホレイシアが黄緑色のローブのフードを剥がし、素顔を晒す。

 多くの薬草がガラス瓶に入れられた状態で置かれている通路をまっすぐ進むと、ホレイシアは立ち止まった。

 会計機の前には、黄緑色のローブで身を隠す赤髪の女エルフがいた。

 長い耳を尖らせた女性は、肩の高さまで赤色の後ろ髪を伸ばしている。左右の髪を胸よりも少し高く垂らしたエルフの女性は、優しく微笑みながら、ホレイシアの元へ歩み寄った。


「ホレイシア、おかえり。そして、おつかいご苦労様!」

「はい。お母さん。これが幻のコケです」

 そう言いながら、ホレイシアは右手の薬指を立て、空気を叩き、黄緑色の小槌を召喚してみせた。

 右手を伸ばし、それを掴んだホレイシアの母、アグネ・ダイソンは「うふふ」と笑い声を出す。


「地下で薬草生成。それは至福の瞬間です。ところで、ホレイシアの隣にいる子って、誰? どこかで見たような顔してる獣人の男の子!」

 明るい表情でホレイシアの右隣にいる少年にアグネが興味を示し、グイグイと娘と距離を詰めた。


「ムーンだよ。ムーン・ディライト。EMETHプロジェクトの対象者として選ばれて、異能力を得たけど、なぜか獣人の姿になったの!」

 娘の説明を聞いたアグネはジロジロと獣人になったムーンの顔を見つめた。

「そういえば、似てるね。ムーンくんと」

「当たり前だろ。俺はムーン・ディライトなんだからな」

 クマのような見た目の獣人の少年の声を聴いたアグネは目を丸くした。

「あっ、その声、ムーンくんだ! もしかして、ホレイシアを手伝ってくれたのかな?」

「ああ、そうだ。ホレイシアの母ちゃん。忙しいかもしれないけど、ホレイシアの話を聞いてやってくれ!」


「ちょっと、ムーン!」とムーンの隣でホレイシアがあたふたする。一方でアグネは首を傾げた。

「良く分からないけど、手短に頼むわ」

 数秒の沈黙が流れ、ホレイシアは息を深く吐き出してから、母親と顔を合わせた。

「お母さん、私、ムーンのギルドに入りたいの。だから、副業を認めてください!」

「ああ、いいわよ。それくらい想定内だから」

 即答され、ホレイシアとムーンは目を丸くする。

「えっと、それって……」

 困惑する娘の前で、母親が笑みを浮かべる。

「ペイドンから聞いてたからね」

「お父さんから?」

「そう。ムーンくんがギルドを結成するって。もしもそうなら、ムーンくんはホレイシアを誘うはず。だから、この展開は予測できたってわけ」

「良かったな。ホレイシア。これで明日から三人でギルド活動ができるぜ!」

 白い歯を見せ、右手の親指を立てたムーンの前で、アグネが首を捻る。


「ムーンくん。三人って、どういうことかな?」

「ああ、ハクシャウの泉でフブキを仲間にしたんだ。ホレイシアと同い年くらいのヘルメス族の女の子だな」

「ヘルメス族!」とムーンの答えを聞き、アグネが驚き目を見開く。


「スゴイわ。あのヘルメス族の子が仲間なら、安心ね」

「まあ、俺は錬金術を凌駕するっていう異能力が使えるからな」とムーンが苦笑いすると、アグネは両手を叩き、視線をホレイシアに向けた。

「さあ、ホレイシア。私は地下で薬草生成してくるから、店番よろしく!」

 

 両手を叩いたアグネがふたりに背を向け、店の奥へ向かって歩き出す。

 その後ろ姿に向けて、ホレイシアは頭を下げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る