第2話 クライシス
「なぁに、アルバム見てるの?」
「もう1年経っちゃったんだなあと思って」
放課後、白百合荘の共同スペース。
畳の床にニーソックスを纏った足を潰れたくの字に投げだし、所謂乙女座りをしていた梗ヶ咲は、スマホのSNSにあるアルバム機能に共有された写真群を眺めていた。日が差してぬばたまのように輝く彼女の髪。それが掛かるその細い肩に、背後の廊下からやって来た剣崎が顎を乗せてスマホをのぞき込んでいた。
本来人のスマホをのぞき込む行為はプライバシーの侵害であり、親しき仲にも礼儀ありということで良くないのだが、そこら辺はケースバイケース。そう言えるほどの関係を積み上げてきたという自負が両者共に存在するからこそのやり取りだ。
「私、今日料理当番だから買い物行かなきゃ」
立ち去り際に名残惜しそうにそう漏らした剣崎の言葉に、しかし梗ヶ咲は生返事をするだけだった。アルバムによって完全に意識が過去の思い出に馳せられている彼女は、すりすりしてきた剣崎のほっぺたに気付いているのかいないのか。
「もう……、ふふ」
一緒に買い物するのを楽しみにしていた剣崎だが、自分との思い出に浸ってくすくす笑ったり「こんなことあったなあ」と盛り上がったりしている彼女が可愛かったので許した。寧ろ邪魔するのが憚られる気分になってきたので、独りで出かけることにした。
◇◇
次の日、放課後の自室にて。
「買い物行くなら言ってくれれば良かったのに」
「ごめんね。あまりに夢中になってたから」
口元を手の甲で押さえ、上品に笑う剣崎。別に馬鹿にして笑っているわけではなく、寧ろあまりの愛おしさに笑えてきただけだだ。だが笑われた方はそうとは思わない。
「ふん、いいですよーだ。今日は私独りで行くから」
拗ねる梗ヶ咲。だが、そういうところが剣崎のツボを刺激し、それによって更に笑われて不機嫌になる。逆効果どころか負のスパイラルだ。しかし、それも仕方が無いのかもしれない。何故なら、梗ヶ咲のこの態度も「相手が受け入れてくれる」という一種の甘えがあってこそなのだから。それがこの1年2人が積み上げてきた物なのだ。それを実感できるこの時間が何よりも尊い。そう思うと、剣崎の笑いは止まらない。
「もう、知らないから!」
むくれてダッシュで買い物に向かった梗ヶ咲。彼女が廊下をドタドタと抜け、玄関を超え、しっかりと門の音が聞こえるまで待ち──
「よし」
剣崎は待ってましたと言わんばかりに隠していた宝箱を開封した。梗ヶ咲と剣崎は偽装百合カップルであり、親友であり、ルームメイトだ。基本的には常に一緒に行動するため、一人の時間というものがほぼ無い。ところで話は変わるが、女性だって溜まるものは溜まるのだ。いや、だからどうという話ではないのだが。取り敢えず剣崎は、一人の時間を満喫する準備を始めたのだ。
「
どこからか取りだした謎のグッズ達を畳の床に広げ、恍惚の表情で眺める。剣崎の右手が自らの股ぐらでもぞもぞ動いているようにも見えるが、きっと気のせいだろう。やけに重厚なヘッドフォンを付けた彼女は、部屋に鍵を掛けて体調管理に勤しんだ。もしこの鍵を開けることができる人がいるのなら、それはもう少し後に帰ってくるであろうマスターキー持ちの大家さんか、この部屋の住人である梗ヶ咲くらいなものだろう。
「あっ!」
一方その頃、梗ヶ咲は財布を忘れたことに気がついた。勢いで飛び出して来たため、学校鞄の中に入れっぱなしだったことを今の今まで忘れていたのだ。幸い門から出て数メートルなため、今から部屋に戻っても大したロスにはならない。急いで門を潜って庭を突っ切り玄関で靴を脱ぎ、ドタバタと廊下を渡る。そして自分たちの部屋のドアノブを掴む。
「あれ、鍵掛かってる?」
さっきまで乙葉がいたはずなんだけどなあ……。と疑問に思いながら、特に中からの返事もないのであの後すぐに部屋を出たのだろう判断。手癖でするりと鍵を開ける。そこには────
「え」
ルームメイトの剣崎が部屋の隅で立ったまま、やたらとゴツいヘッドフォンを今外した。
「あれ、文ちゃん。どうしたの?」
「あ、えっと、財布忘れちゃって」
「具体的に何処が?」と訊かれると困るのだが、見慣れたこの部屋にか親友にか、何となく違和感を覚える梗ヶ咲。どうして鍵掛けてたの? とか、どうしてそんな隅に居るの? とか、そんなゴツいヘッドフォン持ってたんだ、とか。別に女の子なのだから部屋に居ても鍵を掛けることはあるだろうし、部屋の隅に居ることくらい誰だってあるだろう。ルームメイトだからといって相手の全ての持ち物を把握しているわけではない。単体で考えればどれもそれほどおかしいことではないけれど、しかし1年間共に過ごしていれば大体部屋のどの位置をよく使うのかとかどんな物を持っているのかとかは把握出来るものだ。あと、部屋に置く物も定位置とかがなんとなく決まっているものだが、それが少しズレている。例えば普段はベッドの端に畳んである剣崎の衣服が不自然に
「はい、財布。これよね」
「ありがとう」
なんとなく違和を感じながら、しかし気のせいだろうと思う梗ヶ咲。ちなみに先ほどのケンカのようなやり取りは友達としてのただのじゃれつきのようなものなので、両者まったく引きずっていない。というわけで財布を受け取って再び買い物に出かける梗ヶ咲。ドアを閉め、気を利かせて鍵をかい、廊下を2、3歩移動してから思い出したかのように呟く。
「そうだ。ついでにこの前乙葉に貰ったシュシュを付けていこう」
なんてことはないただの無地なシュシュだけど、大好きな親友に貰った物となれば愛着も
「……え?」
「へ?」
なんか、そこには形容しがたい変態がいた。
というか彼女の親友だった。
このとき、両者に致命的なミスがあった。まず梗ヶ咲だが、彼女は自分の部屋だからといってノックをするのを忘れていたのだ。普段は確かに必要ないが、鍵の掛かっている部屋にルームメイトとはいえ女の子がいるのなら気を使ってノックくらいするべきだっただろう。もしかして誰にも見られたくない何かをしている可能性があったのだから。そして剣崎のミスは「もしかして」の行為を不用意に再開してしまったことだ。ナニがとは言わないが溜まっていたのだろう。若しくはイイところで寸止めされて抑えが効かなくなっていたのか。まあ、そんなわけでありまして。
「あの……それ私の下着……、ですよね?」
「アッハイ」
彼女の名誉のためにも詳しい描写は避けるものの、親友、つまり梗ヶ咲の私物(今まで返却した振りをして実は新品を購入してすり替え、かき集めていた)に埋もれながら自身の性的欲から来る体調の異変を管理(オブラート表現)している様は、どう見ても言い逃れできない変態だった。お陰で互いに敬語になってしまった。というか、梗ヶ咲に至っては知らない人と話している感覚だ。事実、彼女は親友のこんな姿をこれまで見たことがない。文字通り「知らない」のだ。そして脳がこの知らない事をしている変な人と自分の親友を結びつけることを拒否している。
結果
そっ閉じをした。ドアを閉めて物理的に空間を隔て、視界からも消して処理落ちした脳をガードしたのだ。
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