第3話 盗賊

 ハクシャウの泉で、黒いローブを着た無精ひげの長身男が、不適な笑みを浮かべる。

 一方で、白髪のヘルメス族少女が男の前に立ちふさがるように立ち、男の元へ歩み寄った。


「この子たちが先客です。勝手なことをしては困ります」

 少女が後方にいる同い年くらいの先客に視線を向けながら、指摘する。だが、黒いローブの男は少女の意見を鼻で笑い、両手を叩いた。


「お前ら、早く出てこい! 今がチャンスだ! この三人のガキたちを始末して、幻のコケを全てかっさらう!」

 ムーンたちの前で男が大声で叫ぶと、ホレイシアは表情を強張らせて、近くにいるムーンの背中に隠れた。

 一方で、ヘルメス族の少女は、ため息を吐き出しながら、右手の薬指を立ててみせた。


「はぁ。まさか、こんなところで強欲な人間に出会えるなんて……」

 少女が冷たい視線を男に向けると、黒いローブの男は目を大きく見開く。

「その尖った耳、まさか、ヘルメス族か? だっ、だが、こっちは五十人もいるんだ。一攫千金、諦めてたまるかよ!」


 それから、続々と泉の前に黒いローブを着た人物たちが姿を現していき、ムーンたちの周りが男の仲間に囲まれていく。


 周囲を埋め尽くす五十人を目にすると、ヘルメス族の少女が立てた右手の薬指で、空気を一回叩く。それと同時に、指先から白い円が描かれた水色の槌が飛び出し、少女の足元に落ちていく。

 それから、地面に刻まれた魔法陣が白く光り、少女の体を包み込む。

 一瞬で光が消えると、少女は自分の白いローブを泉の方へ投げ、鎧姿を晒した。

 全身を白で統一し、水色の線が円を描くように、両指と両膝に刻まれた鎧姿のヘルメス族の少女は、兜をかぶらず、素顔を晒している。


「……白熊の騎士、フブキ・リベアート。強欲な人間たちと相対します」

 騎士らしく名乗りを上げたフブキが、腰の鞘に収まっている水色の太刀を抜き、真剣な表情で男たちをにらみつけた。

 一方で、フブキに視線を向けていたムーンは目を輝かせた。

「フブキちゃんかぁ。なんか、かっこいいなぁ」

「ムーン。感心してる場合じゃないでしょ? 早くこの人たちをなんとかしないと、幻のコケを全部奪われちゃうみたいだから!」

 ムーンの背後で、ホレイシアが彼の両肩を強く掴んだ。


 それから、フブキは、右足で緑の地面を強く叩き、高く飛び上がり、右手だけで持っている太刀を真横に傾け、体ごと横に一回転させた。


「ホワイトアウト」と唱えた瞬間、円形の斬撃が波紋のように飛び、フブキに襲い掛かる黒いローブ姿の男たちの体を後方に飛ばす。

 それと同時に、冷たく強い風が吹き始め、泉の周囲で大量の氷の結晶が舞い始める。

 そうして、ムーンたちの視界が白く染まり、何も見えなくなった瞬間、ムーンの背後にいたホレイシアが体を小刻みに震わせた。


 一瞬で体温が奪われ、冷たくなった体を震わせたムーンたちの吐息が白く凍り付いていく。


 すると、冷たくなったムーンの左手を誰かが触れた。白く染まった影しか見えないムーンがキョトンとすると、突然、震えが消え、体が温かくなっていく。

 ムーンの両肩を強く掴み、強烈な寒気に耐えようとするホレイシアにも、白い影の右手が伸びる。

 それがホレイシアの左手の甲に一瞬だけ触れると、なぜか体が熱くなり、寒気が吹き飛んだ。


「なんだ?」と思うムーンが、自身の左手の甲を近づけ、ジッと見つめる。丸い円の中に上向きの三角形が刻まれた紋章をムーンとホレイシアが視認すると、今度は緑の地面が明るくなった。

