第3話 こたえ
「どうしてこうなっちゃったんだろ……」
日も傾いてきた頃、白百合荘最寄り駅から電車に乗った梗ヶ咲。はじめは満員だった車内も段々と空いていき、ついにはガラガラになった。座れる隙間ができようとずっと上の空で突っ立っていた彼女も、流石にここまで人が居なくなればそれに気がついて座った。そして、目の前で強制スクロールされる景色を虚ろな目で眺める。思い出されるのは彼女が剣崎と出会った日。
この度○○女学園に合格しました
よろしくお願いします
そんな緊張丸出しのガッチガチな梗ヶ咲の文章に、気軽に絡んでくれたのが剣崎だった。入学に先んじて同じ高校に受かった者同士がSNSでコミュニケーションを取る。謂わば、新しい環境への不安を払拭するためのインスタントな関係。そんな、実際に学校が始まったらお役御免になりそうな繋がりから彼女達の出会いは始まったのだ。そこから不安や疑問を共有し、親近感を募らせ、プライベートのことも話すようになり、遂に直接会って話すことになった。まさに急接近。
思い出はそれだけではない。寧ろそこからが始まりですらある。家族以外との初めての共同生活、入学式、体育祭、試験勉強、長期休暇などなどのイベント達。そしてその間を隙間無く埋め尽くす、日常。彼女はその全てを剣崎と共に過ごしてきた。たったの1年。されど1年。積み重ねてきたのは、失っても気がつかないような、そんな希薄な思い出などでは断じてない。
だけど。
だけども、今の彼女はその全てを置いてきた。白百合荘に。大好きな親友と過ごしたあの場所に。
「これからどうしよう……」
別に実家に帰るからといって、学園まで辞めたわけではない。簡単に荷物をまとめてあの場から飛び出してしまったが、家族に相談して新しい下宿先を得次第、またすぐに学園に通うことになるだろう。そう思うと、梗ヶ咲は言いようのないストレスを感じた。
「(別に乙葉に会いたくないわけじゃない。でも、どんな顔をして会えば良いのかわからない)」
彼女は剣崎を親友だと思っていた。しかし向こうは梗ヶ咲を性の対象として想っていた。正直、同性にそういう目で見られるのはちょっと気持ち悪いと梗ヶ咲は感じている。この1年で偏見こそ無くなってきたものの、まだまだ同性愛には共感できていない。なのによりにもよってまさかの親友に、である。親友というのは、特別心を許して一番近くに居た存在なのだ。それにある意味で裏切られた梗ヶ咲。感じるのは憤り、不快感、不信感。そして────
喪失感。
だって、親友とは特別心を許して他の友達より一番近くに居た存在なのだ。家族とも離れて暮らしていたこの1年間、剣崎乙葉という存在は間違いなく彼女にとって“第二の家族”だった。寝食を共にした。登下校も、学校行事も、その他の何気ない行動も。全部、全部。
視界がぼやけて、しばらくして彼女は自分が涙を流していた事を自覚する。彼女の制服のポケットにあるハンカチ。座ったままでは上手く取り出せなかったため一度立ち上がると、まるで狙ったかのようなタイミングで電車が揺れた。
「おっと、すみません」
「……ッ!?」
よりにもよって、こんなガラガラな車内で人にぶつかりそうになるとは彼女も想っていなかった。相手はどこにでも居そうなサラリーマンで、つまり
ただでさえストレスを感じていたのに、さらに強烈なストレスを受けてしまった梗ヶ咲(男性恐怖症)。キューブラ・ロスによると「死の受容」に際して人は五つの段階を踏むらしいが、そのなかに『怒り』というものがある。所謂「なんで自分が死なないといけないんだ!」とか「なんであの人が死なないといけないんだ!」とか。何が言いたいかというと、つまり梗ヶ咲にそういうものに近い怒りがこみ上げてきたのだった。
「ずるい……。乙葉ばっかりずるい!!!」
空洞の車内に絶叫が木霊した。
◇◇
