第79話 十字架の少女と暗黒の少女

 徒神とこう一愛いのりは、黄金の十字架を肌身離さず下げている。

 一見すると十字架型のネックレスだろうと思うそれだが、彼女の持つ十字架は神様の加護が詰まっている、『本物』の十字架なのだ。


 彼女が祈りを捧げれば雨だって止むし、悪しき魂を鎮める事だってできる。

 そんな超常的な存在である一愛だが、彼女にも悩みはある。それは現在足の下にある無骨な機械が数値化してくれている、等身大の壁だった。


「体重、ちょっと増えてますね……」


 最近、友人たちと学校帰りに秋限定のさつま芋パフェだったり栗饅頭だったりと、いろんな秋の味覚を堪能していたのが大きいだろう。食欲の秋とはよく言ったもので、ついつい一愛もつられて買ってしまうのだ。


 何にお金を使えばいいか自分では決めかねている彼女にとって、自主的にお金を使って買い物をするというのは大きな成長と言えるだろう。だが、だからといって重くなった事実を水に流す理由にはならない。


「運動しましょう。まずはから散歩でも……」


 運動は苦手でも得意でもないので、まずは近所を歩くことにした。

 運動で大事なのは継続すること。無理にハードルの高いダイエットを始めるより、続きやすそうな簡単なことを積み重ねていくのが大事なのだ。


「また人美さんとスイーツを食べに行くために、私頑張ります!」


 全ては思いを寄せている少女と食べに行くため。徒神一愛は痩せる事を決意した。





     *     *     *





「ちょっと寒くなってきやがったな……」


 少しずつ冬に近づいてきている今の季節は風が冷たい。『暗黒物質ダークマター』の少女は腕をさすりながらそうぼやいた。

 彼女は文字通り暗黒物質の塊が人型に形を変えただけなので厳密には体温とか気温とかいう概念は無いのだが、季節が移り変わると気分的に寒いのだ。


 とてつもなく長い暗黒色の髪をお団子付きポニーテールにまとめて、『暗黒物質ダークマター』は散歩していた。今は自由研究のために彼女 (?) を連れて来た真季那まきなの家に住んでいるのだが、家主である理恵りえ博士が『とてつもなくヤバイ実験をするから外で遊んでてほしい』と言うものだから、仕方なく外を散歩しているのだ。


「まったく、マッドサイエンティストは困ったもんだな」


 いつもツンツンしてる『暗黒物質ダークマター』だが、理恵博士には心のどこかで感謝している所もある。おそらく科学者的な好奇心もあるだろうが、一応『暗黒物質ダークマター』を住まわせてくれたり不自由ない暮らしをさせてくれている。


 外見年齢小学生くらいの『暗黒物質ダークマター』はアルバイトや働く事もできないし出来てもしなさそうな性格だが、博士を困らせたくはない、と思っていたりもする。素直じゃない子なのだ。


「それにしても、ただ歩くってのも暇だよなぁー。人美ひとみのとこでも行くか」


 『暗黒物質ダークマター』は季節と共に移り変わっていく町の風景を愉しめるほど感受性豊かでは無かった。今は土曜日の昼間だし友人も家にいるだろうと、家を訪ねる事にした。


「……お?あれは」


 人美の家への道のりを歩いていると、目の前の池の周りを走っている少女を見かけた。外周900メートルの小さな池をぐるりと囲むように設けられている散歩コースを、ジャージ姿で走っている。そして胸元で陽光に照らされて光る十字架を目にし、会った事のある人だと気が付いた。


「ちょっと声かけてやるか」


 何やら必死に走っているので、もしかしたら彼女の向かう先に何か面白いものがあるのかもしれない。『暗黒物質ダークマター』の塊である彼女にとって、10メートル前後の距離を跳んでいくなど造作もない事。軽く地面を蹴るだけで、一気にランニング中の少女の前へと跳躍した。


「よう、何してんだ?」

「わっ!」


 いきなり小さな女の子が上空から着地して驚いたランニング少女―――徒神一愛は、足を止めて少女の顔を見る。


「クロちゃんじゃないですか。驚かさないでくださいよ」


 人美や真季那まきなを共通の友人として (『暗黒物質ダークマター』の方は真季那の事を未だ友人と認めていないのだが) 一愛とクロちゃんこと『暗黒物質ダークマター』は何度か面識があった。誰にでも優しく接する一愛は、警戒心強めだった『暗黒物質ダークマター』もすぐに打ち解けたくらいだった。


「運動してたんですよ。ちょっと越えるべき壁に直面してまして」

「壁ねぇ。んで、どれくらい走ったんだ?」

「えーっと、この池を50周ほどでしょうか」

「走りすぎだろ!!」


 思わず食い気味に突っ込んでしまった。いくら何でもやりすぎである。そこまでしないと越えられない壁なのだろうか。


「そんなに走ってよく疲れないな。並のニンゲンだったら死ぬんじゃねえのか?」

「死にはしないと思いますけど……私はこれのおかげですよ」


 一愛は首に下げている金の十字架を優しく撫でた。ジャージ姿に十字架とはアンバランスな着こなしだった。


「そっか、お前それがあれば何でも願いが叶うんだったな」

「何でもは叶いませんよ。この十字架は神様のご加護が詰まっているお守りであり、神様に私の願いを伝えるための架け橋なんです。ですから、神様がダメだといった願いは叶えられません」

「ほーん。神様もケチなんだな」

「人間が強欲なだけですよ」


 それはそうと、と一愛は話題を切り替える。


「クロちゃんは何をしてたんですか?」

「ああそうだ。これから人美ん家に行こうと思ってたんだが」

「人美さんの所にですか!?」

「食いつきようエグいな」


 飢えで倒れそうな野良猫に魚を与えた時のような食いつきようだった。もはや人間を超えて野生動物の域に達しているスピードだった。


「そんなに行きたきゃお前も来いよ」

「ぜ、是非に!……あ、でもちょっと待ってください、ジャージのまま行けるはずがありませんよ!一度帰って着替えてきます!汗もかいてますしシャワーも浴びなければいけません。あと何も持っていかずにお邪魔するのも失礼ですし何か菓子折りでも……!!」

「おちつけおちつけ。そんな時のための十字架なんじゃないのか?」


 彼女の言う通り、十字架の力があれば一瞬で着替えも出来るし、体も清潔になるだろう。だが一愛はきっぱりと首を横に振った。


「人美さんと会うというのにそんな小細工は使いたくありません。意中の方とダンスパーティーに行くのに他人のドレスを着る女性はいないでしょう?そんな感じで、ここは譲れない部分なんです」

「お前の中で人美あいつはどんなイメージなんだよ」


 理解が遠のいた、と首をかしげる『暗黒物質ダークマター』。どうやらランニングのために使うのはよくても、人美と会うために使うのは駄目らしい。乙女とは複雑なものだ。


 だが一愛が本気でそう思っているのは伝わったので、『暗黒物質ダークマター』も一緒に一愛の家へ寄る事にした。今の彼女なら服装だけで5時間は悩みそうだ。自分がアドバイスしてあげなければ。


「まったく、人間は面倒なんだな」


 そう呆れつつも、悪くはないと思いながら、『暗黒物質ダークマター』は思い悩む少女の隣を歩いていた。

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