 ふたりの真下には、直径三十センチほどの大きさの魔法陣が刻まれていて、その光が周囲を照らしていく。


「どうしますか? 私の能力を使えば、あなたたちを安全な場所に避難させることもできますが……」

 ふたりの頭にフブキの声が響くと、ムーンは頭を抱えながら、驚きの声を出す。

「なんだ? 俺の頭に、直接話しかけてきやがる!」

 その声を聴き、ムーンたちの前に姿を見せたフブキがクスっと笑う。

「言葉を口にしなくても大丈夫ですよ。その真下の魔法陣の中に入ってたら、口を動かさなくても会話できるから!」

 目の前で向かい合うようにして立ったフブキは口を動かす仕草を見せない。その一方で、ムーンは目を輝かせた。

「スゴイ! そんなこともできるのかよ!」

「まあ、ホントに疲れてるから、この術式の効果はあと三十秒で消えます。その前に、あなたたちがこの極寒の環境下で動けるよう術式を施しました。その薄着な恰好なら、三十秒以内に凍死する可能性が高いので……」

「ありがとうございます!」とホレイシアが、自身の左手の甲に刻まれた紋章に視線を移してから、フブキと顔を合わせて、その頭を下げた。


「当然のことをしただけです。もう一度聞きます。どうしますか? 私の能力を使えば、あなたたちを安全な場所まで避難させることも容易ですが……」


 問いかけと同時に、フブキは白く染まった景色の中で蠢く影を視認した。

 彼女は左手の薬指を立て、宙に魔法陣を記す。


 

 東に土を意味する下向きの三角形を横一本の線で分割された紋章。


 西に増殖を意味する水瓶座の紋章。


 南に水を意味する下向きの三角形の紋章。

 

 北に凝固を意味する牡牛座の紋章。


 最後に下向きの三角形の紋章を中心に記すと、フブキの指先で、五本の氷の尖った柱が浮かび上がった。

 それを、右手の人差し指で叩くと、氷の柱は一瞬で消え、白く染まった景色の中で、うめき声が響きだす。


 そんな中で、ムーン・ディライトは後ろを振り返った。そこには、不安そうな顔を浮かべているホレイシアがいる。そして、獣人の姿になった彼は前を向き、覚悟を決めた。


「いや、俺は逃げない。ここで逃げたら、ダメな気がする!」


「なるほど。それが答えですか? 説得するつもりはありませんが、事態は深刻です。ホワイトアウトで相手から視界と動きを奪ったところまでは良かったのですが、その効果も数十秒しか持続しません。使えるのは、今着てる耐久力の劣った予備の鎧と太刀だけ。他の小槌は、先ほどの戦闘で壊れてしまい、使用不可能。長期戦になったら不利です。あなたたちを守りながら、戦えるほど余裕はありません」


「ああ、分かった。短期決戦なら都合がいい。こいつらを倒さないと、幻のコケが手に入らないんだ。それに、俺には、錬金術を凌駕する異能力もあるんだ! 負ける気がしない!」