大好きな人を自分の都合の良いように騙し続けて、それがバレてしまったとき人はどうすればいいだろうか。好きになった人に消え入りそうな声で「……ごめん」とフラれたとき、人はどうすればいいのだろうか。そんな時、いったいどうすればいいのか。それがわかるほど、高校生とは大人ではなかった。
「ごめんなさい、文ちゃん」
もう三桁は繰り返された謝罪の言葉。だが時既に遅し。その言葉を届けるべき相手は、梗ヶ咲文は既にいない。自室にうずくまって外音を遮断し、ただただ謝罪を繰り返す少女。一方的に愛して、騙して、傷つけた。その代償だとでも言うかのように、彼女は壊れた機械と化していた。そして彼女の目に明かりが差す。比喩ではなく、物理的に光が映った。畳の床にうずくまっていた彼女の首根っこを掴み、少々強引に気を引いたのは大家さんだった。
「文さんから剣崎さんに伝言です」
「……あ」
先程までうずくまっていた筈なのに、急に景色が変わった理由に漸く気がついた剣崎。いつの間にか大家さんが部屋に入ってきていた。そして近くに転がっているスマホには大量の着信履歴。剣崎が次第に状況を飲み込んでいく。つい3時間ほど前に彼女が傷つけて出て行ってしまった梗ヶ咲が、なんの心変わりがあったか電話での対話を試みてくれたわけだ。しかし絶望に暮れてなにも聞いていなかった剣崎はそれをスルーしてしまって繋がらなかった。だから仕方なく大家さんに言葉を繋いで貰った、と。
「文ちゃん……梗ヶ咲さんはなんと?」
「「今から言いたいこと全部ぶちまけてやるから、逃げずに覚悟して待ってて」ですって」
好きな人に嫌悪され、罵倒される。縁を切られる前にとことん恨み言を言われるのだろうか。しかし、それは裏切り者の嘘つきにはお似合いの最後かもしれない。そう想いながらも、近くにいた大家さんに無意識に
“大切な人を失う”という感覚は、焦燥感は、絶望は、体験しなければなかなか分からない。もし“切れても気がつかない程度の、若しくは簡単に切れる程度の縁しか結んでこなかった者”が彼女を見れば、『依存』と言うかも知れない。だが、彼女達の積み重ねてきた思い出は、感情は、簡単に切れるほど軽いものでは無い。
そもそも人間は社会的な生き物で、他者なくして生存できない。故に他者を必要と思うのも当然で、他者と共にありたいと思うのも自然なことだ。それが親しい間柄になれば尚のこと……。その『必然』と『依存』の違いは曖昧で、数値では測れない。だから様々な見方をする人がいるだろう。
実は大家さんは、学生時代の友人関係が希薄だった。一緒にいれば会話もした。遊ぶこともあった。だけど卒業式には泣かず、みんなが別れを惜しむ中平気な顔で、百合ゲーを嗜むために家に直帰。小中高大でそれを繰り返し、残った縁は家族とのそれだけ。切れても痛まない。無くしても気がつかない。たったその程度の縁をその場しのぎで構築してきた大家さんにとって、剣崎の今の心情を推し量ることは出来なかった。
故に、羨ましいと思った。
彼女はこ《・》う《・》い《・》う《・》の《・》が見たかったのだ。そして、「願わくばこの先はハッピーエンドになりますように」と思わずにはいられなかった。流石の大家さんにも、もはや出来ることは神頼みしか残されていない。何故なら出来ることは全てやり終えたのだから。
「乙葉! て、大家さん!?」
「文ちゃ……梗ヶ咲さん」
梗ヶ咲が大家さんを見て驚く。何故なら途中の駅で降りた京ヶ崎を、「S字に大回りしていた線路」を串刺しにする形で白百合荘まで連れ戻してくれたのが大家さんだったからだ。そんな大家さんは車を駐車するために運転席に残り、梗ヶ咲を先に見送ってくれた筈だが……。
「はいな。忍法分身の術です」
