第75話 悪魔、旅立つ
天使と悪魔とは、いつの時代も対の存在として知られている。
天使が人を導き、悪魔は人を堕落させる。故に天使と悪魔は互いを敵視し、時に戦火を交えていた。
そんな2つの存在が共に人間界へと降りているという事態は、珍しくもあり、危険でもあると言えるだろう。一度戦いが始まれば、世界など軽く形を変えてしまうのだから。
しかし、現実は想像以上に緩かった。
「何だこの食いもんは!めちゃくちゃ美味いじゃねぇか!」
「落ち着いて食えよ、喉詰まるぞ」
死ぬほど空腹な悪魔の少年はどんぶりの中身を勢い良く掻き込み、そんな様子を天使の少年―――
どこからどう見ても2人の男子高校生がご飯を食べている風景にしか見えないのだが、実は天使と悪魔の晩餐である。しかも天使の暮らす部屋で悪魔が食事しているというのだから、知る者が知れば混乱を極めるだろう。
「人間界の飯がこんなに美味いとは知らなかったぜ!こりゃ人間へ災いを降らせるのはやめにしねぇとなあ」
「そうしてくれると天使的にも助かるわ」
肉野菜炒めをどんぶりいっぱいに詰めた白米に乗せただけの大雑把な男料理だが、冗談抜きで一度ぶっ倒れた悪魔の少年にとっては有り得ないほど美味しく感じだようだ。
「それにしてもお前、人間界へ降りるってのに準備無しって凄いよな。無謀がすぎるというか勇気があるというか」
3杯ほど食べてようやく腹が膨れたらしい悪魔の少年を一瞥して、翔は言った。彼は人間界への長期滞在を前提にして準備していたので、住居も資金も十分に整っていた。対して悪魔の少年は、人間界に落とした『悪魔の力』をパパっと見つけてさっさと帰る、としか考えていなかったのだ。なので人間界のお金を持つこともしなかった。
「まあ、正直言って人間界舐めてたわ。それを痛感したな」
コップ一杯のお茶で喉を潤して、悪魔の少年は言った。
「それはそれとして。俺様を助けたテメエがどういう腹積もりかは知らねえけど、今すぐ俺様をぶっ殺そうってつもりじゃねえみてえだな」
「わざわざ戦う意味もないだろ?お前は今の所、悪さしてないし」
天使と悪魔は敵対関係。だが、全ての天使や悪魔がそうとは限らない。目の前の悪魔の少年は天使を敵視しているみたいだが、翔としては率先して戦いを仕掛けようとは思わない。翔は勝負事が好きだが、悪魔との全力の戦いなど、スポーツや競争とは規模が違うのだから。
「それにお前が悪魔の力を取り戻しても、この世界をめちゃくちゃに破壊する事はなさそうだしな。まあそもそも、あの力を取り戻せる保障は無いが」
「そうだよその話だよ。俺の力を勝手に保有してるあのガキの話だ」
主に悪魔の食事のせいで話が逸れていたが、ようやく本題に戻った。
悪魔の少年がこの世界に落とした『悪魔の力』を宿していた少女。あの少女を翔は知っている口ぶりだった。それを問いただすと、翔はこの前の体育祭で起きた出来事について話をした。
悪しき魂と呼ばれる存在が自分達の前に現れた事。そしてその悪しき魂が姿を変えたのが、あの赤黒い髪の少女だという事を。
「悪しき魂は俺も何度も見て来たが、この前のアレは別格だったんだ。まさしく『悪魔』に匹敵するほどのな」
「……まさか、俺様が落とした力を吸収したって言うのか?」
「俺の考えだとな。ついでに言えば、そいつの力がめちゃくちゃ弱まってんのも、悪しき魂を鎮静化する過程で俺のダチが浄化した結果だ」
浄化という単語を聞いて、悪魔の少年は僅かに顔をしかめる。神々の光でもってあらゆる悪を滅する行為は、悪魔にとって嫌なものだった。
「じゃあ俺様の力は俺様が知らない間に残りわずかになったって訳かよ」
「残りわずかって言うかほとんど空っぽだな。あれじゃ仮に取り戻したとしても魔界には帰れねえぞ」
「……は!?」
翔があっさりと告げた事実に、悪魔の少年は声を荒げて驚いた。
「マジで!?俺様帰れねえのか!?」
「まあ、魔界から迎えが来るのを待つしかないな」
「ふざけんなよ俺様一文無しなんだが!?」
今日一日は翔がご飯を食べさせてくれたおかげで何とか生きながらえた。だが、これが何日、いや、何週間も何か月もかかると言われたら。もはやただの『人』同然である悪魔には、どう足掻いても生き残れない。絶望だった。
「住み心地は保障できねえけど、俺の部屋で暮らしてもいいんだけどな」
「いいや、俺様はテメエを敵視するのは辞めたが、天使と共に暮らすのは悪魔的に良くねえ」
そう言うと、悪魔の少年は翔から借りた服から元の黒マント衣装に着替えた。
「何とか生き延びてやるさ。意地でもな」
翔の提案を蹴った少年だったが、その眼はまだ諦めていなかった。『意地でも』という言葉通り、彼はもう諦めたりしないようだ。
「……そうか、まあガンバレよ。何かあったらここに来ればいい。俺に出来る事なら助けてやるぜ」
「天使の手なんか借りねえ……と普段なら言ってたが、たった今借りを作っちまったばっかりだったわ」
少年は口元に笑みを貼り付けて、自身あり気に言い放つ。
「魔界の迎えが来る頃には大富豪になって、そんときゃテメエに今日の恩を返してやんよ」
そして彼は振り返る事もなく、別れを告げるように片手を上げて去って行った。
「夢を大きく持つのは良いが、まずは今日の寝床を心配しろよな……」
天使がこぼしたそんな呟きは、もう彼には聞こえていない。
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