第82話 いつかは渡る川のふもとで

 11月ともなると、すでに真冬のような寒さがやって来ていた。部屋を閉め切っていても空気が冷たく、三瀬川みつせがわ黄泉よみはせっかく休日に早起きをしたと言うのに、寝転がったままもぞもぞしていた。


 彼女の隣では赤みがかった黒髪の小さな少女が同じベッドで眠っている。かつて『悪しき魂』と呼ばれた魂の集合体で、黄泉がそうちゃんと名付けた少女だ。世界を滅ぼせるレベルのチカラを持っていた彼女も今は無害で、そのうえ彼女には家族も何もいないので、今は黄泉が面倒を見ていた。


「朝っぱらから何でこんなに寒いの全く……」

「そりゃあ、もうすぐ冬だからねー」


 すやすや眠っているそうちゃんを起こさないよう小声で呟いた独り言に、ふと返される声があった。

 二人しかいないはずの黄泉の部屋に響いた少女の声。否、実際には部屋に響いてはおらず、その声は黄泉にしか聞こえていない。黄泉はあくびをしながらそちらを向くと、音もなくふわふわと浮かんでいる少女の姿があった。


「……いつの間に来てたの、ヒナ。まだ寝起きだから恥ずかしいんだけど」

「いやいや、髪ぼさぼさの黄泉ちゃんもカワイイですぞ」

「やめてよもう」


 幽霊少女の日明ひめい日奈ひな。霊能力を持つ黄泉と幼い頃から遊んでいた、幼馴染の幽霊だ。

 黄泉はちらりと時計を見て、それから布団をかぶり直した。


「あれ、二度寝するの?」

「寒いし起きるのおっくう。幽霊はいいよね、寒いのも暑いのも平気だし」

「まーねー。季節を肌で感じられないって言えばデメリットでもあるけどねん」

「……それもそうか」


 頭まで毛布をかぶってもぞもぞと動きながら、黄泉は幽霊少女に声をかける。


「まあそういう訳で私は今から二度寝するから」

「おけまる。また後でね」


 テレビから出て来る前髪の長い代表的な幽霊にも似た綺麗な黒髪を揺らしながら、日奈は空気に溶けるように消えていった。それを視界の端で見守りながら、黄泉も静かにまぶたを閉じる。





     *     *     *





「はあ……来ちゃったかぁ」


 目の前に広がる広大で美しい川を眺めて、黄泉はため息をついた。

 ここは夢の中。いや、寝ている時に見る景色を夢と言うならそうなのだが、正しくはここは夢の中ではない。

 いわゆる幽体離脱の一種で、黄泉は寝つきが悪い時などは魂が抜けて、『ここ』に辿り着いてしまう事が多々ある。


「久しぶりだなー、『三途の川』見るの」


 黄泉はそう独り言ちながら、所々に石が積まれたさいの河原をゆっくり歩く。親より先に旅立ってしまった子供が親への供養のために積むとされる石積みの搭は、まるで車道の車線分離標のように綺麗に並んでいる。


 そして黄泉は河原から川へと視線を移す。

 そこには、今日も今日とてどこに住んでいたのかも分からない人達が川の向こうへと渡っていた。辿り着く先は、極楽浄土か地獄の底か。それは神様と閻魔様のみぞ知るところだ。


「こうしてたくさんの人が渡っている所を見ると、誰もいないときに水泳の練習してたのが申し訳なくなってくるね……」


 こうして生死の境を見れているのだから『最期の瞬間』というのは的確ではないのだろうが、一つの生が死へと移っている神聖な場所なのは間違いない。そんな場所で、女子高生が平泳ぎの練習をしているなど誰が思うだろうか。ナントカ菩薩にでも怒られるかもしれない。


 そんな事を考えながら河原に腰掛けると、同じタイミングで隣に誰かが座る気配を感じた。その誰かは黄泉の視線を受けると、にこやかに手を振った。


「やあやあ黄泉ちゃん、さっきぶりだね」

「ヒナ、ここにも来たんだ」


 寝る前にも見た、幼馴染の幽霊少女の姿がそこにあった。場所が場所だからか、幽霊である彼女も今は実体を保っていた。数年ぶりに見た幼馴染の実体を珍しそうに指でつんつんする黄泉。


「もしかして私の事追いかけて来た?」

「そりゃ寝たと思ったらいきなり昇天するんだもん。何度か見たとはいえ、びっくりするじゃん」

「ごめんごめん。寝つきが悪いと来ちゃうんだよね」

「そんな寝返りうつような感覚で??」


 いつもは突飛な行動で黄泉を困らせる日奈だが、今回ばかりは霊能力者の摩訶不思議な生態に彼女の方が困惑する番だった。


「そういえばさ」


 実体のある霊をつんつんするのを止めた黄泉は、何気なく気になった事を口にする。


「ヒナってなんで幽霊なの?」

「何でって……もしかして私の事嫌いになった!?このうるさい霊魂さっさと成仏してくんねーかなーとか思ってるの!?そんな子に育てた覚えはありませんよ私!!」

「いや違うから。勝手にヒステリー起こさないで、反応に困る」

「冗談だって、分かってるよう」


 てへ、と舌を出して謝る日奈に、黄泉はため息をつく事しかできない。


「まあ真面目な回答をするとだね、現世が楽しいからだよ」


 大小さまざまな石の転がった河原にごろんと寝転がる日奈。天が手招いているような淡い耀きを放つ空を見上げて、しかしそれを拒むように目を閉じた。


「私は一応天国行きの判定だったから一度は行ってみたんだけど、あんまり興味がそそらなくてね。まあお花畑は綺麗だったけど」

「へぇー、てっきり天国って楽しい所なんだと思ってた」

「まあ私目線での話だけどね。その点現世はすごいよ、最後まで娯楽たっぷりなんだもん」

「そうかなぁ……でも現世だって、楽しい事だけじゃないでしょ?」

「そりゃ人生だもんね」


 柄にもなく深い事を言ってしまった、と日奈は笑った。その一切の陰が無い明るい笑顔を見て、黄泉はふと思う。


(……もしかしてヒナって)

「あ、もしかして自分が生きてるせいで成仏出来てないんじゃないかーとか思ってるでしょ」

「えっ、何で分かったの!?」

「分かるよ、顔に出てる」


 いたずらっぽく笑いながら黄泉の両頬をぷにっとつまむ日奈。


「その辺は黄泉ちゃんが心配する事じゃないよ。私は好きなタイミングで成仏するし、黄泉ちゃんが足かせになってるなんて事は無いからさ」

「本当に?」

「うん。神と菩薩と霊能者に誓うよ」


 そういって彼女は、いつも通りの屈託のない笑顔を見せるのだ。黄泉は彼女が眩しく思えて、そっと顔を逸らすように三途の川の向こうを見つめた。


 いつかは誰しもがあの川を渡る。過去を清算し、それぞれの道を進む。

 だが今は、そんな事を考えなくてもいいじゃない。隣には苦楽を共にする友がいるのだから。


「でもまあ取りあえず、黄泉ちゃんは早く起きる事をオススメするよ。現世ではお昼のニュースをやっておりますわよ」

「えっ噓、そんなに寝てたの!?午後からそうちゃんと出かける予定あるのに!!」


 急に現実に戻された。

 霊能力なんて身に合わないチカラを持っていようと、彼女はまだまだ女子高生なのだ。

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