なんてジョークが言ってみたかったのでございます。と言う大家さん。本人がジョークというのだからきっとそうなんだろう。なんらかのカラクリがあるに違いない。そんなユニークな彼女に一瞬気を緩まされて、しかし次の瞬間2人は大家さんを見失っていた。彼女は自分の役目が終わったと判断して、退場したのだ。
「あ、えっと」
「乙葉、私は今から自分の感情をぶちまける。だから、もしよければ受け止めて欲しい」
なんとなく、雰囲気の話なのだが。お別れの罵倒とかではない気がしてきた剣崎。しかし、では一体何の話なのか。まさか「やっぱり付き合おう」という話でもあるまいし。正直何を言われるのか不安だ。だが、剣崎は甘んじて受け入れるしかないと覚悟を決める。その覚悟に応えるように、梗ヶ咲が口を開く。
「乙葉はずっと私を騙していたんだね。……私はずっと親友だと思ったのに、乙葉は私を性的な目で見てたんだ」
「……ッ! その、ごめんなさい」
「親友の振りをして、乙葉はずっと恋人気分だったんだ! 勝手に私を好きになって、勝手に恋人気分を味わって、それでバレたら勝手に私の『親友』まで奪う! ずるい! 乙葉はずるいよ!!!」
「え?」
「私だって乙葉のこと『親友』として好きだった! なのに突然「実は嘘でした」って言われた! あなたは都合の良い恋人役を手に入れて! どうして私だけ大好きな『親友』を手放さなくちゃいけないの!?」
「えっと……」
剣崎にとって梗ヶ咲が別れがたい愛しい人であるのと同じように、梗ヶ咲にとっても剣崎は別れがたい親友なのだ。なのにその友情を裏切られた。それで梗ヶ咲が剣崎との縁を切った場合、梗ヶ咲は最愛の親友を失うことになる。対して、剣崎には恋人として過ごした事実が残る。片方が本気でなかったとは言え、唇や身体を重ねたのは事実なのだ。
いや、冷静に考えれば結局どちらも偽りを手に入れて最終的に失うという話なのだが。興奮している梗ヶ咲と混乱している剣崎に気付というのは難しい。
「あなたにとっての私が、例えどうであったとしても! 私にとってのあなたは親友なの! 積み上げてきたこの一年、私たちはほぼ四六時中一緒に過ごしてきた。そのすべてを、こんなにもあっさりと手放すなんて私にはできない。 なかったことになんてできないよ! ……だから、私は『親友として』あなたの傍にいる。居続ける。例え恋人になってくれないならいらないって言われても、付き合えなくて辛いから距離を置きたいって言われても、ぜったいぜったい傍にいる! 親友としてずっと一緒に生きていきてやるんだから!」
「……いいの? こんな私でも」
「乙葉じゃ無いと駄目なの」
「私、あなたのことを恋愛対象として見ているわよ?」
「勝手にそう見ればいい。私も勝手に親友として接するから。それで辛くなったって知らない。絶対手放してなんかやらないんだから」
「襲っちゃうかもよ?」
「……」
一瞬言葉に詰まる梗ヶ咲。しかし、それは嫌だという意味ではなさそうだ。というか、僅かに頬を染めて俯く姿は寧ろ────
「……まあ、そのね、ほら。私って欲望に正直なところあるでしょ?」
立地がイイからというだけで偽装百合カップルをしていたのだから、これには頷くしかない。
「だから、その……。もし乙葉に「いいかも」なんて思わされたら、私もその気になっちゃうかもしれない、みたいな?」
ごくり、と剣崎の喉が鳴る。
「たぶん瞬間的に流されることはあっても、私はやっぱり親友としての関係を望むと思う。私はそれを貫くつもり。だから、乙葉もそれを貫いたらいい」
「文ちゃん……」
この関係は長くは続かない。
必ずどちらかが絆される。
当の本人たちもそのことには感づいている。
しかし、それは自分ではない。
互いにそう思っていたことは、最早言うまでもないだろう。
親友と恋人 名も無き創作家 @namokakisousakuka
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