 真剣な表情になったムーンが、フブキの隣に立つ。そんな獣人の少年の背後で、ホレイシアは首を縦に動かし、右手の薬指を立てた。

 それから、空気に立てた薬指で叩くと、緑色の小槌が飛び出す。

 そうして召喚された小槌をホレイシアが叩くと、緑の地面に茶色いカゴが現れた。


「ちょっと待って。私も手伝わせて!」

 召喚したカゴを左手で持ったホレイシアが、その中に右手を突っ込む。すると、緑色の粉末が敷き詰められた小瓶が現れた。

 数センチの小さな円筒上の入れ物の蓋を開け、冷たい風の上に粉々になった薬草を飛ばすと、彼女はすぐに左手の薬指を立て、宙に魔法陣を記す。


 東に蒸留を意味する乙女座の紋章。


 西に発酵を意味する山羊座の紋章。


 南に昇華を意味する天秤座の紋章。


 北に投入を意味する魚座の紋章。


 そして、中央に風を意味する上三角形を横一本の線で分割された紋章。


 そんな構成の魔法陣が記されると、ムーンとフブキの周りを囲むように、緑色の煙が漂い始めた。

 その煙がフブキの鎧に触れた瞬間、ヘルメス族の少女の中でチカラが溢れ始めた。


「あの一瞬で、回復術式を発動するなんて、流石ですね。おかげで、あと少しがんばれそうです」

 頬を緩めたフブキが一瞬だけ背後を振り向き、ホレイシアと顔を合わせた。

 一方で、フブキの右隣にいたムーンは、右手の薬指を立て、銀色の小槌を召喚する。

 それを掴み、地面に叩き込むと、銀色の輝く太刀が召喚された。

「フブキちゃんほどじゃないけど、俺だって戦えるんだ!」

 召喚された太刀を両手で握ったムーンが前を向くと、フブキは右手の人差し指を立ててみせる。

「長話、ここまでです」

 

 その瞬間、ムーンたちの真下にあった魔法陣と周囲を包み込んでいた白が消えた。

 少しずつ本来の温度を取り戻そうとする泉を、フブキが見渡す。その先には、炎の線で編み込まれた直径二メートルの大きなカゴがあった。その手前に、三十人ほどの人々が倒れこんでいる。そのうちの十人の首筋には、氷の柱が撃ち込まれていた。


 炎のカゴの中でぎゅうぎゅう詰めになった仲間たちの中心で、無精ひげの男は、右手の薬指を立て、空気を叩いた。すると、寒さを防いでいたカゴが一瞬で消え、その中に押し込まれていた人々が解放される。


 それを見たフブキは腕を組み、首筋に氷の柱が刺さった男の前に体を飛ばす。

 彼女は、男の近くに落ちていた剣を拾い上げ、左右に振ってみせた。すると、刀身をオレンジ色の炎が包み込む。


「この火剣、極寒の地でもある程度の温度を保つことができるようですね。あの吹雪の中で攻めに転じた十人が全員、これと同じ剣を持っています。しかし、気配の消し方が下手です」


 その場に横たわる人々を、フブキは冷たい目で見ていた。


 それから、フブキは手にしていた火剣を、その場に捨て、目の前にいる無精ひげの男の顔を見た。


「あの一瞬で寒さに対応するとは、見事です。まあ、動きが遅れた二十人は、使い物にならなくなったようですが……あっ、どうかしましたか? もしかして、まだ動けません? 隙だらけで無駄話してるのだから、今すぐみんなで斬りかかればいいのに……」


 怖い顔のフブキが盗賊たちを煽る。


「よし。お前ら、大丈夫だ。イッキに攻めるぜ!」


 リーダーらしい無精ひげの男が近くにいる仲間たちを鼓舞した後で、男を含む二十人が剣を持つ。それから、男たちが一斉にフブキたちの元へ駆けよっていく。



 それを見たフブキが、ため息を吐き出す。


「はぁ。見下した発言。相変わらずの悪癖です。まあ、この技を撃ち込めば、終わりでしょう。あの盗賊団相手なら回避不可……」


 太刀を斜め下に傾け、語尾で締めくくろうとした時、フブキの隣でムーンが深く息を吐き出す。


「はぁ。この異能力でお前らを倒す!」

 フブキよりも先にムーンが太刀を構えながら、前へと駆け出す。

 それと同時に、銀色だった太刀が光沢のある黒に染まった。変化に気が付かないまま、ムーン・ディライトは太刀を斜め下に向けて振るい落とす。

 その瞬間、オレンジの炎を纏った斬撃が、迫りくる男たちの中心で、弾け飛んだ。


「ウソ、あの閃光、ホムラリウム? そんなはずが……だって、あの物質は……」

 突然のことに、フブキ・リベアートは目を見開いた。

 そんな彼女の前で、ムーン・ディライトは首を捻りながら、太刀を鞘に納めた。





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